facebook twitter hatena line google mixi email
★お気に入り追加


  • 283
  •  
  • 2011/02/04(金) 09:53:56
276さん、東北線が小山経由になった訳を教えよう。

明治の初めころ東京から東北方面に鉄道を敷く計画の時に、まずはじめに上野
からの現高崎線(上越線)のルートが決まり、東北線は熊谷から分岐して足利
・佐野経由で宇都宮につなぐ案であった。
これは、当時の両毛地区(足利・佐野他)は養蚕・繊維産業が盛んだったから
当時の両毛地区の要望で起案された。
しかし、このルートは幻に終わり現在の宇都宮線(東北線)になった。
その理由は簡単明瞭だ。東京と東北地方を結ぶのが目的なので「最短ルート」
を取ったという訳だ。地図をみれば誰でも今のルートを選ぶだろう。

舟運があるので栃木が反対したから小山に行ったなんてことはウソ。
むしろ、足利・佐野の先人たちのほうがガッカリだったということ。

ここまで見た

★お気に入り追加

このページを共有する
facebook twitter hatena line google mixi email
おすすめワード