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  • 30
  •  
  • 2009/03/21(土) 23:34:23
>>29

第一家電とダイイチ電器(電気?)という紛らわしく、それでいてまったく系列でない
電器店が2店あった。お互いに値引き合戦で争っていて、修理を頼む際には
どっちの店で買ったか忘れた客が、いつも間違えたほうを呼んだりと混乱を招いていた。

レイトショーだけかかる「プリンス」ね。
ボロボロの木造から大出世してビルになったのが驚きだったけど、すぐつぶれた。
時はレンタルビデを全盛時代だったからね。今の歌広場。

伊奈町が陸の孤島だった時代、六道・伊奈役場はドル箱だったが、
小針内宿、高虫を経由して菖蒲上町までもバスがあったね。これは赤字。
東大宮〜がんセンターや、大宮〜鴻巣線(中山道経由)も1時間に1本強あった。
末期の運賃でも、大宮〜鴻巣は270円だったような(80年代前半)
安かったが時間がネックで通して乗る人などいなかった。
ただ「まるひろ」の女性の車体広告と「エルビー」の車内広告が大好きだった。

ここまで見た

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