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  • 2014/01/14(火) 17:49:19.72
東京都杉並区に実家があります。
私が、小学6年の11月にケネディ駐日大使の父の故・ケネディアメリカ
大統領がテキサス州ダラス市で殺害された衝撃ニュースが、日米間の
衛星放送の最初の報道でした。オープンカーで移動中にビルから撃たれ
大統領が傾く衝撃映像に驚きました。
葬儀の際、この度駐日大使になられた長女が、まだ5才の幼女でした。

それから1カ月後の昭和38年12月26日に○田町で他校同級生の男の子が
「杉並少年通り魔事件」の変質者に襲われました。何件かあった連続通り魔事件で最悪な事件でした。
被害内容(全性器切断被害)を聞かされ、全身が凍りつきそうな恐怖を今でも忘れません。
被害場所は、現在は公園になってますが、当時は広大な空き地があり、私も何度か、友人や下級生と遊んだ場所です。
一つ間違えば私が被害者になっていた可能性もあります。最も、当時杉並区、練馬区に
住んでいた、同年齢の男の子の全員が被害者になっていた可能性もあります。

犯人は、杉並区に在住の高校生でした。なぜか、襲われたのは男の子ばかりでした。
(6才の幼稚園児から14才の中学2年生まで)
翌年の東京オリンピックの開会式の終わり頃、武蔵野市で小学3年の
少年を襲い、脅迫状により逮捕されました。
1年前の残酷な事件から丁度1年後でした。

何人かの模倣犯がいて、私の友人も昭和39年3月末、寂しい場所で見知らぬ男に
声をかけられ「林の中に来てくれないか。測量中に同僚がケガをした」と言われましたが、
「急ぐ用件があります」と逃げた体験があります。
とにかく生涯忘れる事が出来ない陰湿な事件でした。

孫を見るたび「自分が犠牲にならなくて済んだ」と同時にカタワにされた
同級生のその後の苦難の人生を思うことがあります。

ここまで見た

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