【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 [open](★0)
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- 2014/11/13(木) 06:31:11
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近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。
というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。
書名:The QABALISTIC TAROT
A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
カバラ主義のタロット
神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang
※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。
前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
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- 2015/04/18(土) 19:31:11
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 65) ---
Once more it appears that the Marseilles card is the pattern for the three modern
cards, the later versions having simply closed the "S" shape into a perfect symbol
of infinity.
再度、マルセイユ版カードは、3つの近代のカードたちの原型となっており、後代の版では、
「S」の形を単に閉じて無限の完全な象徴にしたものが現れている。
The Snake with its tail in its mouth, the Uroboros, is a very ancient symbol of
wisdom (meaning of the Hebrew word Chokmah).
その尾をその口に入れた「蛇」、「ウロボロス」は、(ヘブライ語「コクマー」の意味の)
「知恵」の非常に古い象徴である。
But this serpent is in the form of a figure eight, the same infinity sign found
over the head of THE MAGICIAN.
しかし、この「ヘビ」は、8の字の形であり、「魔術師」の頭の上で見つけられる同じ無限の
記号である。
--- ここまで ---
この「五芒貨の2」には、ある特徴的な形が描かれています。
マルセイユ版では、Sの字形のもの。
ゴールデン・ドーン版とトート版には、8の字形、つまり無限大記号の「ウロボロス」。
ウェイト版では、8の字形、つまり無限大記号の紐のようなもの。
そして、このゴールデン・ドーン版とウェイト版とトート版8の字形の原型は、マルセイユ
版の「Sの字」であるということです。
ちなみに、何でこの「Sの字」が、無限大記号や「ウロボロス」になったのかと言うと、
それはこのカードが終わりなき「変化」を意味しているからということなのです。
要するに、頭も性格も悪くは無いんだけど、なんか落ち着きの無いカードなんですよね。
近くにこんな人がいると、ちょっと扱いに困ることになりそうなのでした。
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- 2015/04/20(月) 06:40:30
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 66) ---
In divination it means the harmony of change.
占いにおいては、それは「変化の調和」を意味する。
But in esoteric studies, it suggests the underlying patterns of alternation in all
matter, and the profound relationship between opposites.
しかし、秘伝的な研究たちにおいては、それは全ての物質の中にある交互変化の根本的な
様式たち、そして、対になるものとの間にある深遠な関係を示唆している。
--- ここまで ---
「the harmony of change/変化の調和」というのは、「"T"の書」の占いの意味の最初に
出てくるキーワードであり、この他にも種々のキーワードが羅列されています。
そして、この占いのキーワードって、割と漠然としていて、あまり一貫性が無かったり
するわけです。
結局のところ、こういうキーワード自体は、あくまでも「スナップショット」的なイメージ
であって、占いの際には、その奥にある自分では気づかない意味を探しだしていくという
ことになるわけです。
そして、その際には、この「esoteric studies/秘伝的な研究たち」の理論的な知識を
活用することで、それなりに理解可能なものを導き出すこともできる、かもしれません。
とはいえ、人間の行動って、理解可能なものばかりではないですからね。
占いにおいて、よくわかんないまま、よくわかんない結論を出しても、それが人々の役に
立つのであれば、それはれそれで価値のあるものではないかと思うのでした。
まあ、占いというものには、人それぞれの価値観があるので、ワタシがあれこれと言う
ようなことではない、ということですよね。
でも、「カバラ」のことを知らずして、「カバラ占い」を名乗ることは、やっぱり別の問題
だと思うのでした。
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- 2015/04/21(火) 06:58:13
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 66) ---
THE KINGS
王たち
--- ここまで ---
ここも、前と同様に「2. CHOKMAH: Wisdom/2. コクマー:叡知」の節の中の、新しい項と
なっています。
そして、ここからは、「コクマー」に配属されたもう一つの属性のカード、すなわち
コート・カードの「王」のカードの解説となります。
このサブタイトルの後には、前と同様に「"T"の書」からの引用が続きます。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 66) ---
The Four kings or Figures mounted on Steeds [Golden Dawn and Crowley versions]
represent the Yod forces in the name of each suit, the Radix, Father and commencement
of Material Forces.
4人の王たち、もしくは重要人物たちが、[ゴールデン・ドーン版とクロウリー版では]
馬に乗り、物質的な力の「根源」であり、「父」であり、そして始まりであり、各々の
スートの名における「ヨッド」の力たちを表す。
A Force in which all the others are implied and of which they form the development
and completion.
他の全てのものの中にある「力」が暗示され、そしてそれら(他の全てのもの)は、
それ(中にある「力」)から発達と完成を形成する。
A force swift and violent in action, but whose effect soon passes away, and
therefore symbolized by a figure on a steed riding swiftly, and clothed in
complete armour.
活動時においては、迅速で暴力的な「力」ではあるが、その効果はすみやかに消え去り、
それゆえに、疾走する馬に乗り、完全な甲冑を着用した人物により象徴される。
--- ここまで ---
まあ、相変わらず漠然とした書き方ではありますが、言いたいことは何となくわかるかと
思います。
要するに、「万物の父」という存在であり、普段は子供らの知らないところで仕事をして
いて、あまり表には出てこないけれども、何かあった時は駆けつけて、ちょっと強引では
あるけれど、一気に物事を解決してしまうという、ちょっと頑固だけれども、それなりに
頼りになる父親像をイメージすると良いかと思います。
でもまあ、暴走し始めると、結構迷惑な存在ではあるんですけどね。w
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- 2015/04/22(水) 06:50:39
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
KING OF WANDS, Lord of the Flame and of the Lightning, King of the Spirits of Fire,
King of the Salamanders.(Last Decan of Scorpio ? first two Decans of Saggitarius).
「棒の王」、炎と稲妻の主、火の聖霊たちの王、サラマンダーたちの王。(天蠍宮の最後の
デカン-人馬宮の最初の2つのデカン)。
The King of Wands is Fire of Fire, Specific Fire in Primal Fire on the Tree of Life.
「棒の王」は、「火」の「火」、「生命の木」における「根源的な火」の「特有的な火」
である。
--- ここまで ---
「棒の王」に配属されるデカンは、天蠍宮(てんかつきゅう、さそり座)の20°-30°と
人馬宮(じんばきゅう、いて座)の0°-20°となります。
また、「Salamander/サラマンダー」というのは、「火とかげ」とも呼ばれ、火の中に住み、
火を司る精霊のことです。
ウェイト版では、この「サラマンダー」が、玉座の背、王のマント、そして玉座の上に、
描かれています。
ちなみに実在の動物では、「サンショウウオ」が「サラマンダー」という名前を持って
いますが、こっちは両生類ですので、水は大好きですが、火は大の苦手です。
あと、「棒の王」は、「生命の木」においては
・「棒」=「アツィルト」=「Primal Fire/根源的な火」
・「王」=「コクマー」=「Specific Fire/特有的な火」
に配属されていますので、コート・カードの中では、最も「火」の力が強く、それゆえに
根源的なものであり、その点では、次元は違いますが、「棒のエース」に似た性質も
持っているとも言えます。
まあ、見た目もそうですが、熱血漢で、結構暑苦しいリーダータイプの人間を想像すれば
いいかと思います。
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- 2015/04/23(木) 06:38:04
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
The Marseilles King is seated on a throne, and holds a wand in his right hand.
