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  • 2017/07/20(木) 03:36:44
▼本来は「苫細」のはずが役人のミスで「まい」と読まない苫小牧に

1869年(明治2年)に勇払郡を統治の高知藩がカタカナで「トマコマイ」と表記。
アイヌ語由来のト・マコマイで「沼・湖・川」などの意味。
当初はいろんな漢字が当てられていたが1873年2月に漢字は【苫細】と決められた。

同年、札幌本道(函館と札幌を結ぶ日本初の馬車道)開通で開拓使勇払出張所が
勇払から西方の苫細に移転。新たに「駅逓所」も新設されることになり、開拓使
東京出張所(東京)が“駅名”を検討し、地名も【苫小枚】と改名の予定が
【苫小牧】となり1873年11月8日の太政官布告で確定してしまった。

しかし、この“漢字間違い”改名は地元開拓使出張所は知らされていなかった。
翌年に別の公文書で“地名”が苫細から【苫小牧】になっていたことを
初めて知り、【苫小枚】と変更し直すよう求めたが認められなかった。

原因は東京の役人の誤記か。

当時の開拓使東京出張所(東京)庶務課長の小牧昌業(コマキ マサナリ.29歳)が、
【苫小枚】とするとこを、自分の漢字の【牧】で公文書で誤記してしまい
【苫小牧】となってしまった説がある。
小牧昌業は、後に大出世してる大物で、背後の大物も汚点となる誤記ミスを
認めさせず、地元の変更願いにも応じなかったという可能性。

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