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  • 29
  •  
  • 2010/01/29(金) 08:20:03
>>28
悪フザケの妄想ならいいけどさ。


その人の価値観(その国に対する国家観)の違い=他者と自分との信条の違いから生まれる
人間関係というものをじっくりと考えてごらん。特に歴史的なことを踏まえて。

たとえば、日本の捕鯨文化は日本特有の食文化の一つ。日本の歴史であること。
対して欧米にはその食文化がない。=彼らには感覚がない。実際、自然観までも違う。
両者にはその意味で価値観が違う。
その違いを認めない一部の欧米人は、現状の日本の捕鯨を
=「アホや!(クレイジィー!)」という目で見る。
その極端な位置にいるのが極端な行動に走るあの連中。
自分の信条は絶対であるということで。

その人間関係にある構図というのは、
それぞれ歩んできた歴史の違い、身につけてきた歴史観の違いが原因でもあること。
そこで、自分の信条は絶対であるということで対立する人は、自分と正反対の
立ち位置に居る人とか異質の人の価値観を認めないということから。
その対象者は「アホや!」と見下す。双方に違いがあることを認め合わない人。
そういう彼らは、「自分は絶対」なんだ。

そこで、一つの事例
歴史的理由の一つから自分の信条を曲げない人は、かつて教育現場で
日の丸、君が代を入れさせない、抗議してきた人がいた事例があること。
彼らにとって過去の戦争からくる歴史観の絶対的な違いがもたらしたもの。
一般の人とは歴史観の違い、価値観の一部の絶対的な違いあるのが原因。
他にも歴史の上で、一つの政治的理由、社会的理由が原因という人もいる。

彼らは「一歩も譲れない、絶対の被害者」という心情の人でもあること。
その絶対が他の感覚を持つことを認めないということも。
だから彼らは、敵か味方かという人間関係しか持たない。

 敵になる人をアホ、クレイジィーと言うのも彼らならではの口癖

ここまで見た

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