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  • 2017/01/14(土) 12:28:22
153>>こんなのが

明治14年6月14日の火災によって寺院と共に古文書の大半が焼失してしまい、創建などの詳細については不詳となってしまった。(田島武夫 1973)によれば、(戦時に供出されてしまった)煩鐘の鐘銘に「正徳2年壬竜猛夏仏生日洞山卅六世少林二世天湫出撰」と記載があったと指摘し、正徳2年には成立していたと考えてよいとしている。『上野国史』では享保7年に前橋城・酒井雅楽頭忠知の懇請をいれて開山水府公護持の霊符を謹請し鎮護国家・武運長久の祈願所としたとある[1]。 また一説には古くからこの地に観音堂があり、延宝年間(1673年〜1681年)この地を訪れた一了が達磨禅師の像を彫って安置したと言う。といった具合に諸説様々である。
現在は高崎名物とされる「縁起だるま」で知られている少林山達磨寺は、前橋藩を守護する寺院である。

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