もしも、平安時代に鉄道模型があったら [sc](★0)
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- 180
- 2008/09/01(月) 12:30:09
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電気はどうするの?
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- 181
- 2008/09/02(火) 01:48:52
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>>180
菅原様が供給してくださる。
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- 182
- 2008/09/02(火) 01:51:17
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>>167
驕れるものも久しからず・・・おや、これは磐越物語ではありませんでしたな
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- 183
- ◆KfzN./2fYw
- 2008/09/03(水) 01:38:38
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>>180
江戸時代であれば平賀元ないがおるでおじゃる
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- 184
- 2008/09/03(水) 08:47:07
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>>183
そうだな
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- 185
- 2008/09/03(水) 09:25:05
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そうか?
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- 186
- 2008/09/03(水) 10:04:09
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平安時代に鉄道模型が在ったなら当然、電気が存在するので街には街灯が明るく庶民を照らしてる。
もちろん無電・電話も存在することになる。
国内統一が早まって後の早々に開国、近代化してる日本になる。
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- 187
- ◆KfzN./2fYw
- 2008/09/03(水) 23:06:21
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>>184
ご指摘相済まぬ。
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- 188
- 2008/09/04(木) 06:22:01
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限られた中に色々盛り込む文化は有ったから、蒔絵の手箱開けたらパイクになってるとかはアリそうだけど、
流石に牛車ゲージだろうな・・・
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- 189
- 2008/09/05(金) 19:57:40
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>>188
HGで牛がフルアクションだからいいやね
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- 190
- ◆KfzN./2fYw
- 2008/09/07(日) 19:54:50
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>>178
無論紙じゃ。それをかつては武蔵国や駿河国の匠が仕上げておじゃったのじゃが、
惜しいことに双方とも亡くなられたのじゃ。
何しろ、帝や公家の乗る御車を模型で作るといえども、絵師や蒔絵師等の巧の腕も必要になるからの。
それらを府で一つで再現できる匠であったのじゃが、惜しいことをした。
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- 191
- 2008/09/08(月) 12:07:59
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蕨の品は贋作におじゃる。
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- 192
- ◆KfzN./2fYw
- 2008/09/13(土) 01:36:59
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>>188
いやいや、模型の牛が引く馬車鉄道ならぬ牛車鉄道になるでおじゃる。
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- 193
- 2008/10/05(日) 18:04:07
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せっかく作った車両やジオラマが度々の戦火で焼失し、
それをまた作り直すの歴史の繰り返しですね
それが本当にあったら重要文化財とか国宝になってる鉄道模型とかがあるのかw
博物館にも立派に展示されているのを想像すると笑う
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- 194
- 2008/11/28(金) 17:16:36
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保守
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- 195
- 2008/12/03(水) 21:08:22
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庶民には手が出なそう。
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- 196
- 2009/02/13(金) 01:14:49
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鎖国の前の南蛮貿易の時代にぜんまい仕掛けの時計やオルゴールが伝わった
そうです。当時の物は殆ど現存していないそうです。一方で正倉院の宝物には
1000年以上昔の品々が保管されています。
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- 197
- 2009/02/13(金) 02:09:54
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動力源は陰陽道。
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- 198
- 2009/02/13(金) 14:51:14
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左遷された菅原道真が
唯一心のなぐさみにしたもの
それがのちの南福岡電車区と小倉工場だったという
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- 199
- B@a
- 2009/02/15(日) 00:35:32
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その頃、東国の平将門は大山・下北沢にGMストアを築き、「作る楽しさ一杯」の旗印
の元、関東一帯の民鉄車両を模型化したが、940年に藤原Bコレに討伐され、首だけ
が秋葉原のビルの一角に飛び去った伝承を後世に残した。
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- 200
- 2009/02/16(月) 13:53:01
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>>200
死ね
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- 201
- 2009/02/17(火) 12:29:18
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>>200
切腹でおじゃるか。
東人の野蛮さにも困ったものでおじゃるのぉ。
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- 202
- 2009/03/25(水) 11:49:01
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>>189
吹いたw
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- 203
- 2009/03/25(水) 14:31:57
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麻呂たちが四季折々に細工を施した自慢の御車蒔絵箱を皆で持ち寄り、繋げて楽しむでおじゃる。
のちのモジュール式である・・・
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- 204
- 2009/04/25(土) 09:55:44
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- 205
- 2009/05/20(水) 11:35:36
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- 206
- 2009/06/29(月) 13:25:18
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- 207
- 2009/07/04(土) 01:29:24
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- 208
- 2009/09/10(木) 12:39:16
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あげ
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- 209
- 2009/09/11(金) 23:33:09
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取り敢えづ、レスをざっと詠み連ぬれば、レスの方々、本にカノッサの屈辱のやうでであらしゃいます。
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- 210
- 2009/09/12(土) 09:49:33
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朝廷の場過度もが買いあさるだろう
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- 211
- 2009/09/12(土) 10:13:20
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客車はもちろんマロ、マロフ限定だろうな。
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- 212
- 2009/09/12(土) 10:34:50
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モロはご法度やで。
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- 213
- 2009/09/13(日) 16:54:20
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光源氏って、幼い女の子見ていちいち泣くイメージあるんだけど、まぁ、いくらなんでも模型見て泣いてた
なんて史実は残ってないよね。あと、お近づきになったおなごと模型で遊んでたの(それとも自重の方向)?
