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  • 名無しさん
  • 2014/04/20(日) 17:30:07
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/

崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司

社家の島谷氏について、知りたいです。

豊受大神とは、=国常立命=神道最高位神で創造主の天之御中主命とも聞きます。
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  • 2014/10/06(月) 11:25:57
御中主命=国常立命(クナト大神)
・クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛(大穴持・大国主)┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                    ├阿遅須枳高日子
                                                                                    └高照光姫
・大国主命-阿遅須枳高日子命=櫛玉命・出雲建子命=伊勢津彦命=櫛瓊命・伊佐我命が同一神で・・-鹽冶毘古能命=長髄彦命-初代:神門氏の速みか之建沢谷地乃身命・・
10代:出雲臣の祖・神門阿多命=佐比祢足尼命・・11代:神門振根命=日本武命・・12代:神門藍手命=神門伊賀曽熊命・・建部氏(武部)・出雲(神門)笠夜命・・島津(志摩)国造家の斯摩・志摩・島(直)氏の島族・・
埼玉苗字辞典のシ行
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六~三七五年)に献上する。


古川淸治委員長講演(28年号)2演題概要
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

伊邪那岐命の十握剣から生み出された人間が・・神門氏・武部氏・武内宿禰・蘇我氏・島族だった・・。

台与の時代は、兵庫の元伊勢に崇神天皇が豊受大神を祀って、台与の摂政と成って居た。
豊受大神を祀る、各地に在る真名井神社の伝承地の元伊勢は、比沼(比冶)麻奈為神社が最古で、崇神天皇が建立した当時の神社。
崇神天皇の子女:渟名城入媛命が司祭を務めた(実際は、華奢で務まらなかった)神社。
崇神天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87
渟名城入媛命の母方が、尾張氏だったので、後の雄略天皇が建立した
天橋立 元伊勢 籠神社外宮、真名井神社の司祭に尾張・海部縁筋の度会氏が司祭と成った。
現代の元伊勢 比沼麻奈為神社の司祭は、明治に大国主命の曾孫に当たる神門氏の子筋
地元島族長者の島谷氏が任命され、司祭を務めている。

神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。
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  • 2014/10/06(月) 11:26:34

・日本武命(倭健命)=出雲振根命(神門振根命)の子筋に、神門氏の武部氏・武内宿禰と葛城襲津彦親子・斯摩宿祢(千熊長彦)の島津(志摩)国造家の島(司馬)氏島族。
※武内宿禰の裔、紀氏の波多・角・巨勢・蘇我氏で蘇我稲目の子、蘇我馬子=島大臣(島の庄)その子、蘇我刀自子郎女。
・新羅建国の脱解王の王子、幼名:斯摩が新羅の国名の一字、斯→新とした。
・代25代の百済王=武寧王は、倭の九州で産まれ倭名で「斯摩王」と名乗る。
斯摩王から4代後、白村江の戦い後、、倭史・和史を名乗った百済王は、神門氏を頼り、渡来している。
武内宿禰の一族とし渡来し、蘇我と近縁として渡来した様だ。

みやざきの神話と伝承101:神門神社と百済王伝説
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/chiiki/seikatu/miyazaki101/shinwa_densho/013.html
百済王伝説
http://www.geocities.jp/cahierdusud/history/np-kudara.html
武寧王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B
大学講義:歴史(古代史) 百済・武寧王は、武内一族
http://momohahamatmkanehara.blogspot.jp/2012/08/blog-post_1177.html
百済の武寧王は生まれも育ちも日本!! 会員番号4153番
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/115.html
百済中興の主、第25代武寧王の謎
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2004_02_01.htm
三日月城通信 - 斯麻王(百済武寧王)考
http://www26.atwiki.jp/crescent_castle/pages/149.html
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  • 2014/10/15(水) 16:59:27
>>25もとい
御中主命=国常立命(クナト大神)
・クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛(大穴持・大国主)┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                    ├阿遅須枳高日子
                                                                                    └高照光姫
・大国主命-阿遅須枳高日子命=櫛玉命・出雲建子命=伊勢津彦命=櫛瓊命・伊佐我命が同一神で・・-鹽冶毘古能命=長髄彦命-初代:神門氏の速甕之建沢谷地乃身命・・
10代:出雲臣の祖・神門阿多命=佐比祢足尼命・・11代:神門振根命=日本武命・・12代:神門鹽手命=神門伊賀曽熊命・・建部氏(武部)・出雲(神門)笠夜命・・島津(志摩)国造家の斯摩・志摩・島(直)氏の島族・・
埼玉苗字辞典のシ行
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六~三七五年)に献上する。


古川淸治委員長講演(28年号)2演題概要
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

伊邪那岐命の十握剣から生み出された人間が・・神門氏・武部氏・武内宿禰・蘇我氏・島族だった・・。

台与の時代は、兵庫の元伊勢に崇神天皇が豊受大神を祀って、台与の摂政と成って居た。
豊受大神を祀る、各地に在る真名井神社の伝承地の元伊勢は、比沼(比冶)麻奈為神社が最古で、崇神天皇が建立した当時の神社。
崇神天皇の子女:渟名城入媛命が司祭を務めた(実際は、華奢で務まらなかった)神社。
崇神天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87
渟名城入媛命の母方が、尾張氏だったので、後の雄略天皇が建立した
天橋立 元伊勢 籠神社外宮、真名井神社の司祭に尾張・海部縁筋の度会氏が司祭と成った。
現代の元伊勢 比沼麻奈為神社の司祭は、明治に大国主命の曾孫に当たる神門氏の子筋
地元島族長者の島谷氏が任命され、司祭を務めている。

