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  • 2019/11/08(金) 23:48:49
三国ヶ丘駅の連絡口が出来た経緯
南海も当初は改札業務を人間がやっていたが、自動改札機導入後は有人改札を自動改札化することで省人化しようとした。
ところが、初期の自動改札機は人間よりも処理速度が遅かったため、同一方向の有人改札2通路を自動改札化しようとすると自動改札3ないし4通路が必要になること、おまけに初期の自動改札機には現在のように双方向処理が出来なかったことから、ラッシュ時の人の流れの量(比率)がある程度決まっていて朝夕で自動改札の向きを変えることを前提にしたとしても、自動改札5ないし6通路が実際に必要となった。
しかし、昔の南海三国ヶ丘駅(北口)にそれだけの自動改札機を設置するスペースは無い。そこで国鉄から管理業務を委託されていた国鉄三国ヶ丘駅に目をつけ、国鉄駅と南海駅の間に連絡通路を設置するスペースがあること、南海の自動改札機の改造により連絡通路自動改札での国鉄の切符取扱が可能になること(このころの自動改札機は ?乗車駅で改札を通ったか ?乗車駅からの運賃が不足していないか ぐらいしかみていなかった おそらく連絡通路に設置された自動改札機も南海側の情報だけで動作させていた(国鉄側の情報は無視していた)と思う)から、連絡通路に自動改札機を設置することで必要な自動改札通路数を確保した。

駅舎建替えにより各社改札口に必要な数の自動改札機を設置するスペースが確保されたことから連絡口は廃止された。

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