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  • 2013/10/03(木) 10:23:13
これで終わりにしますが
天保14年(1843)調べの「宿村大概帳」によると日光街道で最も大規模な宿場は千住宿で戸数2370軒
次が宇都宮宿で1219軒・次が古河宿で962軒・次いで越谷宿が1005軒:幸手宿は962軒で堂々第5位に入っています。
日光御成道で一番の岩付宿が778軒なのですから当時の幸手が如何に存在感があったかを示しています。
明治初期の陸軍が出した地図でも幸手の西の方は街らしい街はありません。
幸手市はもう少し頭を使って昔の輝きを取り返さなければなりません・・・。

ここまで見た

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