水戸の歴史 Part 7 [machi](★0)
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- 2010/08/05(木) 20:38:04
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水浜電車さん!さすがです。水戸駅前を出て、途中急カーブで左折、右下に
水戸黄門こと義公さんこと光圀さんの生誕地の小さな石碑を見て、坂を上り
水郡線を見下ろす高い鉄橋を渡り・・・・でもその頃は、柵町、三高下、
一高下なんてあったかなァ〜?でも、この辺りの私の一番記憶に残っている
のは、やはり艦載機の空襲のことです。当時旧制中学一年生で、勉強しないで
酒門の山?に兵隊さんと横穴掘りをしておりましたが、その酒門に行くのに
水浜電車を使いました。ちょうど水郡線を渡って、戦後に出来たと思われる
一高下辺りで、艦載機に襲われ機銃掃射を受けました。ちょうどあの辺は崖下
でしたので、丁度その崖に、防空壕が掘ってあり、その穴に逃げ込みました。
千波湖の畔で艦載機に狙われた時と同じ、怖かったァ〜〜!
東柵町の辺りに今のケーズ電器の本家である加藤電器屋さんがあり、井熊羊羹
の工場があり、本一丁目の急カーブ、丁度そこに常陽銀行下市支店がありましたね。
本五丁目が曲の手に急カーブ、本一丁目と本五丁目の間に本三丁目があったんですね。
稲石肉屋さんだったかありましたね。渡辺写真屋さんもその辺でしたね。あの有名な
俳優さんご夫婦。浜田までの間に二軒ほど映画館がありました。
あの様な急カーブを曲がれる電車ですから、小さいボディーなのは当たり前ですね。
曲がるとき、車輪とレールの擦れる音が大きかった。あの音はどんな風に表現したら
判って頂けるでしょうか?
今日は水浜電車の一部の思い出を書いてみました。
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