もしも、平安時代に鉄道模型があったら [sc](★0)
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- 2007/11/10(土) 18:55:03
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義経って、
(1) 蒙古に渡って成吉思汗になった。
(2) 蝦夷地に渡って機関車になった。
の二説あるけど、どっちが本当? 教えて君でスマソ。
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- 58
- 2007/11/10(土) 21:17:21
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何だか妙に納得してしまう・・・千利休の死も中古模型の売買トラブルだろうか。
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- 2007/11/10(土) 21:40:31
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>>7
> 紫式部とか清少納言(←時代合ってたっけ)が歌にする?
清少納言は、榊原温泉に行くときに乗るんで近鉄特急のファンらしい。
案外、爺のコレクターだったりして。
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- 後徳大寺左大臣
- 2007/11/10(土) 22:02:37
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應迎寺 黒古代流。
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- 61
- 2007/11/10(土) 22:17:05
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>>58
いや、真相はこう。
秀吉はブラスキットを素組して、ピカピカに磨いてからプライマーだけ
吹いて完成直後、塗装前のあのなんともいえない充実感にひたって一人
悦に入っていたそうだ。
家康に自慢してやろうと床の間に一晩置いておいたら、利休が勝手に
真っ黒に塗ってウェザリングまでしちゃったそうだ。その道の人から
見れば利休のウェザリングはわびさびの究極の姿なんだが、万事派手
好きの秀吉からすれば単に汚くしてる様にしか見えない。激怒した
秀吉は利休に切腹を命じたそうだ。
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- 祖師谷大僧正
- 2007/11/10(土) 23:02:14
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十六番札所 陽喜崎山 越應迎寺 機藝院
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- 2007/11/10(土) 23:05:13
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猫羽撫利秦具
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- 2007/11/10(土) 23:11:53
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>>11
おや、関白殿の弐百壱系が止まっとりますな。
からくりが軌条に引っかかって動けなくなっている様は、
まるでひっくり返った亀の如く。いやいや流石は明国産、実に風流ですなぁ。
それに比べて某の持参したるヨ弐参壱系。
華美な装いこそ皆無なれど、此れまで何の支障もなく走っておる。
此れは武蔵国・鶴ヶ島の加斗の匠がつくりし逸品。
その様は某の腰に提げたるものの様、質実剛健を尊ぶ東国武士の心意気の表れ。
尤も関白殿の『風流』を解するのはなかなか難儀のものですからなぁ。
束厨と酉厨の対立はこれが発端だったという
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- 65
- 2007/11/10(土) 23:25:12
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>>60
黒古代流の本流は瑞西の急峻な山岳鉄道信仰。
英知王なら代表的な莉理婦人なり露湖なり、絵夢なら
美毛もよし。絵濡なら小鳥を探してみるもをかし。
代名物がなんとなく色っぽくなってしもうた。
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- 66
- 2007/11/10(土) 23:45:47
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御所の鬼門に紙成之待元が有。裏鬼門に商社京都模型。
かつての栄華はどこに orz
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- 67
- おじゃる丸
- 2007/11/10(土) 23:48:02
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室内灯パーツが電ボ一族とはのう...orz
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- 68
- 2007/11/10(土) 23:53:33
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戦国時代の武家の目標「上洛」とは、梅小路を目指すことだったはず。
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- 69
- 2007/11/11(日) 00:14:34
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でも、信玄や謙信は埼玉県の狭山湖のあたりでウロウロしてましたよ。
30年ぐらい前だったかな。
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- 70
- 2007/11/11(日) 12:42:33
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>>69
青梅に行こうとして迷ったんだな
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- 71
- 2007/11/11(日) 22:52:09
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ちと遅いが、大化の改新は1/30(国粋派)と1/35(国際派)のどちらを皇室が採用するかで藤原氏と蘇我氏が揉めたのが原因だったと聞いているが、他にも原因があったんだ。
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- 72
- 2007/11/12(月) 00:17:17
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>>70
その頃、後北条家は大宮と神田・秋葉原の制圧に成功したという。
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- 73
- 2007/11/12(月) 01:16:06
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江戸堂の荏原亜腐炉守は将軍に、未だどこにもない逸品です、と
数々の模型を献上した。
しかしそれらは蓮塵なる素材を使っていたため次々と変形し
怒り狂った将軍は亜腐炉守を打ち首の刑に処したそうな。
で、献上された蓮塵模型は武士達の試し斬りの的と相成った…
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- 74
- 2007/11/12(月) 01:57:05
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てつはうで名だたる丸井武蔵守、乙線路の詔を出したるも未だ姿も見えず
乙線路の先達もあらまほしき事なり
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- 75
- 2007/11/12(月) 06:38:21
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そういえば庶民の間で一時流行った
万代屋の美伊列車短縮はどうなった?
