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  • 2009/11/13(金) 12:39:30
物流にせよ人的交流にせよ、今みたいに道路ありきで考えてるから
そういう感覚になるんじゃねえのかな。
明治以前のように川下に下ろうが上に向かおうが山道しかない時代だと
全方向一緒だぞ。氷川の谷筋だろうが棡原集落だろうが西原集落だろうが
山向うって言うだけで同じ隣集落だろ。
人里や数馬辺りからすりゃ藤原に行こうが、西原に行こうが、
なんも違わねえだろ。
山向うから嫁入りなんて珍しくもなんともねえだろうに。

それと
>家財の分散を防ぐために
これもねえだろ。当時、嫁なぞ使用人同然の扱い。
家財の保持はあっても分散はない。
家や田畑を売り払うときは今みたいに売り払った代金で
どこかに移り住めるわけでもないよ。
売っ払う時は借金のカタに取られて無一文になって
女子供は売られて一家離散するときだけだからして。

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