マルセイユ版の「王」は玉座に腰掛け、そして彼の右手に棒を持つ。
Waite's King is also seated, and holds the same fertile Wand found in the Rider
Ace of Wands.
ウェイト版の「王」もまた腰掛け、ライダー版の「棒のエース」に見られるのと同じ
繁殖可能な「棒」を持つ。
His crown indicates flames, as the Serpents behind and on his robe refer to Chokmah.
彼の王冠は炎たちを表し、同じように、背後および彼のローブにある「蛇たち」は、
「コクマー」を参照する。
--- ここまで ---
「王」のデザインは、マルセイユ版とウェイト版が「玉座に座す姿」である一方で、
ゴールデン・ドーン版とート版は「馬に乗る姿」で描かれるという違いがあります。
これは、普段はどっしりと構えている(=玉座に座す)が、何か事があった時には直ちに
臨戦態勢に入れるようにしている(武装して馬に乗る)という、コクマー特有の二面性が
あるために、どちらの姿をメインにしておくかというのは、原作者の趣味に依るという
ことです。
ワタシとしては、「王」は、あまり前線には出ずに、陣地でどっしりと構えておいて
もらった方が、色々とやりやすいです。
ちなみに、ウェイト版の「火とかげ」のデザインは、「ウロボロス」と同じく、頭と尻尾
が連結した姿となっており、これは以前述べたように「知恵(=コクマー)」を表すもの
となっています。
また、玉座の背にある「獅子」は、ウェイト版においては、「棒の王」に関係するものと
されています。
おそらくは、「獅子宮」が「火」の属性を持つことと、「王」にふさわしい風格を持つ
ということなのだと思われます。
ちなみに、ライオンのオスは、普段は狩りには出ずに、どっしりと構えていますよね。
で、何かあった時には、前線に出てきて、敵と戦うということになるわけです。
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- 2015/04/24(金) 06:50:34
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
The Golden Dawn and Crowley cards symbolize the dynamic, outrushing, pattern of
this energy with the Moorish (Arabian) black horse which leaps through the flames.
ゴールデン・ドーンとクロウリーのカードたちは、活動的で、ほとばしり出るような、
この精力の様式を、炎を貫いて飛び跳ねるムーア人の(アラブの)黒い馬で象徴している 。
The King's crest is a winged horse head.
「王」の頭頂は、有翼の馬の頭である。
--- ここまで ---
「王」のカードに「馬」を用いるゴールデン・ドーン版とトート版は、どちらも「黒い馬」
を採用しています。
ちなみに「Moorish black horse/ムーア人の黒い馬」という表現ですが、「ムーア人」と
いうのは、元々は北アフリカに住む人々で、イスラム化した後、アラブ人が乗っていた
アラブ種の馬を得て、アラブ人と共にスペインに侵攻してイスラム国家を設立しています。
そして、ムーア人はアフリカ系ですので、肌の色が黒いので、「黒い馬」というイメージに
合う、「ムーア人のように黒い、アラブ種の馬」という感じではないかと思います。
ちなみに、このアラブ種の馬は、サラブレッドの祖先となっている馬ですので、馬好きな
人であれば、名前は聞いたことがあるかと思います。
さて「winged horse head/有翼の馬の頭」ですが、「"T"の書」には、兜の上、胸当て、
肩当て、そして長靴に、有翼黒馬頭の紋章が付けられることになっています。
ゴールデン・ドーン版では、胸当てのみに、その紋章が見られます。
トート版では、兜の上、胸当て、肩当て、長靴だけでなく、馬の手綱と鞍の部分にも
その紋章が描かれています。
つまり、トート版の方が、「"T"の書」の記述に近いものになっています。
ちなみに有翼の馬といえば、天馬ペガサスをイメージしますが、ペガサスは白馬です
ので、直接の関係は無いと思われます。
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- 2015/04/26(日) 06:51:56
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
Like all of the Golden Dawn court cards, he is in armor, implying that the qualities
of the Elements which they symbolize do life's battle for us.
ゴールデン・ドーンのコートカードたちの全てと同じように、彼は鎧を着て、彼らが象徴
している「元素たち」の特質たちが、我々にとっての生命の戦いを行っていることを暗示
している。
In his hand he carries the same wand found on the Ace, showing that he is the motive
vehicle for the Fire Force.
彼の手に、彼は、「エース」に見られるものと同じ棒を持ち運び、彼が「火の力」にとって
の原動力となる媒介者であることを示している。
--- ここまで ---
ゴールデン・ドーン版における、コートカードの「armor/鎧(よろい)」の描き方には
一定のルールがあります。
つまり、鎧の表面積が、「王」>「女王」=「王子」>「王女」になっているわけです。
ただし、この表面積の法則は、ゴールデン・ドーン版だけに見られるもので、派生版である
ウェイト版やトート版では、きちんと考慮されていません。
これは、原作者のマサース氏が割と戦争好きであったためであって、他の版の作者である、
ウェイト氏(&ピクシーたん)やハリス夫人が、そういう戦闘行為に関係する「鎧」の
デザインには、あまり興味が無かったということではないかと推察されます。
まあ、無骨な鎧よりは、普通の衣装デザインの方が、一般受けするのは確かですしね。
また、「王」の右手には、「棒のエース」にある「棒」が握られています。
そして、馬の額の部分には、「棒のエース」の左の枝にあった「火=アツィルト界」の
印形が記されています。
おまけに、下からも炎であぶられていますので、カード全体が「火」で覆い尽くされて
いるような感じになっています。
つまり、この「棒の王」は、下界に放火していく火付け盗賊、いやいや冷え切った地上に
熱い「火」のエネルギーをもたらす「偉大なる先駆者」として作用しているというイメージ
であるということですかね。
でもまあ、あまり暑苦しいのは、ちょっと勘弁してほしいんですけどね。
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- 2015/04/27(月) 06:57:54
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
KING OF CUPS, Lord of the Waves and of the Waters, King of the Hosts of the Sea,
King of Undines and Nymphs (Last Decan of Aquarius - first two Decans of Pisces).
「杯の王」、波たちと水たちの主、海の主人たちの王、ウンディーネたちとニンフたちの王
(宝瓶宮の最後のデカン-双魚宮の最初の2つのデカン)。
The King of Cups is Specific Fire in the World of Primal Water.
