京阪神・超高層ビル(画像・データベース他)\2棟 [sc](★0)
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毎年夏休みには、神戸に行った。
家の近所(といっても、町は違う)には広大な市営住宅群があって、いつも地元の子たちがワンサカいた。
自分の街にはそんなところはない僕がそこへ行くと、自然と神戸の街の話になった。
僕は叔母さんから聞き、自分でもきちんと調べ上げた、神戸で有名な洋菓子の多くは日本人になじみが薄かった時代のものであり
なんちゃって洋菓子が今も工場で作られて神戸の名物になっていること、本社自慢の多くが造船、鉄鋼などの重工業で
神戸に寄せ集まった人々の単純労働力で支えられていたこと、生活環境、とりわけ沿岸部は当然最悪のものであったこと、
元々南京町は主に貧しい中国人が流れてきて作ってきた街であり、治安が悪く、地元の日本人でも普通に買物できる環境ではなかったこと
阪神間と呼ばれる土地は山そのものであり、河川改修、道路建設、鉄道敷設等の大規模な工事には寄せ集まった日本人のみならず
多くの朝鮮人も含まれていたこと、そしてそもそもこの阪神間は未開拓な後背地であったが鉄道のお陰で歴史はないが価格だけは暴騰した
地として高級地とされたにすぎないこと、以上のような事情から中心部ではまとまった土地確保が難しく、未だに神戸では
商業施設の支店進出が困難で、都市規模の割りに田舎臭い部分が目立つこと等、
地元の子たちに 一方的に教えてやり、彼らの洗脳を解いてあげたような気になっていた。
そんな夏が何度か続いた。
今年も僕は叔母さんから聞いた話を大事に抱えて、神戸の街へ行った。
今年もやはり、市が作った再開発のコンクリ墓場のスラムが出来ていた。
いつもの子たちがいたけど、様子が違う。みんな飽きたと言いながら、ますます僕の近くに寄ってくるのだ。
おまえの話はいつも同じだし、つまんないと言うのに、なぜか皆体をワナワナ震えさせ、握りこぶしをつくって、
つばを撒き散らしながら、神戸はおしゃれなんや、高級なんや、肉体労働者なんておらんのや!と言われてしまった。
そして、僕以外のみんなで暴動を起こして街を壊してしまった。
・・・僕はこんな滅茶苦茶な神戸の街で、孤独になりたい気分になったが 、皆ほっといてくれなかったのである。
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