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- 2007/11/12(月) 08:22:40
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「うる星やつら」の平安時代ネタを思い出したw
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- 77
- 2007/11/12(月) 10:02:20
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すさまじきもの 顎の外れたる電機 奥に引き込みたる台車 長すぎる麓後 暖かき地の荷四景似護潟 扉違えたる鴎 色の黒き小町 発売日に近付きて暦違えたるは いとすさまじきものなり
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- 78
- 2007/11/12(月) 13:07:04
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72系73型 蹴鞠リーグラッピング塗装
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- 2007/11/12(月) 20:24:19
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明國より渡来した蟻有限公司謹製の四伍伍「垢兵衛」
栄華も束の間、下野國面茶野町富社謹製、灰色の草鞋(わらじ)を履く
「上品質垢兵衛」と「上品質黒羽」の大群来襲により落城…
某年師走〜正月の出来事じゃった。
因みに同じく蟻謹製であられる四八伍垢兵衛は、既に各地へ散り難を逃れるも、
赤黒の模様剥がれたりとて修復の術をめぐり、
蟻教信者会合開きて議論交わすもいとをかし。
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- 80
- 2007/11/13(火) 02:03:25
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>>79
明國ではなくて、唐國じゃないか?
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- 81
- 2007/11/13(火) 02:33:42
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>>79
儚き命に見えし蟻四伍伍「垢兵衛」 富井下野守「垢兵衛」の遅れたるに良く代役を果たせる 後に富井「垢兵衛」を交えたるに世の人 「イイ赤備え」と評せり
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- 2007/11/13(火) 03:04:20
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>>80
〜907年が唐、907〜960年が五代十國、960年〜宋におじゃりまするな
西鉄が出ぬのは菅原道真が流されたる太宰府に通じる故のことであろうか?
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- 83
- 2007/11/13(火) 10:30:47
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>>82
九州の一地方鉄道の分際で「西日本鉄道」などと戯けたことを申すからじゃ
さすがは「日の本最大の乗合牛車会社」と申すべきであろうか
それにつけても西鉄は
蟻弐千系と一哩弐百形しか完成品がないとはの
翁の経済的組立模型の阪神通勤車にでも面を仕込んでおけば
それがしのやうなうつけが挙って品を求めるというに…
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- 84
- 2007/11/13(火) 10:41:49
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>>82
道真公の政敵、藤原時平は鉄摸に興じているとき感電事故をおこし39才の若さ
で死亡した。
そのとき走らせていたのが西鉄の電車だった、という噂が都でたち、それなら
道真公の祟りに違いない、と皆信じるようになった。
以来、西鉄の電車を作るにも遊ぶにもおはらいが必須となった。
ところが、一休さんの時代(三代将軍足利義満のころ)、悪徳業者の桔梗屋
がおはらいの済んでない西鉄車両を「おはらい済」と偽装して販売した。
丁度同じころ、この車両を嘗めてお腹をこわす人が続出した。明国製の塗料
が原因で祟りとは関係なかったのだが、一般の鉄摸ヲタはすっかりビビッて
西鉄の車両を買わなくなってしまった。
詳しい事は、機藝院の特集草紙「あな楽し哉、鐵道雛型」所載の「京都
市電北野線縁起絵巻」に書いてあるよ。
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- 85
- 2007/11/14(水) 01:19:17
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保元の乱は、源氏と平家による鉄道模型利権争いと
摂関家の鉄道模型製品化の承認争い、
皇室の鉄道許認可権の争いが原因だったそうな。
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- 86
- 2007/11/14(水) 04:23:03
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平安時代に鉄道模型があっても、実際の鉄道がまだ無いから…
どうかなぁ
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- 87
- 平 至露圀守 敦盛
- 2007/11/14(水) 05:17:16
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加糖五十年 下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け滅せぬもののあるべきか
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- 88
- 2007/11/14(水) 08:24:42
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誰か「飛梅線路星」を作った物はおらぬか?
