水戸の歴史 Part 7 [machi](★0)
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- 2010/06/27(日) 09:41:58
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>>49
今の信願寺は緑町ですが、江戸時代の初め頃は今の栄町の南東付近にあったそうです。
元の信願寺は天和元年(1681年)の火事で移転しましたが、地名は変わることなく、
信願寺町(しんがんじちょう)の町名は1967年の住居表示で廃止になるまで三百年以上使われて
いました。信願寺町の場所は他の旧町名と同じく石碑があるのですぐ解りますが、今の山口楼の
通りと言えば解りやすいでしょうか。栄町通りと大成女子高の前の通りの間で、夜になると
飲み屋の客や代行の車でごった返すことろです。信願寺町は住居表示の結果、バラバラにされて
栄町と大工町と泉町と五軒町に分断されました。
ちなみに裡信願寺町(うらしんがんじちょう)というのもありましたが、これは山口楼の
南側のやや細い通りで鰻亭、ぬり屋、中川楼などのおいしいウナギを食べさせる料亭が
軒を並べるあの界隈です。
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