神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。
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  • 2014/10/19(日) 11:24:37
古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=速甕之建沢谷地乃身命
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  • 2014/10/19(日) 11:38:25
>>273
事代主命の直系、向家・富家旧家伝では・・
古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美命=速甕之建沢谷地乃身命は、大国主命の曾孫。
鳥鳴海命の孫、国忍富命の子と成って居るが、実際は、阿遅須枳高日子命の孫で、鹽冶毘古能命=長髄彦命の子。
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  • 2014/11/26(水) 00:39:30
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
大社と向家文書 出雲と蘇我大国 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books/about/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E3%81%A8%E8%98%87%E6%88%91%E7%8E%8B%E5%9B%BD.html?id=38ixNAEACAAJ&redir_esc=y

出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false
真説日本古代史: 通説を覆す「逆転」の発想  著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books/about/%E7%9C%9F%E8%AA%AC%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E5%8F%B2.html?id=uzyed_yP2N4C&redir_esc=y
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  • 2015/01/10(土) 21:22:59
四道将軍の武渟川別が出雲(神門)振根を討った時代だから、四道将軍の後裔たちの手で征伐した。なら・・
その同時期に、出雲(神門)振根時代なら、南関東の蝦夷とは・・散自出雲の神門家と向家・富家の先住出雲族の事になる・・

その頃には、既に、出雲の杵築大社の神門家と熊野大社の向家・富家の一族が、南関東の国造家として任命されて居る時代・・
神門家の子、武内宿禰の時代でもあるそうだ。
散自出雲は、征伐や暗殺を恐れ、神門臣家を名乗らず、天穂日の千家筋を名乗って生き延びたとされている。
向家・富家も天穂日の北島家を名乗って居る。
本来、国譲り前の先住の家柄は、、
大国主=大名持・八千矛の神門臣家
事代主=八重波津身の向家・富家
この2王家の祖が、渡来秦氏のスサノオでは無く、5000年前に渡来した、クナト(国常立)大神なのです。
因みに、諏訪家の建御名方は、事代主=八重波津身の子に成ります

本土の蝦夷とは・・南関東の国造に任じられた出雲の先住の大国主と事代主の一族と言う事で散自出雲族だったのでしょうね。
卑弥呼・台与と崇神天皇の時代・・
2世紀~4世紀の百済渡来のきっかけは、神功皇后・応神天皇の時代の三韓征伐から
白村江の戦いの敗戦による渡来、百済王族の大民族移動までを指し、神門家の子筋、島津国造家・蘇我の親類として渡来した、武蔵・千葉国造に加わった百済渡来の島族が
この頃の渡来なのでしょうね。
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  • 2015/01/10(土) 21:29:06
蘇我が蝦夷の血に拘った理由が、祖を神門臣家の武内宿禰とする紀氏の出身で、
百済渡来も、祖を武内や神門臣家の子、斯摩の島族とした居た事で、馬子が島大臣を名乗ったのも
先住一族だと意思表示してたのだろうね。
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  • 2015/01/26(月) 13:57:49
東出雲の熊野大社司祭の向家旧家伝書
スサノオ×
クナト(国常立)大神○-八島篠-布葉之文字巧為の子
八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八重波津身=事代主直系・・神門臣家は、国譲り以降・・千家家の穂日系譜入り。
深淵之水夜礼花-深淵之水夜礼花-淤美豆奴-天之冬衣-八重波津身=事代主直系・・向家・富家は、国譲り以降・・北島家の穂日系譜入り。
※八重波津身=事代主の子筋に・・-阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-初代神門臣家の速甕之建沢谷地乃身-甕主彦・・
※2八重波津身=事代主の子筋に・・-諏訪家の建御名方と登美(富)家
※3阿遅須枳高日子を櫛玉・出雲建子=伊勢津彦と南関東国造家が呼んでいるようで、鹽冶毘古能が長脛彦と言われて居たり、登美の姓なので、向家筋なのか不明。

神門臣家の子筋に・・阿多=木花知流比売-出雲(神門)振根-出雲(神門)伊賀曽熊-建部(武部)氏と出雲(神門)笠夜・・島津(志摩)国造家の島氏(斯摩宿禰)(志摩・司馬)[島族](古代南関東国造家の[三字以音]散自出雲)・母系神門臣家の武内宿禰。
※阿遅須枳高日子と宗像三女神の多岐理姫の子が鹽冶毘古能-神門臣家
※2阿遅須枳高日子の娘・・母系で鴨氏・三輪氏

向家・富家の子筋に・・飯入根。古代南関東国造家の[三字以音]散自出雲や蝦夷が居る。
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  • 2015/01/26(月) 14:33:31
※武内宿禰の父が、スサノオ(ニギハヤヒ・火明)と紀国造家の姫・山下影日売とあるが、実際は、五十猛と紀国造の母が、神門臣家の大屋姫との子なので、末代が蘇我を名乗ったようだ。
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  • 2015/01/26(月) 14:43:25
クナト大神から大国主・神門臣家と事代主・向家の分岐した代の共通の親神が・・布葉之文字巧為
神門臣家と宗像家の分岐した代の共通の親神が・・八束水臣津野
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  • 2015/01/26(月) 14:48:31
事代主=八重波津身の向家の旧家伝の系譜では、物部家・・海部家も神門臣家の分家と成っている。
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  • 2015/01/26(月) 14:53:46
>>36
母系で・・男系は、スサノオ=ニギハヤヒとニギハヤヒの子、五十猛の子。
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  • 2015/01/26(月) 14:56:10
ニギハヤヒの子・・物部家
五十猛の子・・海部家
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  • 2015/01/26(月) 14:57:53
神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
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  • 2015/01/26(月) 15:13:24
八千矛=大国主の代に徐福(スサノオ)=ニギハヤヒが渡来し、部下が天皇家名代として穂日、天若日子が八千矛の出雲(出芽)に参事。
武力ではなく、対話姻戚で和解。
15代経て崇神天皇の時代・・出雲(神門)振根の代で、穂日の一族がニギハヤヒ軍を引き連れて、西出雲を攻撃。
西出雲地域・杵築大社を乗っ取る。
この長き期間の出来事を、国譲りとしている。
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  • 2015/01/26(月) 15:19:42
神武天皇が架空でなけねば
甕主彦の代辺りが、神武天皇兄弟の東征の時代に当たるようだ。
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  • 2015/01/26(月) 15:20:50
>>41もとい
神武天皇が架空でなければ
甕主彦の代辺りが、神武天皇兄弟の東征の時代に当たるようだ。
ここまで見た
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  • 2015/04/03(金) 18:07:35
更新
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htmの下に・・

