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  • 2019/03/30(土) 22:07:13
で、結局綿貫時代、12年、志津霊園問題が全く解決せず水道道路は西志津で分断されたまま。
さらには伝統ある印旛沼花火大会も中止にするという(一概に彼のせいとはいえないが、、)暴挙。
なぜか市の借金も増え続け、何もしない市長として名を残すことになる。


3期で鹿山会政権が終わり蕨氏が当選し、ほどなく花火大会は復活、志津霊園問題もあれまと解決した。
ほんとうに今までなにやってたんだろう・・・

ただ、このようなリーダーシップを先日の望月市議も言ってる通り、「ワンマン」「暴君」と変換されるのもしばしば。
それでも2期までは議会最大会派さくら会とはうまくやってた。

決定的なさくら会との決裂はやはり前回の選挙からだ。順天堂移転の利権を巡り決裂した。
しかし、蕨さんは順天堂とも◯万ともなんかなかよくしちゃって、結局さくら会は立場がなくなったのかもしれないね。
選挙の時に、蕨氏をディする怪文書がばら撒かれたりなかなか楽しかったぞ。

市役所職員から嫌われてるって上でかきこまれてたが、今日とある職員に聞いた話では、綿貫さんのときと違って、
自分でハンコおしたものには、きちんと責任をとってくれる。
(綿貫さんは、決裁のハンコおしながら、うまくいかなかった時、だれが決めたんだ!って叱責してたとのこと)
蕨氏はそもそも名家の金持ちだからそんなに金で動くような人ではない。
名門蕨家に傷をつけることなく、地元佐倉でこんなことをやった市長だと自信を持て名を残すことを考えてるんでは?
とのことだった。

やり方は親方気質でトップダウンと言われるが、それはリーダーシップと紙一重だよね。

木倉、岩渕、堀田と名誉職の感が強かった歴代佐倉市長と比べ、実務的な市長であることは確かだ。
川向こうの市長も初めてだ
(川向こう:旧佐倉町のひとたちは、鹿島川より西、臼井や志津地区のことをこういう)

ここまで見た

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