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  • 2014/06/07(土) 10:44:47
「山梨県は宝をみすみす逃した」。ソフトバンクの孫正義社長はある席でそうつぶやいたという。IT産
業の黎明(れいめい)期だった1980年代後半。旧竜王町(現甲斐市)の広大な桑畑の一角にソフト
ウエア会社などが誘致され、当時極めて珍しいソフトウエアパークが造成された。そこに集まってき
たのが、孫氏や後に任天堂の社長になる岩田聡氏ら、いまや世界のITをリードする面々だった。
 
「山梨に日本のシリコンバレーを」。ソフトウエアパーク構想を提唱した山梨大名誉教授の伊藤洋氏
は県にパークの拡大を訴えた。しかし、当時の天野建県政は受け入れず、構想は幻となり、孫氏らは
山梨を去った。
 
「あのとき県が耳を傾け彼らを引き留めていれば、山梨は日本一のIT産業県になれたはずだった」。
そう語気を強める伊藤氏は横内構想を「リーディング産業になったIT産業で今さらどんな成長が期待
できるというのか」と手厳しい。

http://archive.today/K1Yf

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