俺古文の時間まともに聞いてなかったからwサーセンw。てな訳で教えてえろき人。
イトヲカシ(・∀・)イトワロシ(・Α・)ぐらいしか頭に入ってない。
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- 214
- 2009/09/14(月) 09:10:59
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>>213
世の模型に興じる者らは、やはり光源氏の反応や顔色を一種の選考基準にしていたらしい。
(似ていたらその感動のあまり泣き即お買い上げ、そうでもなかったら無反応)
ちなみに父・桐壺帝も今でいうNゲージャーであったが、克美や天賞や世界といった金属製の
車両にしか眼中になく高級志向であったためついていけず、自身の過渡や冨を貶された事、
さらには桐壺帝が占い師(< ヽ`∀´>)の「そのうち明国製の鐵収集の箱買いにも走るニダ」「日本の
皇子がそれでいいニカ?」との予言に親子間不信不仲が日増しに酷くなり、やがて臣籍降下された。
「様々な女性関係と鉄道模型」については残念ながら史料は残っていない。しかし、鉄道模型が原因で
不仲になったという話は無かった模様。
ただ、特筆すべきは、かつて亡き母君に似ているとして慕った藤壺(まぁ、そんなに模型に興味はない
が別に毛嫌いするでもなく普通に対応していたらしい)の姪・女三宮(正妻とされる)とは、結婚して
みれば結局短縮列車(今でいうBトレ)だのゼンマイ仕掛けの玩具(列車チョロQという説濃厚)だのに
走る「お子ちゃま」である事に失望、降嫁の決断を下したばかりに、「わしが育てた」と周囲に言って
憚らなかった紫の上(ちなみにゲルマン舶来車派だったが、源氏の嗜好を決して侮る事はしなかった)が
ショックで末病に倒れて、六条院の栄華にも次第に影が射し始めた。
やがて源氏自身がかつて父桐壺帝を裏切ったように、女三宮の密通が発覚する。一度は女三宮と
その愛人の柏木(蟻派)に怒りをつのらせ、閲覧手記にも名指しで「樹脂桶厨」等と罵倒する日々の源氏
であったが、生まれた子ども(薫)を見て、これが若い日の罪の報いであったことに気づかされる。
(修正や補足あったらよろしく。ちなみにWikiを少し引用した)
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- 215
- 2009/09/29(火) 20:31:47
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麿は福知山の217系の頭に“E”って付けるでおじゃる!