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より

出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。

穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命-八島士奴美神(八島篠)-布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)-⑤深淵之水夜礼花神-淤美豆奴神-⑦天之冬衣神-大国主神-⑨鳥鳴海神-⑩国忍富神-⑪速甕之多気佐波夜遅奴美神-⑫甕主彦・・

向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)

・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑤深淵之水夜礼花-淤美豆奴-⑦天之冬衣-八重波津身(事代主)-⑨鳥鳴海-⑩国忍富-⑬田干岸円味-⑮布忍富取成身-⑯簸張大科戸箕-弩美宿祢-飯入根

神門臣家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-
⑥八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-⑧八千矛(大穴持・大国主)-伊佐我(伊佐波)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-⑪速甕之建沢谷地乃身-⑫甕主彦-⑭身櫓浪-⑰遠津山崎帯(佐比祢足尼?)-⑱振根=倭健(日本武)?-伊賀曽熊(鹽手?)の子↓
建部(武部)・斯摩宿禰(志摩・島-島谷(散自出雲族?))
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  • 2015/04/03(金) 18:18:12
宗像家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑥八束水臣津野-吾田片隅-田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福の后。)
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  • 2015/04/07(火) 22:39:49
更新修正。
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm

古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より

出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。

穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命-八島士奴美神(八島篠)-布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)-⑤深淵之水夜礼花神-淤美豆奴神-⑦天之冬衣神-⑧大国主神-⑨鳥鳴海神-⑩国忍富神-⑪速甕之多気佐波夜遅奴美神-⑫甕主彦・・

向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)

・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑤深淵之水夜礼花-淤美豆奴-⑦天之冬衣-八重波津身(事代主)-⑨鳥鳴海-⑩国忍富-⑬田干岸円味-⑮布忍富取成身-⑯簸張大科戸箕-弩美宿祢(野見宿禰)-飯入根

神門臣家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-
⑥八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-⑧八千矛(大穴持・大国主)-伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-⑪速甕之建沢谷地乃身-⑫甕主彦-⑭身櫓浪-⑰遠津山崎帯-⑱振根=倭健(日本武?)-伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島-島谷(散自出雲族?))

宗像家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑥八束水臣津野-吾田片隅-田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。
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  • 2015/05/20(水) 01:39:49
素戔嗚尊(牛頭天王)・(天若日子(七夕・牽牛))・(忌部氏(賀茂氏・伊勢中臣氏)始祖)・・饒速日・彦火明(物部氏(天皇家)・尾張氏始祖)→五十猛(香語山)→天村雲(海部氏・多氏始祖)
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  • 2015/09/11(金) 20:15:45
武内(建内)宿禰(葛城宿禰)=斯摩(島・志摩)宿禰(千熊長彦)
蘇我馬子(司馬宿禰)=島大臣
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  • 2015/09/13(日) 00:03:04
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm

日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。

出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
大社と向家文書 出雲と蘇我大国 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books/about/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E3%81%A8%E8%98%87%E6%88%91%E7%8E%8B%E5%9B%BD.html?id=38ixNAEACAAJ&redir_esc=y

出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false
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  • 2015/10/26(月) 02:31:53
古代 出雲の国譲り前後の先住出雲族と渡来出雲族

・先住出雲族・西出雲の神門臣家(建部(武部)・(島津)志摩国造家の島氏(=斯摩宿禰(千熊長彦)=武内宿禰(葛城宿禰)・東出雲の向家(富・登美・鳥海家)・・その志摩国造家の子筋にあたる南関東国造家=散自出雲の島姓一族。)
※国譲り時の最後の旧出雲大社(杵築大社司祭の出雲(神門)振根=倭健(日本武))・・その司祭家の証・神宝の神度剣(天之尾羽張剣・大量剣・十握剣)
・渡来出雲族(天穂日(千家筋)・天若日子の子孫、饒速日=天火明(太玉)(和田(鈴木)・八岐大蛇族・忌部(斎部・森姓一族)・尾張(熱田大神の熱田)・十猛(香語山)の子、天村雲を祖とする海部(度会)・伊勢の中臣)
※天照が第2子の天穂日の一族・・第3子の天津彦根(龍神)=天若日子(七夕の牽牛・天稚彦・天狗神の天邪鬼)・天村雲=八岐大蛇族の草薙剣・・
 天若日子を牽牛=牛頭天王(スサノオ)とした時、饒速日≒スサノオとし、同族の八岐大蛇族・忌部にあたるのが、饒速日に裏切られ、百済の温羅とされ討伐された・・天日槍の出石族・出石神社司祭家・神床氏の一族が、八岐大蛇族の忌部(斎部・森姓一族の総本家では・・?)
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  • 2015/11/10(火) 18:49:11
天照
第一子・・(新羅系)天忍穂耳・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・神武帝筋・・
第二子・・(新羅系)天穂日・・千家・北島家
第三子・・(高句麗・又は百済系)天津彦根(天若日子・七夕・牽牛の天稚彦・男系、素戔嗚の系統)

天若日子・・饒速日・物部氏・弟・邇邇芸(物部印恵)=崇神帝筋・・
天若日子・・饒速日・物部氏・・和田氏・・鈴木氏
天若日子・・饒速日(天火明)・・尾張氏・・熱田氏
天若日子・・饒速日・香語山(十五猛)・・天村雲・・海部氏・度会氏
天若日子・・饒速日(徐福秦氏)・越智氏・・河野氏
天御中主(神魂・高魂)・・天照(活魂)・・天津彦根(天若日子)・天目一箇(天御影・天太玉)・・忌部(斎部)氏(八岐大蛇族)・・森姓一族
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・天日槍(出石族)・・神功皇后・応神帝(八幡神)筋・・
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・天日槍(出石族)・・神床氏
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・(高句麗・又は百済系)天津彦根(天若日子・七夕・牽牛の天稚彦・男系、素戔嗚の系統)で・・安曇(安住)氏
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・半島の朴氏