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- 89
- 2007/11/14(水) 16:16:03
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ほほっ、飛梅とはのぉー。山陽道はちと風流でおじゃるな。
じゃがの、東海道は将門之首級じゃ。
東北・秋田は蝦夷の酋長アテルイ、
長野・北陸は木曽義仲、
九州は磐井国造。
皆、朝廷に仇なす怨霊どもを鎮める為の路線なのじゃ。国家鎮護の鐵道なの
ぢゃ。
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- 90
- 2007/11/16(金) 18:59:44
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ところで動力はどうするよ
コンセントなんかないぞ?
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- 91
- 2007/11/16(金) 23:48:04
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>>90
舎人がおるでおじゃる。人力でおじゃる。
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- 92
- 2007/11/16(金) 23:48:47
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>>90
雷神様が動かしておる
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- 93
- 2007/11/17(土) 00:53:02
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>>90
実は全部鉄コレ
線路だけ引いて車両は手押し
いとをかし
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- 94
- 2007/11/17(土) 00:53:24
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>>90
陰陽道に通じた者のみが動かせるということぢゃ
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- 95
- 昴
- 2007/11/17(土) 14:07:47
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牛車を漆塗りで仕上げたいけど、毛筆と空気筆ではどちらが仕上がりいいですかね?
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- 96
- 2007/11/17(土) 14:12:42
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>>95
御主の腕前にもよるが、ド素人なら緑最大社の空気入り缶詰をお勧めしよう。
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- 97
- 昴
- 2007/11/17(土) 14:15:37
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麿は空気缶は苦手でおじゃる
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- 98
- 2007/11/17(土) 15:57:16
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尾久の市にて競りにて買うてまいれ!
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- 99
- 2007/11/17(土) 16:00:49
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このスレ速落ちだと思ってたけど持つなー
みんな頭良い?
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- 100
- 2007/11/17(土) 17:00:55
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奴流舗
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- 101
- 2007/11/17(土) 18:05:10
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>>100
月
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- 102
- 2007/11/17(土) 21:47:27
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小町の色は灰色にけりないたづらに
いつのまにやらながめせしまに
富井の司「加藤の造、小町殿は地黒ではないぞえ。宮路真緒でもあるまいに。」
加藤の造「C62で手一杯で....ああっヘタこいた〜♪」
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- 103
- 2007/11/18(日) 17:26:38
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菅原道真は唐の模型の造りの悪さを日頃から嘆いておったそうな。
そこで朝廷に意見して、唐の模型を輸入しないようにしたのじゃが、それが有井と結んでいた藤原氏の逆鱗に触れ、
道真公は太宰府に左遷となったのじゃ。
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- 104
- 2007/11/18(日) 18:48:45
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>>103
道真公は知恵者であらしゃります。
それゆえ太宰府にても風洞実験を続けられ、門鉄除煙板というような美しく
効果的な技術の基礎を確立なされたのはご存じのとおりでおじゃるよ。
ただ、惜しむらく平安京の貴族のほとんどは道真公の空力基礎技術や
参気筒位相平衡の提言を表面だけしか理解してあらしゃりませなんだ。
一応の成功例と認識されている鷹取造の試御参試十三ですら....。
道真公の技術の一部は公の没後ひそかに大陸に伝わり、天竺から中近東を
経由して現在の独逸に到達。
後には流線形蒸気やヴィッテデフとなって欧亜大陸の東西で
花開いたのでおじゃる。ほっほっほ。
現代語訳で読む:週刊 平安京桜小路大納言機関区絵巻(一)
「蒸気機関車基礎技術概論」 ------ 民明書房 刊 -----
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- 105
- 2007/11/18(日) 21:54:06
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各地の百鬼夜行の物共も遂に滅びたる げに風の前の塵と同じ
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- 106
- 2007/11/18(日) 22:04:44
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近頃の百鬼夜行は「おはね」ばかりでつまらぬ
昔はその名にたがはず「おゆ」「まに」「おろね」「すろ」「まし」「すはふ」・・・
さらに昔は「まいろねふ」「まろねろ」「すいて」・・・
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- 107
- 2007/11/18(日) 22:11:15
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>>106
蝦夷の地へ赴く北斗星はそれでも「尾櫓羽根」や「蘇紫」、「尾羽根」も「櫓疎路」「櫓出湯越冬」と多彩ではないか?
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- 108
- 2007/11/19(月) 04:48:34
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>>99
いや、さふとも言へぬ
時に、万葉仮名もどきが見受けられるが、意味をなさぬ羅列じゃ。
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