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  • 2010/03/01(月) 13:45:17
松戸市の本土寺の過去帳に戸塚の本行寺の開祖や戸塚城の城主「小宮山氏」の一人や
根岸の妙蔵寺を中興した人の没年が記されている。その人々は皆、「鳩ヶ谷郷にて卒」
と書かれている。
彼らの没年は1400年代から1500年代の境目あたりで、その時代は現在武蔵野線の走っているあたりから南側
芝川と綾瀬川に挟まれた地区までが「鳩ヶ谷」だったのだろう。
しかし、戦国時代、江戸城へ進出してきた「北条氏」と岩槻城の「太田氏」との勢力との中間地であったため、
争奪の地となり、恩賞として分割されたりとかで、縮小していった。
分割・縮小が「鳩ヶ谷」の運命ならば、川口に吸収されることも運命なのだろう。

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