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  • 72
  •  
  • 2008/03/29(土) 22:58:02
>>69
「江戸初期の手取川は現在のように1本の川ではなく小さい何本もに別れていた」
実際にそうだったようです。手取川は急流でよく氾濫し、手取川扇状地には網の目のように
細かな川が流れていたようです。で、金沢にその氾濫による水害が来るということで、今の
白山市鶴来(天狗橋あたり)から流れを西に曲げたそうです。
詳細は、能美市博物館(辰口図書館横)に行くと分かりますよ。

ここまで見た

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