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  • 2009/09/07(月) 19:52:11

いや、期待にそむいて悪いがおじさんも子供だったので、店や建物の名前など
詳しく覚えていないんだよ。

ただ、私服のGIたちが大和市民と同数くらい居た様な錯覚を起こすほど多かったのを覚えている。
米兵同士の喧嘩も日常茶飯事だったが日本人と兵隊との喧嘩や、白人と黒人との喧嘩はなかったな。
殴り合いは必ず白人同士か黒人同士だった。

喧嘩が始まると日本のオマワリが血相かえて交番に飛び込んできてMP達に「エリザベス、フアイト、フアイト!」と
片言で店の名前とともに教えてやるとMP達がすっ飛んでいく。

そして絶えず大和、座間、鶴間、南林間周辺を巡回しているジープと窓のない藤色の護送車がやってきて血だらけの3,4人を
有無を言わせず、手荒く護送車の中の放り込んでいくんだ。
捕まった連中は一週間か10日間位外出禁止で基地外には絶対に出れず、便所掃除かジャガイモの皮むきだ。

あいつらの喧嘩は日本人の猫のじゃれ合いのような喧嘩じゃなく、拳を固めてクリンチなしで殴りあうから音もすごいし
護送車が到着する頃には双方すでに顔は晴れ上がってきてるし、瞼や口、鼻をきって血だらけになっている。

それに大和のラーメン屋などで女と飯を食っているやつもよく捕まってた。
あの頃は悲しいかな「日本は不潔、不衛生」ということになっていて米軍が与えたAサインの店しか兵隊は入ってはいけないことになってたんだよ。
したがってAサイン貰った店は黄門様の印籠のように誇らしげに玄関の正面にべったっと掲げていた。

そりゃそうだよな、大和、座間、厚木、立川、横田など基地周辺の畑では、百姓が野菜の上にせっせと人糞まいてたんだもの、あれ見りゃ驚くよな。
米兵は百姓が荷車に肥えタンゴを40個くらいつんでのんびり牛に引かせてるのに出会うと「オー、ハニーバケッツ(蜜入りバケツ)カミング!」と鼻を
抑えて一斉に逃げ出したものだぜ。

おじさんの話はずっと昔の話だよ・・・。

ここまで見た

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