「杯の王」は、「根源的な水の世界」における「特有的な火」である。
--- ここまで ---
さて、「棒の王」の次は、「杯の王」ですね。
「杯の王」に配属されるデカンは、宝瓶宮(ほうへいきゅう、みずがめ座)の20°-30°と
双魚宮(そうぎょきゅう、うお座)の0°-20°となります。
「棒の王」は「火の世界の王」でしたが、「杯の王」は「水の世界の王」となります。
つまり、海や川などにある全ての「水」に関係するものの原動力となるエネルギーを供給
する者としての働きを持つということになりますかね。
なお、「Undine/ウンディーネ」は、四大元素に配属されている精霊で、四大には
・火=「Salamander/サラマンダー」
・水=「Undine/ウンディーネ」
・風=「Sylph/シルフ」
・地=「Gnome/ノーム」
というふうに割り当てられています。
ちなみに「Nymph/ニンフ」は、一般的な妖精を指すこともありますが、「ウンディーネ」
と同等の存在、すなわち「水を司る精霊」であると見なされる場合もあります。
ここは、両者の使い分けを合理的に判断するのは難しいので、前後の文脈から、オトナの
対応をする必要があります。
そして、「杯の王」は、「生命の木」においては
・「杯」=「ブリアー」=「Primal Water/根源的な水」
・「王」=「コクマー」=「Specific Fire/特有的な火」
に配属されていますので、「棒の王」と比べれば、暑苦しさは半減しています。
とはいえ、元々二重性を持つ「コクマー」に、さらに別の属性を持たせるということに
なるわけで、結果的には、さらにややこしい性格を持つことにもなるわけなのでした。
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- 2015/04/28(火) 06:55:29
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
It is a personification of the force which motivates the currents of the unconscious
mental world symbolized by Water, an idea found in Waite's King, Whose heavy throne
seems to ride effortlessly on the Water as does the Golden Dawn figure.
それは、「水」により象徴される無意識の精神的な世界の流動たちを動機づける力の人格化
であり、その考え方は、ゴールデン・ドーンの図案にあるのと同じように、彼の重い玉座
が「水」の上に楽々と乗っているように見えるウェイト版の「王」に見られる。
--- ここまで ---
「棒の王」の「Spiritual/霊的」な世界と、「杯の王」の「Mental/精神的」な世界の
違いは、「火」と「水」の違いに象徴されます。
この「四大元素」による区別は、ゴールデン・ドーン版のコートカードにおいては顕著で
あり、誰が見ても「棒=火」「杯=水」「剣=空気」「五芒貨=地」であることがわかる
ようになっています。
つまり、実用性よりも、勉強用や研究用としての理論重視のデザインであるということで
あり、それゆえ占いにおいては、いまいち使いにくいという面もあります。
つまり、カードの絵柄からだけでは、占いの意味を導き出すことが難しく、描かれている
象徴の意味を、事前にしっかりと頭に叩き込んでいなければならないという、初心者には
とっつきにくいというか、わかる人にしかわからないという独特の使いにくさがあるわけ
ですので、占い用としては、あまり人気が無いということなんですよね。
ちなみに、この「王」も、「コクマー」の二重性、すなわち「動と静」の両面を持って
いるわけですが、「棒」のような「動>静」ではなく、「杯」の場合は「静>動」の性質
となり、ゴールデン・ドーン版では「静」をメインに、そしてウェイト版では、前面が
「静」で背景が「動」の両面が描かれています。
トート版では、割と「動」が前面に出ていますので、これはちょっと異質ですかね。
いずれにしても、この「杯の王」の精神世界における動的な働きかけの部分は、主として
「静」の「無意識」の世界に向けられるものであり、それゆえに、「わかりにくい」という
性質を持ちます。
そして、他人から見ても「わかりにくい」上に、本人自身も「よくわかっていない」という
状況に陥りやすいので、ハタから見ると「宇宙人」に見えたりするわけですよね。
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- 2015/04/29(水) 08:42:16
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
That King carries a Cup from which issues a Crab, symbol of the Sign Cancer (Cardinal
Water) which, ruled by the Moon, directs the flow of tides.
その「王」は、潮の干満の流れを導く「月」により支配される「巨蟹宮」(「カーディナル」
な「水」)の象徴である「蟹」を発している「杯」を持ち運ぶ。
The Crab also relates to Isis, the Great Mother, Stella Maris, Star of the Sea.(*71)
「蟹」はまた、「イシス」、「太母」、「海の星」、「海の星」と関連する。(*71)
--- ここまで ---
ちなみに、(*71)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
71. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, LIV.
71. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、54ページ。
--- ここまで ---
とあります。
この書名は省略されていますので、詳しい書籍情報は、NOTEの69を参照してください。
さて、「杯の王」には「巨蟹宮/Cancer」を象徴する「Crab/蟹」が描かれています。
その一方で、後に出てくる「杯の女王」には、同じく「巨蟹宮/Cancer」を象徴するもの
ではありますが、「Crayfish/ザリガニ」が描かれています。
占星術的には、ほぼ同等のものではありますが、ゴールデン・ドーンでは、両者は使い分け
されています。
ちなみに、これら両者の違いですが、「Crab/蟹」は「潮の干満」により生まれる干潟に
主に住んでいて、干潟で活発に活動していて、我々の目に触れる機会が多いのに対して、
「Crayfish/ザリガニ」は主に水中に住んでいるので、我々は、その姿を見る機会が比較的
少ないということになります。
つまり、「Crab/蟹」の方が、より活動的で、目立っていて、陸上生活にも適応できる形態
に進化しているということなんですよね。
それゆえ、「Crab/蟹」を上位の「王」に、「Crayfish/ザリガニ」を下位の「女王」に
結びつけているということになります。
また、「カーディナル」というのは、占星術では「活動宮」と訳されますが、「水=蟹」が
「杯」から湧き出している状態というのは、この「Cardinal Water/カーディナルな水」
そのものであるということですよね。
あと、訳文に「海の星」が二つ出てきていますが、前者の「Stella Maris/海の星」は
ラテン語で、後者の「Star of the Sea/海の星」は英語です。
そして、「Stella Maris/海の星」は、学術的な意味ては「ヒトデ」となりますが、
裏の意味では「聖母マリア」を意味するものとなります。
つまり、「イシス」「太母」「海の星」というのは、この「杯の王」ではなく、
「杯の女王」の方が、ふさわしいものであると思われます。
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- 2015/04/30(木) 06:42:37
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 67) ---
The peacock, found as the crest of the Golden Dawn King, enlarged and abstracted
by Crowley, is variously attributed as a symbol of wisdom (i.e., Chokmah) and as
a bird whose flesh is incorruptible.
ゴールデン・ドーン版の「王」の兜飾りとして見つけられ、そしてクロウリー版により
拡大され抽出されたクジャクは、知恵(すなわちコクマー」)の象徴、および肉体が腐敗
しない鳥として、様々に帰属される。
It was also related to the Phoenix, a bird which died in flames every five hundred
years and then rose from its own ashes. (*72)
それはまた、500年ごとに炎の中で死んで、それからそれ自身の灰たちから蘇生する鳥で
ある、フェニックスに関連付けされた。(*72)
--- ここまで ---
ちなみに、(*72)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
72. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, LXXXIX.
See also T.H. White, The Bestiary, New York 1960, 125.
72. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、89ページ。
また、T.H.ホワイト著、『動物寓話集』、ニューヨーク、1960年発行、125ページも参照。
--- ここまで ---
とあります。
この文章で、ゴールデン・ドーン版の「王」の兜飾りとなっている「peacock/クジャク」
ですが、「"T"の書」には「兜、胸当て、長靴に翼を広げたクジャク」と書かれているの
ですが、ゴールデン・ドーン版タロットには、「胸当て」にのみ描かれています。
また、トート版では、「王」から離れたカードの右下に、波のように大きく抽象的に、
うっすらと描かれています。
で、なぜに「クジャク」なのかということについては、いまいち納得できてはいないの
ですが、とりあえず、ここに書かれている「知恵」とか「不死」というものを象徴して
いるという程度で、お茶を濁しておこうかと思います。
そもそも、何で「水」属性のカードに、水鳥でもないクジャクが出てくるんですかねぇ。
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- 2015/05/01(金) 06:45:30
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) ---
THE KING OF SWORDS, Lord of the Winds and Breezes, King of the Spirit of Air,
King of Sylphs and Sylphides (Last Decan of Taurus - first two Decans of Gemini).