※安倍氏は、海部や安曇の系譜氏族氏姓氏族だが、東北の安倍氏自身は、先住出雲族の富 建御名方=登美 長脛彦と盲信している。
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  • 2015/11/10(火) 18:52:41
天照
第一子・・(新羅系)天忍穂耳・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・神武帝筋・・
第二子・・(新羅系)天穂日・・千家・北島家
第三子・・(高句麗・又は百済系)天津彦根(天若日子・七夕・牽牛の天稚彦・男系、素戔嗚の系統)

天若日子・・饒速日・物部氏・弟・邇邇芸(物部印恵)=崇神帝筋・・
天若日子・・饒速日・物部氏・・和田氏・・鈴木氏
天若日子・・饒速日(天火明)・・尾張氏・・熱田氏
天若日子・・饒速日・香語山(十五猛)・・天村雲・・海部氏・度会氏
天若日子・・饒速日(徐福秦氏)・越智氏・・河野氏
天御中主(神魂・高魂)・・天照(活魂)・・天津彦根(天若日子)・天目一箇(天御影・天太玉)・・忌部(斎部)氏(八岐大蛇族)・・森姓一族
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・天日槍(出石族)・・神功皇后・応神帝(八幡神)筋・・
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・天日槍(出石族)・・神床氏
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・(高句麗・又は百済系)天津彦根(天若日子・七夕・牽牛の天稚彦・男系、素戔嗚の系統)で・・安曇(安住)氏
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・半島の朴氏

※安倍氏は、海部や安曇の系譜氏族氏姓氏族だが、東北の安倍氏自身は、先住出雲族の富 建御名方=登美 長脛彦と盲信している。
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  • 2015/11/19(木) 10:21:24
クナト(国常立)大神(イザナギ神)-八島篠-布葉之文字巧為-
八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛(大穴持・大国主)-
兄:伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・弟:阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-
速甕之建沢谷地乃身-甕主彦-身櫓浪-遠津山崎帯-
崇神朝時代の杵築大社(後の出雲大社)最後の司祭:出雲(神門)振禰=倭健(日本武)-出雲(神門)伊賀曽熊の子が・・

長女:支須美の建部(武部)氏、二女:美尼布の二方国造家と、末っ子(嫡男):出雲笠夜の武内(建内)宿禰(葛城宿禰)=斯摩(島・志摩)宿禰(千熊長彦)

葛城襲津彦の葛城家の祖・・葛城宿禰
紀氏の波多氏・巨勢氏・蘇我氏・角氏の祖・・武内宿禰(千熊長彦)
島津(志摩)国造家の島氏=斯摩宿禰
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  • 2016/01/27(水) 17:59:49
・神話の出雲国譲り以前の西出雲・旧出雲大社の杵築大社の元々の司祭家・神門臣家・神代系譜
国常立大神-八島篠-布葉之文字巧為-八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛(大穴持・大国主)-
伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-速甕之多気佐波夜遅奴美-甕主彦-身櫓浪-遠津山崎帯-出雲(神門)振根=倭健(日本武)-伊賀曽熊-
建部(武部)・二方国造家・島津(志摩)国造家の島氏=斯摩宿禰(千熊長彦・武内宿禰(葛城宿禰))-
播磨の島谷氏(京丹後の社人・島谷出雲氏など・・松浦党の島谷市左衛門が有名。)・・百済渡来の島族が、南関東国造家。

小笠原諸島巡検使隊隊長・島谷市左衛門定重・見立さんの子孫に・・代々、堺で島屋を営んでいた、島屋市兵衛さんは、ユニバーサルシティーのある大阪・此花区島屋の土地を埋め立てた人。
村上水軍の島谷徳右衛門さんは、島谷汽船(株)創設者。
戦後最後の島谷汽船社長が、島谷武次さん
昭和34再興した、島谷汽船(株)は、商船三井グループに属す。
現代で有名なのは、阪急阪神東宝グループの東宝社長の島谷能成社長や
ファイザー製薬の島谷さんです。
社人では、京丹後の大宮売神社・島谷宮司さんが有名。

島谷(島屋)が、何故、全国区でなのか、判明しました。
船問屋・米問屋・廻船問屋・・そして、飛脚問屋開祖だったからです。
島屋左七・・島屋左右衛門と言う飛脚問屋が最近、ネット検索で引っ掛かり始めました。
平銀見役で氏姓氏族名鑑に出て来る島谷さんは、この飛脚問屋絡みと判明。
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  • 2016/01/27(水) 18:06:54
島屋屋号印(ファンネルマーク)の(山上)∧に上と描く記号。
で調べると・・江戸時代、最も富豪・豪商と成った、鴻池財閥も島屋を発祥にしていた事が判明。
鴻池財閥も島屋から発した財閥だったようだ。
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  • 2016/01/28(木) 06:59:52
>>54
鴻池直文さんが酒造で成功して大阪に進出して海運事業の手がける際、島屋の廻船問屋に参加したのでしょうね。
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  • 2016/01/28(木) 07:05:37
2016年1月5日のBS JAPANの新春時代劇ドラマ
山本周五郎 人情時代劇 第7話で
廻船問屋隠居 島屋喜右衛門 役:古旗宏治
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  • 2016/01/29(金) 18:50:30
兵庫県中南部に位置した、島谷村は、現在の小野市広域を指す。
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  • 2016/02/16(火) 18:02:53
藤原北家・日野流の京都十三名家の公家・柳原氏って、江戸中期の柳原則光さんが途絶え掛けて居た「百錬抄」を継承して書き連ねた人だね。
その二男の資前さんを、丹後国二宮社家の島谷家に養子に出し、
長男の家系の五代目の柳原前光さんの娘さんが、大正天皇の母君、旧姓:柳原愛子さんだったんですね。
現天皇家とこんなに近かったとは・・
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  • 2016/02/16(火) 18:13:42
>>54