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- 216
- 2009/09/30(水) 20:15:20
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>>215
207系でおじゃろう
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- 217
- 2009/11/02(月) 07:48:20
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なんだこれww
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- 218
- 2009/12/24(木) 18:01:57
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栗酢桝でおじゃる
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- 219
- 2010/01/17(日) 12:57:10
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四十年勤め上げた會社を退職し早二十年、何やら張り合いの無い日々を送る内、大學生 の孫に「退屈しのぎに遣って見たまへ」と
勸められた弐チヤンネル。當初は「こんな電腦掲示板、何たる幼稚加減」と莫迦にしてゐたものの、 遣つて見ると存外に面白ひ。
華やかな色彩の髪と目を持つうら若き乙女に「ゆとり乙」と何度と無く罵られるにつけ、食ふや食はずやで慌しく過ぎ去つた學生時代が自ずと思ひ返され、
「戰爭さえ無ければ、小生もこのやうな青春が送れたやも知れぬ」 と獨りごちることも屡々。
すつかり虜となつた今では、孫の部屋から白銀色の電腦計算機をせしめては書齋に篭もり存分に「祭り」を堪能する毎日を送つている。
下手の横好きとはいえ「繼續は力なり」の言葉通り、最近では画面破壊画の回避 や複写転載の管理にも慣れ、「好きこそものの上手なれ」を座右の銘として
弐ゲツトに勵んでいる。
同年代の友人達が癡呆や重い病に惱まされるなか、老いて尚矍鑠として外線會に向かえるのも、ひとえに弐チヤンネルのおかげかと思えば、再三に渡る
「半年ROMつてろ」の罵り文句も、何やら「まだまだ死ぬには早いよ」と言われているようで愉快極まりない。
ひとつ間違えれば自らが乗り込んでいた機體と同じ名前を持つ固定ハンドル名に出會える日を樂しみにしつつ、今日も画面に向かう。
それでは、弐壱九ゲツト。
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- 220
- 2010/01/31(日) 23:14:17
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鉄道日記
男もすなる鉄道もけいといふものを、女もしてみむとてするなり。
それの年(承平四年)のしはすの二十日あまり一日の、戌の時に購入す。
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- 221
- 2010/02/28(日) 16:15:20
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トリアエズ、ヘイアンジダイニテツモハナイヨ
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- 222
- 2010/04/12(月) 17:31:51
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いづれの御時にか、女御、更衣あまた鉄模いぢり候ひたまひける中に、いとやむごとなき顔にはあらぬが、優れてキットをつくりたまふありけり。
初めより『我は』と思ひ上がりたまへる御方々、めざましきものにおとしめそねみたまふ。
桐壺の更衣の國鉄一○一系のいとやむごとなき出来にあらば、帝聞こし召してコントローラー買いさせたまひて桐壺を召させて走らせたまひける。
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- 223
- 2010/06/11(金) 17:11:58
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大今水増
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- 224
- 2010/06/14(月) 19:27:24
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>>219
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- 225
- 2010/07/15(木) 22:55:59
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「あい判った、皆まで言うな。わしはお主の軍勢に合流しょうぞ」
「か・・かたじけない、紀之介」
「何の、佐吉。我ら同じ釜の飯を喰ろうた言わば兄弟同士。礼など要らぬぞ。
しかしな、佐吉。金吾の奴だけは目を離すなよ。きやつは内府に勧められて
最近は、かなりの16番を揃えておるようじゃ」
「何!亡き太閤様があれほど嫌ろうておった『蟹股』をか!」
「そうよ、口先では『太閤様が仰せの如くふぁいんすけーるに勝るものは無いよの』
とほざいておるが」
「紀之介、さすれば金吾が館にて遠目に見た、あの気動車やら客車は・・・」
「うむ、我らの目を欺くため13mm軌条に台車のみをスゲ換えたのを見せたのじゃ
その何よりの証拠に、あの時ヱスエルは1台も無かったであろうが」
「おのれ!金吾」
「まァ、待て佐吉。きやつ根っからの小心者。内府に尻尾を振りながらも
本心は太閤様に背くのもちょっと怖いのかも知れん。
そこでだ、わしが金吾の陣のすぐ側に布陣してな、きやつがヱスエルやら
他の車両すべてを改軌したかどうか見張ってやるつもりじゃ」
「おお、頼むぞ紀之介」
「任せよ、佐吉」
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- 226
- 2010/07/16(金) 16:53:41
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ふぁいんすけぇる(笑)
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- 227
- 2010/07/16(金) 17:31:22
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>>226
>
×ふぁいんすけぇる(笑)
○ふぁひんすけへる(笑ひ)
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- 228
- 2010/09/20(月) 01:29:40
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ペリーの来航時に幕府に献上された機関車に昌平坂学問所の河田八之助(河田興)が
乗ったらしい。乗るといっても座席はなく模型の客車の屋根に乗ったらしい。
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- 229
- 2010/09/26(日) 23:41:43
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本物の鉄道が走ってたらどうなるんだろ?
方替えとかとかえらい事になりそうなんだがw
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- 230
- 2010/11/05(金) 00:11:31
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見よ、麿の牛車の雛形を。帝がお持ちの 牛車よりも贅を尽くした、金、銀、玉をふんだんに使ったものじゃ。
どう動くかじゃと。最初はごきかぶりで引かせようと考えたのじゃが、あやつは足がはようわりには力がなくていかん。なにより女人に嫌われるでの。そこで、かぶとむしの出番じゃ。
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