【モンシェリー全盛】1980年代の上尾市を語る【上尾高校甲子園出場】 [machi](★0)
-
- 32
- 2009/03/22(日) 13:51:35
-
そういえば上新も北上尾の西口に出店していた時期がありましたね…。
>小針内宿、高虫を経由して菖蒲上町までもバスがあったね。これは赤字。
この系統、いくら調べても出てこないんですよ。
蓮田から高虫までは元々は太平自動車という地場の会社がやっていたのですが、
昭和34年に国際興業に事業売却、昭和40年代前半まで国際興業が運行していたものを
浦和市内とのエリア交換で東武に譲渡したという経緯があります。
伊奈から菖蒲や蓮田に抜ける系統と言うのはあってもおかしくないのにあったという資料が見つかりません。
今では伊奈高校から蓮田に抜ける路線がある他、朝日バスが回送でよく通っていますね。
大宮〜鴻巣間というのは大52系統のことでしょうか。
昭和30年代には熊谷担当で熊谷〜大宮・浦和間の運行、上尾担当で区間便的に今の大51系統やかつての浦33系統が
あったような状況だったのですが、熊谷の運行が上尾車庫で打ち切られるところから複雑化します。
熊谷担当で鴻巣から吹上までの間を旧道経由で行くのが熊08、新道経由で行くのが熊14の系統番号をもらいますが
しらこばと団地には寄らず、上尾担当で上尾車庫〜しらこばと団地と言う短距離路線が出来ます。
しばらくして分断する場所を上尾車庫から鴻巣駅入口に変更し、熊谷担当で大宮〜鴻巣、鴻巣〜熊谷という系統が出来ます。
この時期にしらこばと団地の区間便は廃止され、鴻巣行きが寄るようになります。
その頃に羽生や加須での路線廃止で余力の出来た加須が担当で宮原〜鴻巣という微妙な系統が生まれます。
上尾駅東口再開発後にこれらを統合し加須担当の上尾駅東口〜鴻巣免許センター間となります。
それからまもなく鴻巣〜熊谷間は廃止(新道経由はかなり昔に廃止)、
何故か行田担当で鴻巣〜桶川と言う区間便が設定されることになります。
朝日転換後にそのまま加須担当で上尾・桶川〜鴻巣間で運行していましたが
北上尾のPAPAが出来たときの渋滞が引き金で乗客が減り、この系統の存在意義がある北本南部に集中させるため
全便が桶川発となり現在に至ります。
このページを共有する
おすすめワード