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  • 2013/10/05(土) 14:57:50.12
かつては庶民であっても神となる…まではなくとも、神と合一する方法が確立されていた。
伊勢に参り、御師の館で巫女に神楽を舞わせ、アマテラスを依り憑かせる。
その巫女=天照大神を掻き抱いて、ほんのり汗ばんだ白き柔肌に舌を這わせ、衣をほどいて「お蔭(おかげ)」を拝すや、思いのたけを込めてその神聖なる躰を割り裂いて一つとなる。
神人合一の極致にあって、よくもよくもとこれ嫁ぎ、精進潔斎して溜め込んできたオトコの熱い白濁液(リキッド)を、アマテラスの躰の芯深くブチまける! 最後の一滴に至るまで振り絞ってナマで献げ尽くす!…縮みあがる金の玉!
アマテラスたる巫女と合一して放った白き精と、アマテラス自らが気遣りして滴らせた愛液との和合水を神宮大麻によくよく拭い採りつつ、
…ことのあとには、オボコ巫女の噛み米から参らせた聖なる神酒で、これ一献。
本当の「お蔭参り」とは、かくも有り難き神秘の秘蹟であったのだが、
愚かなるかな、薩長穢多と町人神道との暴挙によって、神人合一の冥理の道は閉ざされてしまった。
あな、愚か。あな、賤けし。
今では祭主代行・清子さまを御姿を深く念じて日々の精を虚空に放ちつつ、本来の活ける日本神道の復活をただただ祈念するばかりである。

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