「剣の王」、風たちと、そよ風たちの主、空気の聖霊の王、シルフたちとシルフィードたち
の王(金牛宮の最後のデカン-双児宮の最初の2つのデカン)。
The King of Swords is Specific Fire in Primal Air.
「剣の王」は、「根源的な空気」における「特有的な火」である。
--- ここまで ---
「剣の王」に配属されるデカンは、金牛宮(きんぎゅうきゅう、おうし座)の20°-30°と
双児宮(そうじきゅう、ふたご座)の0°-20°となります。
なお、「Sylph/シルフ」は「空気(風)の精霊」の男性形で、「Sylphide/シルフィード」
は「空気(風)の精霊」の女性形となっています。
とはいえ、どちらも女性として描かれることが多いんですけどね。
あと、「剣の王」は、「生命の木」においては
・「剣」=「イェツィラー」=「Primal Air/根源的な空気」
・「王」=「コクマー」=「Specific Fire/特有的な火」
に配属されていますので、「風」に煽られる「火」のパワーとなって、より強烈な個性を
発揮しそうな組み合わせでもあるわけでした。
あと、「コクマー」の二重性だけでなく、デカンの「双児宮」の二重性を持ちますし、
そもそも、剣のカードって、「起承転結」の「転」に相当する部分ですので、波乱万丈の
幕が切って落とされるような展開になってもおかしくないわけなのでした。
要するに、一つの意味に絞ることが困難なカードであって、それゆえに色々な姿で描かれ、
そして色々な意味を持つという、ややこしいことになるわけですよね。
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- 2015/05/02(土) 09:09:23
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) ---
It is a personification of the activating Force behind the World of Astral images
and ideas.
それは、「星幽界」的な心象たちと観念たちの「世界」の背後にある活性化する「力」の
人格化である。
It is a violent and agressively cutting power, an idea shown best by Crowley,
and not at all by the Waite and Marseilles cards.
それは、 暴力的で攻撃的な切り裂く能力であり、それはクロウリー版により最も良く
表され、そしてウェイト版とマルセイユ版カードにおいては、少しも無い考え方である。
--- ここまで ---
「剣の王」という「風」に煽られる「火」の「violent and agressively cutting power
/暴力的で攻撃的な切り裂く能力」を前面に出した「悪い面」の描写は、トート版にのみ
見られます。
他のカードでは、そういう凶暴さは前面に出さず、そういう狂った部分をうまく抑えた、
「良い面」の姿として描かれています。
ちょっとわかりにくいのですが、この「剣の王」のカードの偽らざる真の姿は、実は
クロウリー版で表される「バーサーカー」のような姿なのです。
でも、普段のアッシャーでの生活では、それを「星幽界」の奥にひた隠し、ウェイト版や
マルセイユ版のように、偽りの冷静を装う姿で我々の前に鎮座しているということであり、
それゆえに、この手の人の考えていることは、わかりにくいというわけです。
さらに、この「隠された能力」というのは、普段の我々にとって、いまいち理解難い
「星幽界」のものであるため、それが地上において発揮されると、王の配下の下々の者
たちが大混乱になることも、想像に難くないわけです。
そういうわけで、実にやっかいなものであり、「ありのままに~」なんてやっちまうと、
「やっちまった」的な展開になりがちですので、「ありのまま」ではなくて、良く考えて
から、アッシャー界に住む我々にもわかるように説明し行動してほしいな~、なんて思う
わけなのでした。
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- 2015/05/03(日) 20:34:35
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) ---
Crowley's mounted King is the dynamic energy of the charging bull of Taurus, but
being predominantly Gemini he turns easily in one direction or the other.
クロウリー版の(馬に)乗る「王」は、「金牛宮」の突進する雄牛の活動的な精力である
けれども、大部分は「双児宮」であり、彼はどちらかの方向に容易に転向する。
Gemini is also implied in the Golden Dawn King's crest, the Hexagram which is a
merging of opposites.
「双児宮」は、また、ゴールデン・ドーンの「王」の兜飾りにある、正反対のものの
融合したものである六芒星に暗示される。
--- ここまで ---
トート版の「剣の王」の姿は、一見すると「真っ直ぐ突進する猛牛」のような「荒ぶるだけ
の愚直な馬」に乗る、猪突猛進的な戦士のようであるけれども、それはあくまでも「全体の
1/3の金牛宮(地)」の持つ表面的な姿であって、本当の姿は「全体の2/3の双児宮(風)」
の持つ、軽々しくひらりひらりと身をかわすという、身軽で抜け目のない特性が支配的で
あるということです。
ただ、風の星座に特有の「ずる賢さ」というのは、トート版の「剣の王」には、いまいち
感じることができないわけで、そういう意味でも、他のものとは異質のように思います。
なお、「Hexagram/六芒星」ですが、ゴールデン・ドーン版タロットでは、例のごとく
「crest/兜飾り」ではなく、胸当ての部分のみに、「"T"の書」に指定された「有翼六芒星」
が描かれています。
ちなみに、ウェイト版では、玉座の部分に双子らしき姿があり、さらに空を飛ぶ二羽の鳥の
姿が描かれていて、いずれも「双児宮」の二重性を暗示したものとなっています。
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- 2015/05/04(月) 06:47:22
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) ---
To this King is attributed a subtleness and craftiness, as Air refers to the
conscious mind.
この「王」には、「空気」が意識的な精神に関連するので、巧妙さと、ずる賢さが帰属
されている。
--- ここまで ---
「剣の王」の本質は、「双児宮(風)」支配者であり、本来は、非常に賢くて抜け目の
無いというか、ハタから見ると、ワル賢くて、何かイヤなヤツになるわけですが、
周囲からそういう目で見られないように、きちんと計算して立ち回ることの出来るだけの
器用さというものも兼ね備えているわけです。
で、油断して軽々しく近づくと、エラい目に遭うということになるわけですよね。
とにかく、多面性のあるカードですし、いずれか一つの性格に限定して語ることはできず、
ややもすると、怪人百面相のごとく、周囲の人を翻弄するような感じになりがちですので、
なかなか付き合うのが大変な感じになります。
とはいえ、「双児宮(風)」のコミュニケーション能力がうまく発揮できる局面であれば、
そういう無茶振りも少なくなり、元々のスペック値の高さと相まって、周囲とうまく協力
していくことで素晴らしい業績を上げることもできますので、できればそういう方面で
活躍してほしいと思うのでした。
いずれにしても、この「剣の王」が「暴君」となるか「賢帝」となるかは、それこそ
運次第とも言えるものですので、面倒くさいことが嫌いなワタシとしては、あまり近づき
たくはない種類の人物であることは確かなのでした。
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- 2015/05/07(木) 06:30:27
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) ---
KING OF PENTACLES, Lord of the Wild and Fertile Land, King of the Spirits of Earth,
King of the Gnomes (Last Decan of Leo - first two Decans of Virgo).