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  • 2016/02/22(月) 04:25:20
>>45
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神-八島篠-布葉之文字巧為-⑤深淵之水夜礼花-淤美豆奴-⑦天之冬衣-八重波津身(事代主)-⑨鳥鳴海-⑩国忍富-⑬田干岸円味-⑮布忍富取成身-⑯簸張大科戸箕-弩美宿祢(野見宿禰)-飯入根・・菅原氏・土師氏
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  • 2016/02/23(火) 06:23:23
まとめ
本土の国造家・開拓民族は、縄文由来の5000年前に北陸から関西へ移住して来た国常立大神
国常立大神が祖の国譲り前の国津神・先住の出雲族・・
本来の出雲国造家は下記の、向家・神門臣家(宗像家含む)2家。

向家・富家
国常立(クナト)大神-八島篠-布葉之文字巧為-深淵之水夜礼花-淤美豆奴-天之冬衣-八重波津身(事代主)-鳥鳴海-国忍富-田干岸円味-布忍富取成身-簸張大科戸箕-弩美宿祢(野見宿禰)-飯入根・・↓
菅原家・土師家・・東北の開拓をしいた新羅渡来人の登美・鳥海家
※諏訪家の祖、建御名方も富 建御名方(登美 長脛彦)

神門臣家
国常立(クナト)大神-八島篠-布葉之文字巧為-
八束水臣津野-赤衾伊努意保須美比古佐倭気-八千矛(大穴持・大国主)-伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子-鹽冶毘古能-速甕之多気佐波夜遅奴美-甕主彦-身櫓浪-遠津山崎帯-出雲(神門)振禰=倭健(日本武)-伊賀曽熊の子↓
建部(武部)・二方国造家・島津(志摩)国造家の島氏=斯摩宿禰(武内宿禰)の島氏-大国主の播磨を古代から守護していた島谷氏と渡来百済人(第25代武寧(武内)王が北九州産まれで幼名を斯摩王は有名)の南関東国造家の島族(散自出雲族)
※蘇我馬子(司馬宿禰)=島大臣・・忌部氏にも、志麻名布と言う島族の祖がいる。

宗像家
国常立(クナト)大神-八島篠-布葉之文字巧為-八束水臣津野-吾田片隅-田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。

国譲りで大陸から半島経由で渡来して来た
天照(天津神(秦氏))の渡来の出雲族・・

天照
第一子・・(新羅系)天忍穂耳・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・神武帝筋・・
第二子・・(新羅系)天穂日・・千家・北島家
第三子・・(高句麗・又は百済系)天津彦根(天若日子(天狗神の天邪鬼)・七夕・牽牛の天稚彦・男系、素戔嗚の系統)
天若日子・・饒速日・物部氏・弟・邇邇芸(物部印恵)=崇神帝筋・・
      ・・    ・物部氏・・和田氏・・鈴木氏
      ・・    (天火明)・・尾張氏・・熱田氏
      ・・    ・香語山(十五猛)・・天村雲・・海部氏・度会氏
      ・・    (徐福秦氏)・越智氏・・河野氏
天御中主(神魂・高魂)・・天照(活魂)・・天津彦根(天若日子)・天目一箇(天御影・天太玉)・・出雲忌部(斎部)氏(八岐大蛇族)・・阿波忌部・・畿内・紀伊半島国造の森姓一族
大綿津見(天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・天日槍(出石族)・・神功皇后・応神帝(八幡神)筋・・
      (天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・天日槍(出石族)・・神床氏
      (天照・素戔嗚を含む)・・(高句麗・又は百済系)天津彦根(天若日子・七夕・牽牛の天稚彦・男系、素戔嗚の系統)で・・安曇(安住)氏
      (天照・素戔嗚を含む)・・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合・・稲氷(稲飯)・・半島の朴氏
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  • 2016/02/23(火) 06:26:46
>>61のつづき
古川淸治委員長講演(28年号)2演題概要
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

※この惟神の大道とは、江戸時代に始まる復古神道の教えである。
国家神道の前身となったのが、この惟神の大道で江戸後期の国学者の平田篤胤さんです。
島族・・南関東国造家=徳川家含む会津藩士。
埼玉苗字辞典のシ行
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六~三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―昕(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―昉(帯方大守)―曻(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。
大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。
日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。
司馬氏は島氏に同じ。
蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。
扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。
蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。
当地方は島岡、島田氏等が多い。
東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。
島田、島野条参照。出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。
神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。
志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。
「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。
出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。
足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。
津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。

※大国主の地、出雲族の播磨の島谷村→現在の兵庫県小野市(小野市中心部の小野市役所から富士OGMゴルフ倶楽部までの地域)の事。
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  • 2016/02/23(火) 06:35:26
>>62のつづき
復古神道
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E9%81%93
復古神道の教義は多種多様だが、概ね共通しているのは、儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想である。
神々の意志をそのまま体現する「惟神(かんながら)の道」が重視された。
復古神道は、江戸時代初期に生まれた垂加神道と同じく、時代を大きく動かしていったが、国学者たちによって、より学問的な立場でつきつめられていった神道といえる。
賀茂真淵や本居宣長らの国学者がまず古道説を唱えて体系づけ、平田篤胤や本田親徳らが、儒教や仏教を強く排斥して日本古来の純粋な信仰を尊ぶ「復古神道」を大成し、発展させていった。
復古神道は、都市部の町人のみならず全国の農村の庄屋・地主層を通じて農民にも支持され、幕末の志士たちにも大きな影響を与え、明治維新の尊王攘夷運動のイデオロギーに取り入れられることとなった。

平田篤胤
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%94%B0%E7%AF%A4%E8%83%A4

