facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 233
  •  
  • 2009/11/03(火) 19:51:48
>>225
知ってるよ、細かく書くと長くなるから簡単に。

古事記の記載によると、出雲の国(日本のもと)を大国主(大黒様、出雲大社の御祭神など)が作り
その国をその子供達である 事代主(恵比寿様、下社の御祭神など)と弟の建御名方(上社、下社の御祭神)らで平和的にやっていた

そこに、強大な勢力を持った天津神(天皇家)がやって来て平和的に明け渡す、
(この際、大国主は他界し、事代主は行方不明に・・)
建御名方だけは最後まで抵抗し戦いながら諏訪の地まで来た。
そしてその地(諏訪)から一歩も外に出ない事を条件に諏訪の地の政り事だけは許された、そうです。

あくまで、正史として勝った側(天皇家)から見た記述で勝った側に都合よく書かれているのは間違い無いので、
どんなに頑張っても滅ぼす事が出来なかった言い訳にも思える
平和的に明け渡すのも、不自然すぎるので都合よく書かれているんだろーね

だから、神話上の諏訪は 天皇家以前の日本が凝縮したイメージかな。

出雲神を祭った神社は日本中に無数に点在してるのに、天津神を祭る神社はほとんど無い
それだけ、人々の心をがっちりつかんだ人達だったんでしょう。

「宮」は天津神が多いかな・・・・・・どーでもいい事だね。失敬

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード