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  • 2012/12/10(月) 10:49:52
もう40年も前、
まだ国鉄の時代、上諏訪〜岡谷間の複線高架化の計画が国から出された。。
上諏訪駅も当然2面4線の高架駅にする計画だった。
当時の岩本市長は、これに反対し、騒音などの問題から
地下線にしろと喚いた。市議会もそれに同調した。
国が工費が高くなるからそれは出来ないと突っぱねたところ、
市長は、じゃあ半地下式なら認めると言った。
国は、それも無理と言って、この話は、流れてしまった。

その後、もう一度、複線高架化の話は出たが、当時の笠原市長は、
沿線住民が一人でも反対すれば、市としては反対すると言って、
それ以上、話は進まなかった。

その後、国鉄も民間のJRに代わった。
その頃、市もこれじゃイカンということで、
複線高架で良いから、作って下さいと願い出た。
しかし、もう民間鉄道会社になったのだから、国は関与せず、JRと話し合って進めなさいという話になった。

JRは、地元で費用を負担してくれるなら作ってもよいというスタンスで、
この話はそれ以降、止まってしまった。

今から考えれば、
国から話のあった時点で、市長はじめ市議会議員が先見性があり、
先頭に立って反対派を説得し計画を進めていれば、
今のような状態にはなっていなかったんだと残念でならない。

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