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  •  
  • 2016/06/27(月) 11:36:25
>>4
あたしの小学校時代(昭和45年から51年)では同じクラスの仲間や友人なんかを
見ると兄弟姉妹は二人、という人達が圧倒的に多かったように思う。三人という人達も
いたけど二人に比べたら少なかったかも?
四人というのは滅多にいなかったわね
五人という人もクラスに一人だけいたけどこんなのは特例中の特例だったけど。
で、結論は一番多い兄弟姉妹の数は二人だったのではないか。

当時は、南小学校は市内ではマンモス校だとか云われていたがそれぞれの家の子供の数が
多くて子供の数が多くなっていたというよりも南小学校のあった住吉という場所の立地が
良かったからその周辺に沢山の家が出来て人が集まりそうなったのだと思ってる。
それに昭和46年頃は、西は荒幡や山口地区から、東は新秋津駅近くの北秋津に住む人達も
南小学校へ徒歩で通っていたくらいだったのですから。
その後、泉小や荒幡小それに北秋津小が開校して荒幡山口北秋津の子供達はそれぞれ
近くの小学校へ通う様になりましたがね。
昭和45年から51年までで南小の生徒数は常に1400人以上いたのではないか?

それからあたしは、おばさんではないので。
まだまだ訂正して欲しい個所もありますが、それについては後々ゆっくりに
という事にしましょうか。

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