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  • 2009/11/23(月) 11:26:29
大正10年、横須賀海軍航空隊に所属する臨時海軍航空術講習所を開設、翌大正11年、「霞ヶ浦海軍航空隊」として独立した。安定した気候と既存鉄道沿いで都心に近く、そばに霞ヶ浦が有ったから。(因みに常磐線は明治29年に土浦田端間開通)阿見原は陸上班、後の予科練、霞ヶ浦沿いは水上班とされており、当時の阿見原の上空からの写真を見ると広大な敷地に格納庫がポツンと有り、当時の飛行船の操縦性の難しさと、使用していた水素の危険さが伺える。阿見原の押収格納庫はツェッペリンが飛来する前から国産飛行船の基地となっていたそうです。

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