島谷出雲守
宮本町(宮津市)
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/miyamoto.html
《丹後宮津志》

分宮神社
分宮神社は宮本町(文久二年正月旧職人町改称)に鎮座し指定村社にして宮津町東半の産土神なり、
(写真参照)その勧請に就いては宮津事跡記に
分宮大明神御勧請之儀京極丹後守高広公府中一之宮に御信仰被爲在毎月御参詣被遊候處雪中又は
荒等之節御参詣難被遊に付寛永五年丑九月職人町に御勧請同十一月御遷宮其後は
一之宮之神主年々祭禮之節神事相勤候處職人町住人に
大兵衝と申者而至而実禮之者に而信仰致侯に付社内之掃除又は宮守に
被仰付其後官職可致旨被仰出当社神主と相成御領内神主筆頭に被仰付候
また宮津旧記に
分宮大明神は京極高広公御在城の砌府中一の宮へ御信仰雲中御参詣を御厭ひ
今宮津職人町の地へ御引移寛永五辰九月十一日遷宮即ち宮守には同町太兵衛と云ふ者至って信仰故に宮守となり
其後官職の儀は阿部対馬守様御取斗に依って当社の神主となり従六位島谷出雲守と改めらる。
とあれば寛永五年九月十一日藩主京極高広侯籠神社のみ霊を祀られしに濫觴すること明かなり。

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  • 2016/02/23(火) 06:38:51
>>63のつづき
現代・・
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司↓
心木神社・祭神 大月姫命(倉稲魂命)
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/akeda.html
大屋神社・祭神 木花咲耶姫命・素戔嗚命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/morimoto.html
高森(こもり)神社・祭神 億計命・弘計命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/nobutosi.html
皇大神社・祭神 天照大日霊女命・大宮比売命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/koobe.html
三社神社・祭神 迦具土命・興津彦命・興津姫命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/ikaga.html
三坂神社と干塩稲荷神社
三坂神社・祭神 伊邪那美命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/misaka.html
干塩稲荷神社・祭神 倉稲魂命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/misaka.html
若宮神社・祭神 宇賀能売命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/okuoono.html
大野神社・祭神 保食神・大荒田別神・熊野十二神・野槌神
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/kutioono.html
神職 島谷旻夫(兼)(周枳大宮売神社神職)←上記の神社を全て、兼任しているようだ。
>>1        ↑
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司

※島族=会津藩士(徳川家含む)で、徳川家か水戸光圀公が島谷氏を法王家とし
衰退して居た天皇家の代わりにしようとして居たのでは・・
徳川家(皇帝)島谷家(法王)w
明治維新政府(現在に続く・・)は、この惟神の大道・復古神道の会津藩士の白虎隊を祀った靖国神社を利用する為、島族の部分を消して
天皇家とし国家神道にしたのでしょう。

因みに・・
柳原紀光
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E5%8E%9F%E7%B4%80%E5%85%89
藤原北家・日野流の京都十三名家の公家・柳原氏は、江戸中期の柳原紀光さんの父が途絶え掛けて居た「百錬抄」を継承して書き連ねた人。
その柳原紀光さんの二男:資前さんを、丹後国二宮社家の島谷家に養子に出し、
長男の家系の五代目の柳原前光さんの娘さんが、大正天皇の母君、旧姓:柳原愛子さんだったんですね。
現天皇家とこんなに近い・・
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  • 2016/02/23(火) 06:39:49
>>64のつづき
・江戸初期
島谷市左衛門..堺出身。
徳川家家臣・島津の右腕として出島へ派遣され、出島で島屋の商いを遣りながら出島の管理を受け持つ、突然、幕命で外洋航海船の建造と、テスト航海を依頼され、後に小笠原巡検士隊隊長に任命。
小笠原諸島へ向かい、測量と調査資料をまとめ、大神山神社を建立し、寄港し、徳川三代将軍「家光」へ測量地図と調査資料を献上。
何故か、官位や報酬はなく、光圀公と交流のあった関係か、水戸藩の武家の姫君を後妻に娶る。
島谷出雲..南北朝~戦国時代で荒廃・無人化した京丹後の神社・仏閣再生のため京丹後一帯で一番古い氏族長者として抜擢され、元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社神主に任官。
島谷吉兵衛..水戸藩お抱え能のシテ方。
・江戸中期
島屋市兵衛..大阪市此花区島屋を新田開発で埋め立て事業をし、産土神社を建立した人。
最上徳内(島谷房吉→高宮元吉)..北海道巡検士。
島谷左七..飛脚問屋創業者。
・江戸後期
島谷左右衛門(姓は山中氏)..大阪で京屋と飛脚問屋を営む。
島谷子行..青森県野辺地にて廻船問屋の島屋4代目で、俳句師として有名。
島谷清五郎(芝五郎)..薩長軍に追われていた芝五郎を、青森県野辺地の島屋呉服店主が匿い、本姓の島谷と自らの名前から一文字を与えて、島谷清五郎(偽名)と名乗らせ、追ってを交わした逸話。
島谷与吉..福井県土井藩に堺より招かれ、鉄砲砲術師として定住。
・明治初期
島谷徳右衛門..北前交易に興味のあった徳右衛門は、米問屋の資格を得て、山口県岩国市で、島谷汽船(株)創設。
・昭和初期
島谷八十八..奈良県郡山の巡査。
当時、無かった剣道十段に到達し剣聖と呼ばれた人物。
昭和天皇御前試合に参加。
晩年、大陸へ満州大学の武士道講師として赴任。
島谷六郎..戦時中、日本軍事司法尉官..戦後、最高裁判事として活躍。
・現代
島谷能成さん..阪急阪神東宝グループの東宝社長。
島谷宮司さん..京丹後市の大宮売神社宮司や他京丹後市の複数の神社の神主・司祭・祠掌・宮司・官職を兼任。
東京国立博物館の島谷弘幸副館長。
公益財団法人ファイザーヘルスリサーチ振興財団理事長 島谷克義
※島谷汽船㈱の島谷徳右衛門さんの屋号印(ファンネルマーク)は、(山上)∧に上と描く記号。
∧ ⌒
上 上
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  • 2016/05/25(水) 13:59:11
大自在天(シヴァ神)=国常立(クナト)大神・・大黒天(大国主神)・・出雲(神門)振禰(倭健・日本武)・・斯摩(武内)宿禰・・島津(志摩)国造家の島氏・・播磨国・丹後国・京丹後国の古代氏族、島谷氏と百済渡来王族の島族(散自出雲)=会津藩士。
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  • 2016/06/21(火) 10:58:00
>>200
西出雲の旧杵築大社(今の出雲大社)旧司祭家・神門臣家ゴウドジンケの一族神代系譜

