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  • 2016/10/30(日) 14:39:43
そこでイエスは、そのうちの1そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。
ルカによる福音書 5章3〜6節
朝早く、湖畔に立たれたイエスのまわりを多くの群衆が取り囲んでいました。彼らはイエスの言葉を聞くのに熱心でありました。時も所もわきまえず、ただイエスの近くにおればその言葉が聞ける、そういう熱心だけで集まる人々でありました。その熱心を信仰の高まりだと見るか、それとも人間のありふれた自己本位の熱心だと見るか、判断の分かれるところです。しかし、ここには別の人々、仕事に疲れ、むなしく終わった労働の後の気だるさの中で黙々と後かたづけをしていた漁夫たちがいました。彼らはたまたまイエスがおられた場所付近にいたに過ぎません。けれども幸いなことに彼らもそこでイエスの言葉を聞く機会を得たのでした。イエスの言葉は漁夫たちの失意を乗せた舟の中から群衆に向かって語られました。そして、その失意の人々が「沖へ漕ぎ出て網を打ちなさい」と命じられるのです。彼らは空しく終わった自分たちの漁を振り返ります。同じ事を繰り返しても無駄だと知っています。けれども、彼らは自分たちの経験に従うのではなく、イエスの言葉に従うように召されたのでした。「お言葉ですから」と従った、そこに、神の恵みの不思議が現出したのです。

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