「五芒貨の王」、未開および肥沃な土地の主、地の聖霊たちの王、ノームたちの王(獅子宮
の最後のデカン-処女宮の最初の2つのデカン)。
The King of Pentacles personifies Specific Fire in Primal Earth.
「五芒貨の王」は、「根源的な地」における「特有的な火」を人格化する。
--- ここまで ---
「五芒貨の王」に配属されるデカンは、獅子宮(ししきゅう、しし座)の20°-30°と
処女宮(しょじょきゅう、おとめ座)の0°-20°となります。
「Gnome/ノーム」は「地の精霊」であり、地下や森の中に住む小人の姿として描かれる
ことが多いですよね。
あと、「五芒貨の王」は、「生命の木」においては
・「五芒貨」=「アッシャー」=「Primal Air/根源的な地」
・「王」=「コクマー」=「Specific Fire/特有的な火」
に配属されていますので、「地」に足の着いた「火」のパワーというか、土煉瓦で作られた
炉の中に燃えさかる、きちんと制御された「火力源」みたいな感じですかね。
「コクマー」には、新しいものを作り出すという性質がありますので、それが「地」という
フィールドにおいて発揮されることについては、それなりに有益であり、それなりに相性が
良いということなのですが、どうしても最下層にある「アッシャー界」の世界での話になる
わけですので、あまり高度なものを生み出す能力は無いということにもなります。
この「ノームの王」のように、自然に囲まれて自然体に生きる姿勢は、ワタシとしては、
決して嫌いではないのですが、頑固というか、物事の奥底にあるものを理解する能力には
欠けますので、いまいち面倒臭いところもあって、やっぱり付き合いにくいのでした。
要するに、ワタシは、この手の男性の支配者階級に対する、一種の苦手意識みたいなものが
あって、この4枚の「王」のシリーズというのは、いまいち好きにはなれないのでした。
つまり、ヒーロー物よりは、ヒロイン物のほうが、ワタシの趣味に合っているということ
なんですよね。
え、おまいの趣味の話なんて、どうでもいいって?
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- 2015/05/08(金) 06:51:50
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) ---
It is the most dense manifestation of the Elemental Yod Force, and is the energy
which brings about material fruition and growth as Waite has shown here in a very
effective card.
それは「四大元素のヨッドの力」の最も高密度の顕在化であり、ウェイト氏がここで非常に
効果的にカードに示してきているように、物質的な結実と成長をもたらす精力である。
--- ここまで ---
「王」のカードの主体というか基本にあるのは、「Elemental Yod Force/四大元素の
ヨッドの力」であり、それが「五芒貨の王」という「アッシャー界」の次元においては、
どのように我々に見えてくるのか、どう関係してくるのかということです。
そして、それが最もわかりやすい形で表現されているのが、ウェイト版の「五芒貨の王」
であるということなんですよね。
ただし、ウェイト版のデザインは、「"T"の書」からは若干の修正があり、どちらかと
いうと、より俗物的かつ守備的な感じが強く出ています。
つまり、野性の雄鹿ではなく家畜の雄牛を、トウモロコシではなくブドウを、そして単なる
肥沃な土地の上で馬に乗る姿ではなく、自ら築いた城で玉座に坐る姿になっています。
要するに、「"T"の書」では「material growth/物質的な成長」段階であり、その一方で、
ウェイト版では「material fruition/物質的な結実」の段階であるということですよね。
そして、ウェイト版では、ブドウの実ったガウンの下には、頑丈そうな鎧を着用していて、
もう完全に守りに入っている状態ですよね。
なんだかもう、農園を経営する頑固なオヤジといった感じの王様です。
とはいえ、ウェイト版での占いの意味は、そんなに悪いものではなく、どちらかというと、
知的で計算能力に長けた、優れた商業的な経営者としてイメージされている感じです。
人は見かけによらない、ということですかね。
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- 2015/05/09(土) 08:39:47
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
His King is the very essence of the energy underlying earthly growth.
彼の「王」は、地上の成長の根底にある精力のまさしくその本質である。
--- ここまで ---
ウェイト版の「五芒貨の王」は、素人目に見ても、とても良く「地の火」というものが
表現できているということですよね。
つまり、「地の精霊ノームたちの王」とか「大地の妖精ドワーフたちの王」というような、
割とどっしりした感じで、自然の恵みに囲まれ、大地にしっかりと足が着いた姿は、
この地上と地下の世界を統べる王の姿としては、割と良く出来ていると思います。
ちなみに、ウェイト版の「王」で、鎧を着用しているのが明確なのは、この「五芒貨の王」
だけであり、それも普段はガウンの下に隠していて、軽々しく他人には見せないように、
きちんと配慮しています。
そして、地下から湧き出す魔物が、この地上にこっそりと出現しようとする時には、その
守備的な鎧のパワーと、その圧倒的な重量感と、内に隠された「火」の魔力で、戦わずして
邪悪な魔物を地下世界に押し戻すという、陰に隠れた活躍をしているということです。
我々の住むアッシャー界を統べるにふさわしい、頼りがいがあって、それなりに実力もある、
どっしりした人物ですよね。
それに比べると、他のウェイト版の「王」たちは、ちょっと頼りない感じもします。
要するに、ウェイト氏は、アッシャー界=リアル世界を重要視しているということであり、
その点では、マサース氏やクロウリー氏とは、ちょっとだけ世界観が異なります。
このため、リアル重視の占いでは、理論重視のゴールデン・ドーン版やトート版よりは、
ウェイト版の方が適しているということでもあります。
まあ、リアルに恵まれない人であれば、理論重視で占いをやってもいいと思うのですが、
占いを商売にするのであれば、ワタシとしてはウェイト版を、お勧めするのでした。
とはいえ、きちんとタロットのことを理解して占いをやっているようなプロのタロット
占い師って、ほとんど会ったことは無いんですけどね。(苦笑)
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- 2015/05/10(日) 07:59:26
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
The Golden Dawn and Crowley Kings use the emblem of a stag, an animal to whom great
regenerative powers are attributed.
ゴールデン・ドーンとクロウリーの「王」は、深遠なる再生の能力たちが帰属されている
動物である「雄鹿」の紋章を使う。
The stag mythically eats the Serpent (absorbs wisdom) and in so doing sheds its
skin, as well as any illness, weakness and old age.