インドのヒンドゥー教の大自在天=破壊と再生のシヴァ神・・古代中国の大黒天・・日本の古神道の国常立大神クナトオオカミ=イザナギ神-八島篠ヤジマザサ-布葉之文字巧為フハノモジクヌス-
八束水臣津野ヤツカミズオミツノ-赤衾伊努意保須美比古佐倭気アカフスマイヌノオオスミヒコサワケ-
八千矛ヤチホコ(大穴持オオアナモチ・大国主オオクニヌシ)-
伊佐我イサガ(伊佐波イサワ)=出雲建子イズモタケコ(伊勢津彦イセツヒコ)の弟の阿遅須枳高日子アジスキタカヒコ-
鹽冶毘古能ヤムヤヒコノ-速甕之多気佐波夜遅奴美ハヤミカノタケサハヤジヌミ-甕主彦ミカヌシヒコ-身櫓浪ミロナミ-遠津山崎帯トウツヤマサキタラシ-
出雲(神門)振禰フルネ=倭健(日本武?)-伊賀曽熊イカソネの子↓
建部(武部)タケベと二方フタカタ国造クニノミヤツコ家に
島津シマヅ(志摩シマ)国造家の島シマ氏=斯摩宿禰シマシュクネ=武内宿禰タケウチシュクネの事→島氏の子-播磨国・丹後国・京丹後国の古代氏族の島谷氏シマガヤシと
百済渡来王族の南関東国造家の島族シマゾク(散自出雲族サンジイズモ?)

東出雲の熊野大社現司祭家の向ムカイ家・富トミ家の一族神代系譜

国常立(クナト)大神-八島篠ヤジマザサ-布葉之文字巧為フハノモジクヌス-深淵之水夜礼フカフチノミヅヤレハナ-淤美豆奴オミヅヌ-天之冬衣アメノフユキヌ-八重波津身ヤエハツミ(事代主コトシロヌシ)-
鳥鳴海トリナルミ-国忍富クニオシトミ-田干岸円味タボシキシエミ-布忍富取成身フセトミトリナルミ-簸張大科戸箕ヒワオオカドミ-弩美宿祢ノミシュクネ(野見宿禰)-飯入根イイイリネ・・↓
菅原スガワラ家・土師ハジ家・・東北の開拓をしいた新羅渡来人の登美・鳥海家
※事代主の子の1人が諏訪スワ家の祖、建御名方タケミナカタも・・富 建御名方トミ タケミナカタ(登美 長髄彦トミ ナガスネヒコ)と言う。

神門臣家からの分家だった宗像ムナカタ家・和邇ワニ氏
国常立(クナト)大神-八島篠-布葉之文字巧為-八束水臣津野-吾田片隅アタカタスミ(阿多とも書き、=木花之佐久夜毘売が有名、邇邇芸(崇神天皇=物部印恵)の后)-多紀理姫タキリヒメ・多岐津姫タキツヒメ・市杵島姫イツキシマヒメ(宗像3女神。)
※多紀理姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。
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  • 2016/09/24(土) 20:42:44
島谷市左衛門や島谷子行のときは、しまや
最近の著名人は、しまたに

