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  • 2012/02/12(日) 21:37:34.77
大阪のバッテラが江戸に下りてきた頃、当然江戸湾の魚で寿司作ってたんだよな?それは江戸前寿司と呼ばれていたのか?華屋与兵衛が初めて握り寿司を握ったわけだが、それは江戸前寿司と呼ばれていたのか?
いずれにしても、「江戸前」という言い方は後になってだれかが言い出した言葉だろう。

江戸城の前の海を「江戸前」とした場合、その場所はもうとっくに埋め立てられている。だから江戸前はもう存在しない。江戸前寿司ももう存在しないはずである。
百歩譲って現在の東京湾で獲れる魚を江戸前とした場合、獲れた魚に対して「江戸前のアナゴ」「江戸前のハマグリ」「江戸前のキス」と呼ぶのは構わないが、寿司ネタにイクラや北寄貝やマグロが使われている以上「江戸前寿司」と呼ぶには違和感がある。
ましてキュウリ・干瓢・玉子が江戸城の前で生産されていたなど聞いたこともない。

「手前味噌」という言葉がある。昔は味噌は自家製だった、それが手前味噌。であれば、江戸製の寿司を「江戸前」を呼ぶのは理にかなっているし、なんの違和感もない。

京都・大坂は「上方」と呼ばれていたが、江戸後期になると文化の中心は江戸になっていく。そうなれば当時の江戸っ子であれば、今の自分らの文化に誇りを持ち、上方と区別したくなってくるというものであろう。
そこで生まれたのが「江戸前」なる言葉ではないだろうか。江戸製=江戸前 江戸流=江戸前 みたいな感じ。

江戸前=江戸城の前の海(東京湾)とするのは狭義な考え方と言わざるを得ない。



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