「雄鹿」は神話的に、「蛇」を食べて(知恵を吸収して)、そうすることで、その皮だけで
なく、どんな病気や弱点そして老齢も同じように、脱皮する。
It is totally regenerated. (*73)
それは、完全に再生される。(*73)
--- ここまで ---
ちなみに、(*73)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) ---
73. White, The Bestiary, 37-40.
73. ホワイト著、『動物寓話集』、37-40ページ。
--- ここまで ---
とあります。
詳しい書籍情報は、NOTESの72を参照してください。
「"T"の書」では、この「五芒貨の王」を象徴する動物には、「stag or antelope/雄鹿
もしくはレイヨウ」が割り当てられています。
ちなみに、ゴールデン・ドーン版とトート版には、角が数多く分岐した「雄鹿/stag」が
描かれています。(レイヨウは、あまり枝分かれしていません。)
さて、この「雄鹿」が、エリクサー的な「蛇」を食べて再生するという神話伝説ですが、
古代ローマ時代からある由緒正しいネタであり、それゆえキリスト教においても、邪悪な
ものを退治するというネタにされるほど、有名なもののようです。
なぜ「五芒貨の王」に「雄鹿」なのかは、いまいちよくわからないのですが、「王」の
「火」の属性には、不老不死の意味が込められているようですので、おそらくそういう
ことではないかと想像します。
とはいえ、カードの意味自体は、活動的な「雄鹿」というよりも、鈍重な「雄牛」に近い
ものですので、いまいちピンと来ないんですよね。
この「雄鹿」に限らず、マサース氏のコート・カードを象徴する動物の選定基準って、
いまいち良くわかんないものが多いんですよね。
オカルト的なネタを知っておかないと、全く違う意味に捉えてしまうこともあるわけ
なので、割と要注意なのでした。
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- 2015/05/11(月) 06:33:16
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
Thus, it is a fitting symbol for Fire of Earth.
このように、それは「地の火」にふさわしい象徴である。
It moves fleetingly, as fire, but also represents the cyclic rebirth of the earth.
それは、火として一瞬だけ作動するが、しかしまた、地の周期的な再生をも表す。
--- ここまで ---
要するに、「五芒貨の王」は、この地上界の深遠なる再生能力を象徴する存在であって、
そのネタとして、「蛇=知恵=コクマー=火」を食らうことで、再生する「雄鹿」という
物語を使ってみたということですかね。
そういえば、雄鹿の角って、毎年、春になると抜け落ちて、また新しく生え替わるのですが、
そういうところも、「火」による再生能力として見られているのかもしれません。
いずれにしろ、「火=コクマー」の出番は、その再生の場面だけであり、通常は楽屋裏で
待機していて出番を待っているということであり、不死鳥伝説みたいな感じになるわけです。
つまり、「地」の四季のサイクルを回すための「火」のエネルギーが表に出てくるのは、
4サイクルエンジンの点火した瞬間のように割と一瞬であって、この「五芒貨の王」は、
そのエネルギーを、割と効率的に使っているということになるわけですかね。
まあ確かに、ゴールデン・ドーン版の「王」って、どれも割と堅実的で、割と質素な感じも
ありますよね。
で、こうして見ていくと、ウェイト版とゴールデン・ドーン版&トート版では、ずいぶんと
意味が違ってくるなぁという感じですよね。
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- 2015/05/12(火) 06:53:03
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
This same fruition is indicated by the corn (symbol of Isis-Ceres) in the foreground.
これと同様の成果は、前景にある穀物(イシス-ケレスの象徴)により示される。
It is clear that Mathers was a student of medieval bestiaries, where the animal
legends are collected.
マサース氏が、動物の伝説たちが集められている、中世の動物寓話集たちの研究家であった
ことは明らかである。
--- ここまで ---
「五芒貨の王」には、春の「再生」と共に、秋の「結実」の能力も割り当てられています。
この意味で、ゴールデン・ドーン版では「corn/トウモロコシ」が、トート版では「corn
/麦」が描かれています。
ちなみに、「トウモロコシ」はアメリカ大陸原産であり、ヨーロッパで生産されるように
なったのは16世紀になってからですので、古代エジプトの女神である「イシス」、および
古代ローマの女神「ケレス」の象徴となっている作物は、「トウモロコシ」ではなく「麦」
です。
つまり、ゴールデン・ドーン版のトウモロコシの絵は、おそらく勘違いであって、オカルト
的には「麦」が正解であるということになりますかね。
あと、ゴールデン・ドーンのコートカードには、それぞれ動物の象徴が付与されており、
大アルカナにも様々な動物が登場していますが、みんなそれぞれに元ネタがあります。
そして、このネタ元となっているものの多くは、中世の魔術や錬金術と同時期にブームと
なった、各種の「bestiary/中世の動物寓話集」にあります。
つまり、マサース氏は、純粋な「ケモナー」であったということではなく、魔術や錬金術の
研究の流れの中で、ここから派生している「動物寓話集」みたいなものにも興味を持ったの
ではないかと想像します。
ちなみにワタシは、二次元・三次元いずれであれ、ケモノ大好きです。
古くは手塚プロの不思議三匹アニメから、今ではサンリオの深夜商売アニメまで、
幅広くカバーしております。
あ、朝番組の御大様と通称様の2大巨頭対決も、大変面白うございました。
ケモノって、やっぱりいいよね~。
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- 2015/05/13(水) 07:01:40
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
3. BINAH: Understanding
3. ビナー:理解
The Four Threes
「四枚の3たち」
The Four Queens
「四枚の女王たち」
--- ここまで ---
さて、ここからは、「コクマー」の次のセフィラである「ビナー」の話になります。
ゴールデン・ドーンでは、「ケテル」からの流出の小径の割り当てが、従来の、
「ケテル」→「1. 魔術師」→「コクマー」
「ケテル」→「2. 高等女司祭」→「ビナー」
から、
「ケテル」→「0. 愚者」→「コクマー」
「ケテル」→「1. 魔術師」→「ビナー」
に変更されていることに、注意が必要です。
要するに、古典的カバラ・タロット理論における「ビナー」の女性的な面の、かなりの
部分が、ゴールデン・ドーンの思想の底流にある、近代的女性論に修正されなければなら
ないということです。
実は、この微妙な違いをうまく理解するのって、思っているよりも、やっかいなことです。
なぜなら、人間の個体は、基本的に、男あるいは女という属性を持つ存在であるために、、
どうしても、自身の性である男あるいは女に「偏った考え方」をしてしまう傾向が強く、
それゆえに、「男」は「女」を、そして「女」は「男」を、お互い理解し難い存在である
と認識してしまうからなんですよね。
そう、「ビナー」の「理解」って、我々のような生身の人間には、一生かかっても出来る
ことではないのですよ。
とはいえ、お互い理解出来ないと愚痴っててもしょうがありませんので、どうせお互いに
理解し合えることなんて一生できないよね~、とあきらめて開き直って、ぼちぼち先に
進んでいこうと思うのでした。←無気力感w
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- 169
- 2015/05/14(木) 06:37:59
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
□ The Supernal Mother
□ 天上の母
□ The Organizer and Compensator
□ 組織者と補正者
□ The Will to Form
□ 形の意志
□ The Dark Sterile Mother, the Bright Fertile Mother
□ 暗い不毛の母、明るい肥沃の母
□ The Great Sea
□ 大いなる海
--- ここまで ---
「ビナー」を理解するには、対になっている「コクマー」と照らし合わせて考えることが
必要不可欠です。
最初の三つの文には、それぞれ対になるものが「コクマー」にあります。
「コクマー」:「The Supernal Father/天上の父」
「ビナー」:「The Supernal Mother/天上の母」
「コクマー」:「Dynamic Outpouring Energy, Unorganized and Uncompensated/
未組織で未補正の、活動的な流出する精力
「ビナー」:The Organizer and Compensator/組織者と補正者
「コクマー」:「The Will to Force/力の意志」
「ビナー」:「The Will to Form/形の意志」
これについての詳しい話は、ダイアン・フォーチュン氏の『The Mystical Qabalah/神秘の
カバラー』あたりを参考にしてもらうといいと思います。
ここで重要なのは、「コクマー」が「Force/力」というエネルギーを表すのに対して、
「ビナー」は、その「力」を受けて仮想的な「Form/形」を形成するということです。
もちろん、我々が観察可能な実体のある物質という「形」は、「マルクト」において形成
されるのですが、この「ビナー」という初期の段階において、「形」の原形が出来てくる
というのは、実は「Force/力」と「Form/形」は、根は同じものであって、我々の住む
物理世界を理解していく上では、非常に基礎的で重要な概念となっているものです。
ちなみに、「The Dark Sterile Mother, the Bright Fertile Mother/暗い不毛の母、
明るい肥沃の母」という二面性は、3のカードのスート毎の意味が両極端になることに
関係している要素です。
「コクマー」も「二重性」を持っていましたが、「ビナー」の「二面性」は、価値観を持つ