が各々多いけど、読み方で本傍流とかなし?
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  • 2016/10/01(土) 07:08:21
賀茂氏に関して・・
賀茂氏は、役小角や東漢氏の出身姓で、三輪氏地祇系氏族に成りますが
あの地域の成りたちでは葛城の一族なのか富の一族なのか、阿波国造の子筋の森氏姓一族なのかルーツは不明だが
大和の地を開拓したのは、森(三木)氏姓の一族で、一族の神官=王が物部氏開祖の饒速日だったと言う事。
大物主=大国主なのか・・事代主なのか・・饒速日だったのか不明だが、大和=奈良は古代から渡来人の土地なのは
素戔嗚の子の五十猛が大陸から持って来た、松竹梅や桜の木を植えた地のなので、紀(木)州・紀(木)氏が因んで氏姓を発祥。
一説には、素戔嗚が新羅渡来なので、新羅(白木)氏の木の文字を取って木の属性姓としたとも言われて居ます。
紀氏の子・孫筋に、林や波多(羽田)・蘇我(曽我)氏が居ますが蘇我の名の由来が、出雲大社の素戔嗚を祀る素鵞社(そがのやしろ)に発した姓だと言う事。
と言う事を感が観ると・・賀茂氏は、渡来系ルーツで大国主に姻戚の饒速日の祖・天若日子系譜なのでしょう。
出雲忌部氏の八岐大蛇族発祥の阿波国造の忌部(斎部)氏の三木(森)氏や忌部氏の子筋の尾張氏や伊勢・中臣氏
と天若日子の孫の饒速日・・
※天若日子(天津彦根)=七夕の牽牛・天稚彦(牛頭天王?)=天狗神(素戔嗚の子、天邪鬼)と言い伝えのある人物で=最初に渡来した初代の徐福の可能性ありで
素戔嗚のモデルは、徐福が渡来自に共に渡来して居た徐福の父、徐猛の可能性が大。
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  • 2016/10/14(金) 07:08:50
>>69
①葛城氏の三輪山の巫女と成った倭姫(卑弥呼)の母系繋がりが濃厚だが
②大和国の開拓に入った、阿遅須枳高日子の妹、下照姫を娶った天若日子→
出雲忌部→阿波忌部(三木氏)→畿内・紀伊半島開拓の森氏姓一族の可能性・・。
③天若日子の孫筋の饒速日の子筋・・饒速日の子の宇麻志麻治には、和田氏
饒速日=猿田彦説だと・・子孫が・・宇治土公氏になります。
※今の経津主(布都主)と武甕槌(建御雷)の祖神、布都御魂(大歳神)の孫にあたる同族に饒速日は、実は、白龍(ミシャクジ)の化身で
龍族な事から、天孫本紀の物部氏系譜検証で天若日子(天津彦根)系譜と解り、子が天目一箇(経津主)で、孫神に饒速日が居たからです。
また、同族の高倉下が=香語山(天日槍)と言う説もあります。
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  • 2016/10/14(金) 07:22:57
>>68
社家・・シマガヤ
宗家・・シマヤ
関西では、シマタニ
関東では、シマヤ
です。
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  • 2016/10/25(火) 22:01:56
京丹後の神社には・・島谷神主が多いっ
これは南北朝時代、元伊勢の蘇我氏社家と今伊勢の官職中臣氏の衝突で
元伊勢側が負けて、一族が佐渡島へ島流しにされ、物部系の神社関わらなかったので荒廃を免れ
蘇我系神社が江戸初期まで放置された神社群を、京丹後で最も古い家柄・・元出雲時代からとされる一族を
宇多源氏(別称:出雲源氏)の京極家が探し出し、江戸初期の大坂城城主の一族に紹介したのが、島谷家でした。
一族の代表の者に、島谷出雲守と命名し、京丹後一帯の神社を復古神道の元、復興させました。
※元伊勢と元出雲の重なっており、これは、出雲国譲りが原因です。
元出雲地域は、播磨国~丹後・京丹後国までの地域で、京丹後に崇神天皇が元伊勢(比沼麻奈爲神社)を建立した為である。
今の有名な元伊勢 籠神社は、雄略天皇が建立したので随分後の神社に成ります。
島谷一族は、現在までの400年間、京丹後一帯の神社を守ってきました。
島谷一族の言い伝えでは、島谷家の祖は、島氏として居ます。
島氏は、蘇我氏、藤原氏、源氏、平氏、各地風土記・日本書紀を編纂した舎人親王の子筋にも居ますが、古代の島氏と言うと・・
大国主直系とされる、神門臣家の子筋に、島津(志摩)国造家の島(直)氏=(斯摩宿禰=武内宿禰)ガ居ます。無論、神門臣家=出雲臣なので出雲族出身です。
大国主が幽閉された出雲国の神門臣家・・自らが国を開いた志摩国国造家の斯摩(島)宿禰・・その子の島谷家が元出雲に定住し続けた形です。
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  • 2016/10/25(火) 22:09:51
>>72追記。
>江戸初期の大坂城城主の一族・・

※江戸初期の大坂城城主の一族とは・・徳川家譜代の阿部家です。
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  • 2016/10/25(火) 23:38:59
全国に居る島谷(社家:嶋谷)氏(宗家:島屋)ですが
コレは江戸時代、宗家の島屋の一族が
米問屋・船問屋・飛脚問屋・廻船問屋を営んでいたので、流通ともに全国へ広がったからです。
宗家:島屋氏の歴史は南北朝時代、足利尊氏嫡男、足利冬直が、父や一族の北朝寄りに対し反感を持ち
南朝に就き、倭寇を結成する為、家臣の大河内氏に命じ、松浦党結成を命じ、大河内氏の命で島谷氏が、嵯峨源氏松浦氏を無論
その領内の漁民や毛人にも交渉し、松浦党を結成に尽力したとの事。
江戸時代の島屋を営んでいた、島谷市左衛門さんが松浦党員だったのは、こう言う代々の党員だったかららしいです。
屋号印は、徳川御用達の山に上の山上印。
この山上印を使った者が、明治初期の村上水軍出身の島谷徳右衛門さんで、山口県岩国市で島谷汽船㈱を創業。
昭和初期の太平洋戦争の戦時中、島谷汽船㈱は、三井船舶㈱と軍の命令で、強制合併。
江戸初期の島谷市左衛門・・小笠原諸島巡検使隊隊長、(父島に大神山神社建立。)
江戸初期の島谷吉兵衛・・水戸藩で能のシテ方
江戸中期の島屋市兵衛・・大阪市此花区島屋を新田開発で埋め立てた人(産土神社建立・・産土神=国常立大神の事です。)
江戸中期の島屋左七・・飛脚問屋のち、島屋左右衛門と言う飛脚問屋と成る。
江戸中期の最上徳内・・北海道の最も古い記録をした巡検使隊員。(島谷房吉→養子に出され、高宮元吉・・宗家の島屋を頼り、本多塾で測量を学び
本多の本姓、最上の名字帯刀され、最上徳内と名乗る。)
幕末期・・広島藩の島谷武兵衛という島屋が、尊王攘夷派を支援。
幕末期・・薩長に大坂陥落、鴻池筆頭の豪商に名を連ねた島屋も戦備品調達の為、資材を全て薩長軍に召し上げられ没落。
幕末期の島谷子行・・俳人。青森県野辺地の島屋呉服店を営む。その子か孫の代に戌辰戦争が起こり、江戸から逃れた芝五郎が島屋へ辿りつき
島屋に匿われ、島谷清五郎と名乗り、薩長の追ってを交して、田辺部にて、芝五郎に戻り、北海道を目指し、五稜郭で会津藩士初の陸軍大将栄達と成る。
維新戦争当時の薩長派の島谷(島屋)と中立の近畿の島谷(島屋宗家)、会津藩士側の水戸藩就きの島谷(島屋)が居たのですね。
社家・・シマガヤ
宗家・・シマヤ
関西では、シマタニ(島屋を営む家はシマヤ読み)
関東では、シマヤ
です。
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