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- 2016/10/19(水) 19:18:26.57
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――少年少女に対するわいせつ事件が話題になっている昨今、そうした重大なことをメディアが黙殺している日本という国は、ある意味異常ですね。
「ええ、その状況は1999年からいまだにまったく改善されていません。欧米では考えられないことですよ」
――いわばタブーとなっている事柄に正面から一人ぶつかっていった中村さん。タブーに触れたことで危険な目に遭遇したこともあったのではないですか?
「ええ、忘れもしません。2010年のクリスマス・イヴの夜のこと。うまい具合にはめられたんです。
ジャニーズとの折衝をいつもしてもらっていた、とある法律事務所の弁護士さんに言葉巧みに連れて行かれて、ジャニーズの会議室で大勢に囲まれちゃってね
。6時間。お茶もでないんですよ(笑い)。
それに、こっちは弁護士を連れてきていないし、不用意なことを喋ることができない。
お互いICレコーダーにとっているのでね。そんな我慢比べのようなこともありました」
――目の敵にされていますね。
「僕は、木村拓哉のSMAPからの独立を報じたこともありましたからね。これも1996年のことです。
当時、キムタクはSMAPで図抜けて人気があったから、独立しようとしたんですよね。
お父さんが川島織物という会社に勤めていたんですけど、キムタクの写真集を川島織物の子会社から出したんですよ。
実際にそういう具体的な動きがあったものだから、本当に芯を食ったようなことを書いたんです。
そしたら記事が出た途端、キムタクがテレビ番組に突然現れ、どこの雑誌かは名指ししないものの、私が書いた記事は間違っているというようなことを長々と説明。そんなこともありました」
――今年の12月31日に解散するSMAP内の軋轢は、その頃からすでに生じていたのでしょうか?
「発端はここから始まっていたんでしょうね。キムタクは独立もしようとしたし、結婚もした。
だけど、香取クンも稲垣クンもそれぞれお付き合いしていた人たちと本気で結婚しようと思っていたのに、許されなかった。
だから今回のSMAP解散騒動も、突発的に飯島さんに可愛がられていた香取クンがクーデターを起こしたわけではないと思うんですよね。
長年にわたる小さな切り傷の積み重ねが、大きな溝になっていったんじゃないでしょうか」
――これからもジャーナリストとして生きていくという中村さん。長年の経験を振り返り、いま改めて思われることはありますか?
「さまざまな人と会って、そして事件やスキャンダルを見てきて思うのは、世の中、自分のやりたいことをできている人はほとんどいない、ということです。
会社や組織の人間は、ある部署に配属されたら、たとえ能力に欠けていても、いや応なしにその仕事をするわけです。
あるいは、会社勤めをしていなくても、嫌だなと思う仕事はたくさんあります。だけどその仕事を一生懸命やって達成感を感じるしかないんです。
そして、たとえば記者をやっていて、ときに大きなスクープをとったならば、ひとりでしみじみとその達成感を噛み締めればいい。
あのときこうだったからと、長年にわたって過去の自慢話をすることは、ちょっとカッコ悪いような気がするんですよね」
週刊誌の記者、そしてジャーナリストとしての誇りが伝わってくる中村氏の言葉であった。
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