「善悪」とか「勝負」とか「上下」とかいう、割とわかりやすい優劣関係で表現されると
いう違いがありますかね。
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- 2015/05/15(金) 06:52:22
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
Symbols: The Yoni, the Triangle, the Cup, Heh
「象徴たち」:「女陰」、「三角形」、「杯」、「ヘー」
Planet: Saturn
「惑星」:「土星」
Color: Black
「色」:「黒」
--- ここまで ---
この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である「スジ入りおまんまん」と、図形の
「三角形」と、「杯」と、「土星」の占星術記号と、「聖四文字」で「四大元素」の「水」
を表すヘブライ文字の「へー」と、「生命の木」における「ビナー」の位置が図示された
絵が描かれています。
なお、「ビナー」の「黒色」は、「ケテル」の「白」や、「コクマー」の「灰色」と比べた
場合の表現であり、光の無い「暗黒」ということではありません。
つまり、「ケテル」は、曇りの無い純粋な「輝く光」ですが、「コクマー」は、薄いベール
を被った薄曇りの中の「やわらかい光」であり、「ビナー」は厚く密度の高い雲に覆われた
状態の「暗い光」というような感じです。
そして、この過程は、ビッグバン宇宙の創造の直後に、場の温度が下がってきたことで、
物質が生み出され、それにより宇宙創造に関わる光が弱まり、その後の「宇宙の暗黒時代」
へと至る過程に似ています。
もちろん、この「宇宙の暗黒時代」も、全くの暗黒ということではなく、宇宙創造に関わって
いた光は、現在においても「宇宙マイクロ波背景放射」として観測可能となっています。
つまり、「ケテル」「コクマー」「ビナー」の光は、宇宙創造時の「創造神」が発した
原始の光であって、それ以下の「セフィロト」の放つ光は、宇宙創造による物質創生の
後に、その物質から生まれた星たちが放つ、二次的な光であると考えることができます。
要するに、「ケテル」「コクマー」「ビナー」は、「創造神」が直接生みだした「子」の
世代であり、それ以下の「セフィロト」は、「孫」の世代であるということですよね。
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- 171
- 2015/05/19(火) 06:57:30
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
In Binah is a thick darkness which yet veileth the Divine Glory in which all colours
are hidden, wherein is mystery and depth and silence, and yet, it is the habitation
of the Supernal Light.
「ビナー」においては、その中に全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、
深い暗闇であり、 その中には神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは
「天上の光」の住居である。
There is the Supernal Triad completed.
完成された「天上の三つ組」がある。
And the Sphere of its Operation is Shabbathi, or rest, and it giveth forms and similitudes
unto chaotic matter and it ruleth the sphere of action of the planet Saturn.
そして、その作用する天球は「土星」、すなわち休息であり、そしてそれは混沌とした
物質に形と姿を与え、そしてそれは惑星の「土星」の活動の天球を支配する。
And Jehovah Elohim is the perfection of Creation and the Life of the World to Come.
そして、「イェホヴァ・エロヒム」は、創造および来るべき世界の生命の完成である。
And its Archangel is Tzaphqiel, the Prince of the Spiritual Strife against Evil,
and the Name of the Angels is Aralim, the strong and mighty Ones who are also called
the Order of Thrones.
そして、その大天使は「ツァフキエル」、悪に対する霊的な闘争の王子であり、そして天使
たちの名前は、「アラリム」、「座天使」の階級と呼ばれる強くて強力な者たちである。
--- ここまで ---
ここの部分は、恒例の、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」
の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。
相変わらず、いまいち良くわからない文章ですよね。
ちなみに、天使たちの階級で、ここで「Thrones/座天使」というものが出てきています。
この手の階級分けには色々な説があるのですが、ゴールデン・ドーンにおいては
1. ケテル=熾天使(してんし、Seraphim)
2. コクマー=智天使(ちてんし、Kerubim)
3. ビナー=座天使(ざてんし、Thrones)
4. ケセド=主天使(しゅてんし、Dominions)
5. ゲブラー=能天使(のうてんし、Powers)
6. ティファレト=力天使(りきてんし、Virtues)
7. ネツァク=権天使(けんてんし、Principalities)
8. ホド=大天使(だいてんし、Archangels)
9. イェソド=天使(てんし、Angels)
というようになっています。
だから何?と言われても、ちょっと困るんですけどね。
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- 2015/05/20(水) 06:39:22
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) ---
The key symbol of Binah is the Yoni, or female generative organ, indicating that
this Sephira is the energy from which all life emerges.
「ビナー」の重要な象徴は、「女陰」、もしくは女性生殖器官であり、この「セフィラ」が、
全ての生命が出現するところの精力であることを示す。
It is the Great Womb, the Supernal Mother to which all religions make reference
in some way.
それは、「大いなる子宮」であり、すべての宗派たちが何らかの方法でそれについて言及
している「天上の母」である。
--- ここまで ---
この部分は、前項の「In Binah is a thick darkness which yet veileth the Divine Glory
in which all colours are hidden, wherein is mystery and depth and silence, and
yet, it is the habitation of the Supernal Light./「ビナー」においては、その中に
全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、深い暗闇であり、 その中には
神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは「天上の光」の住居である。」
という意味深な箇所を、よりエロっぽく、いやいや、より低俗っぼく、いやいや、より
我々にとってわかりやすく象徴化したものと考えることが出来ますよね。
つまり、「ビナー」を想像することは、深い茂みに隠された中にある神秘と奥深さと沈黙
のアレを妄想するのと同値なわけであり、それゆえ黒く塗りつぶされなければならないと
いうことにも繋がるというわけです。
要するに、「ビナー」そのものが「黒い」ということではなく、人間の妄想や勝手な都合
で、わざわざ黒く象徴化しているということでもあるわけです。
とはいえ、「ケテル」「コクマー」「ビナー」は、万物の原材料となるものであるため、
それらは「全ての色を含む=無彩色」でなければならないという制限事項があるので、
必然的に「ケテル=白」「コクマー=灰」「ビナー=黒」という無彩色属性が割り当て
られてしまうという点は、ある程度は割り切っておかないといけないわけです。
でもまあ、そういう意味での「黒」って、ワタシは決して嫌いじゃないです。
というか、むしろ好きですけどね。
飼い猫は「黒猫」ですし、どちらかというとワタシは「黒い子」が好きなのでした。
それはともかく、この「ビナー」の正体は、「ブラックホール」みたいなものではなく、
「the energy from which all life emerges/全ての生命が出現するところの精力」と
記述されているように、むしろ「ホワイトホール」みたいな性質を持っています。
そして、我々の世界から見れば、そこからは完全に一方通行であって、出てくるだけで
光さえも後戻りは出来ないようなものになっているわけです。
結局のところ、この「ビナー」というものを理解しようとするならば、我々は一方通行
の妄想をする以外に手は無い、つまり、そう簡単に相互理解できるようなシロモノ
ではないということなんですよね。
でもまあ、他の人も、おそらく分かっていないので、理解できないことを、そんなに
気にする必要も無いと思います。
ということで、これからも個人的な妄想を、適当に書き連ねていくことにしましょう。
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- 2015/05/21(木) 06:55:53
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
It is also the completion of the Supernal Triangle, which began as the point in
Kether, emanated to Chokmah as the line, and emerges with Binah as the triangle.
