■旭川市民集合 Part137 [machi](★0)
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- 2012/06/01(金) 16:25:33
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買物公園 1972/06/01−2012/06/01 本日満40歳バースデー
(幅20m×1km)店舗数148店
当時、市が3千万円、商店街が3千万円、市民の寄付2千万円の計8千万円で整備された。
※2004年のイオン開業のせいで衰退したように言われているが
人手のピーク自体は、イオン開業のはるか前の1980年頃であると言われている。
1898年(明治31年)→初代旭川駅開業。駅前は「近文街道」や「常盤道路」と呼ばれていた。
1899年(明治32年)→陸軍第七師団が配置され「師団道路」と呼ばれるようになり、大正末期には「師団通」と呼ばれる
1945年(昭和20年)→終戦で第七師団は解体され、平和への願いをこめて「平和通り」と改称される
1963年(昭和38年)→37歳で社会党から日本最年少で市長に就任した五十嵐広三がヨーロッパのようなモール構想をと
1969年(昭和44年)→夏まつりの期間の12日間のみ2、実験的に車を遮断し80万人が訪れ大成功となる
1972年(昭和47年)→4/1工事着工、6/1日本初の恒久ホコ天「買物公園」としてグランドOPEN、と当日は40万人もの人手となる
1975年(昭和50年)→8/8西武百貨店開業(現西武B館、駅側)
1978年(昭和53年)→開業時にはなかったバリアフリーの概念で歩道車道の段差がなくされ歩道をカラー舗装に
1978年(昭和53年)→9/15緑屋ams旭川店開業(現西武A館)
1982年(昭和57年)→10/8旭川エスタ開業もバス会社が隣接予定だったバスターミナルの利用負担料を嫌がり人手が流れず最初から低迷
1989年(平成元年)→雨寄け雪寄けのアーケードが撤去される
1998年(平成10年)→片側2mずつのロードヒーティング工事が始まり4年後に全完成
2009年(平成21年)→7/20丸井閉店し112年の歴史に幕を下ろした
2011年(平成23年)→6/24フィール旭川開業(転売屋の極東証券は今秋にも計画通り転売予定)
2012年(平成24年)→7/31エスタ閉店 30年の歴史に幕を下ろす
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