それはまた、「ケテル」において点として始まり、「コクマー」へと線として発出し、
そして「ビナー」と共に三角形として出現する、「至高の三角形」の完成でもある。
--- ここまで ---
生命の木における、この「Supernal Triangle/至高の三角形」は、他の部分とは次元の
異なる、最も難解で崇高なものです。
そして、この「至高の三角形」でさえも、「上の如く、下も然り」の基本定理を悪用し、
「タロット」という俗世界へとマッピングする暴挙に出たのが、ゴールデン・ドーンと
いうことであり、それゆえ古来からのカバラ業界からは、かなりの批判があるわけです。
でもまあ、そういうゴールデン・ドーンの斜め上方向の努力のおかげで、我々のような
低俗な人間であっても、「カバラ」の持つ崇高な部分を、ちょっとは勉強しようかなぁ、
という気になるわけであり、その点では、充分評価に値するのではないかと思うのでした。
だからといって、そういう低俗な部分だけで満足せずに、「下の如く、上も然り」という
逆定理を働かせて、より上位の世界というものを、もっと知っておいてほしいとも思う
のでした。
それはともかくとして、この「至高の三角形」に「上の如く、下も然り」の基本定理を
適用すると、「至低の三角形」となるわけですが、これは「ミクロコスモス」における
最もミクロなる世界に隠されたものを指していることになるわけで、これも言葉では表現
することの出来ない、「その中に全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、
深い暗闇であり、 その中には神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは
「天上の光」の住居である。」に相当するものがあるというわけです。
結局のところ、「至高の三角形」および「至低の三角形」を象徴するものとして、
「女陰」という最もエロい、いやいや神秘的なデルタ地帯が選ばれているというのは、
ある意味当然と言えるわけなんですよね。
要するに、この手の神秘主義が一見するとエロく見えるというのは、決して偶然では
ないということなんですよ。←苦しい言い訳ww
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- 2015/05/22(金) 06:59:52
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
Two questions generally arise when first considering "sexuality" as it is philosophically
described in these upper realms of the Tree of Life.
「生命の木」のこれらの上位の領域たちにおいて、それが哲学的に記述されているように、
最初に「性別」を考慮する時には、2つの疑問が一般に生じる。
The first relates to the fact that the primary female Sephira, Binah, stands at
the head of the Pillar of Severity, while the primary male Sephira, Chokmah,
is at the head of the Pillar of Mercy.
一番目は、最初の男性の「セフィラ」である「コクマー」が「慈悲の柱」の先頭にある一方
で、最初の女性の「セフィラ」である「ビナー」が「峻厳の柱」の先頭に位置する、という
事実と関連している。
--- ここまで ---
この「Supernal Triangle/至高の三角形」において、最初の「コクマー=男性」と
「ビナー=女性」という、哲学的な「男女」の概念が出現しているのですが、これが
次の段階で、「慈悲の柱=男性」と「峻厳の柱=女性」という概念に発展していくと
いうことが、この「生命の木」を表面上理解し難くしている点の一つとなっています。
まあ要するに、最初にカバラの概念を考えた人々が、あまねく「男性=慈悲」であり、
「女性=峻厳」であると考えたということであって、このことから、カバラの概念を
作り上げた人たちは、間違いなく「女」に虐げられた「男」どもであろうということが、
容易に想像できるわけです。
もちろん、ワタシも、この考え方には、大いに賛成です。
つまり、あれこれと、もっともらしい理由を並べるよりも、直感的に「女性」の持つ
現実的というか、リアルな「厳しさ」というものを、世の男どもは感じていると思います。
まあ要するに、(バーチャルな)形なきものの「慈悲」にすがる者が「男」であって、
(リアルな)形あるものの「峻厳」を理解している者が「女」であるということなんですよね。
※なお、この「男と女の概念」はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係
ありません。
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- 2015/05/24(日) 06:33:16
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
This fact reflects the Qabalistic definition of maleness and femaleness as qualities,
rather than as static characteristics, as well as the ultimate bi-sexuality of the Soul.
この事実は、「魂」の究極の両性素質というだけでなく、静的な特性たちとしてよりは
むしろ特質たちとしての男性らしさと女性らしさの「カバラ主義」の定義を反映する。
In the Supernal Triangle, maleness is pure outgoing energy, merciful in that it is
unrestricted; femaleness is a limiting quality, and thus severe.
「至高の三角形」においては、男性らしさとは純粋な外向きの精力であり、それが制限が
無いという点で「慈悲深い」ものであり;女性らしさとは制限する品質であり、そして
それゆえに、「峻厳」なるものである。
--- ここまで ---
人間の「脳」や「体」は、性ホルモンの影響を受けて、「男」と「女」では、精神面および
肉体面での働きが若干異なることが知られていますが、それでも、人間の核にある「魂」の
部分は、ほとんど変わらないということです。
つまり、人間の「魂」自体は、「至高の三角形」の支配下にあるということになります。
そして、「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」は、「static/静的な」
もの、つまり肉体的な性別に固定されたステレオタイプ的な概念ということではなくて、
より動的かつ様々に変化する「qualities/特質たち」として、各個体の様々な部分に発現
してくるということになるわけです。
とはいえ、「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」は、「プラス極」と
「マイナス極」、「出口」と「入り口」というような、相互に置き換え可能な単純な極性
というものではなくて、イメージ的には、原料タンクから流れ出す不定形の「原料」と、
それに一定の形を与えて製品化する「鋳型」みたいな感じになります。
でもまあ、金持ちで浮気性の色男が、あちこちの女に「慈悲」という名目で貢ぎまくって
いるのを、徹底的にチェックする「峻厳」なる妻のような感じもありますので、いずれに
しても、「コクマー」と「ビナー」とは、そう単純な関係ではないということになります。
というわけで、そういう自由闊達かつ積極的な「コクマー」の「energy/精力」が
カバラの世界では「Mercy/慈悲」と呼ばれ、そしてそれを一途に受け止める「ビナー」が
「severe/峻厳」と呼ばれているということは、そういう男女間の裏話的な設定があると
いうことなのかもしれないですよね。
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- 2015/05/25(月) 06:39:53
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
Moving down through the Tree of Life on the Pillar of Severity we find that Geburah
destroys, while Hod again builds up (anabolism and catabolism).
「峻厳の柱」に沿って「生命の木」を通して下へと動く場合には、我々は、「ゲブラー」が
破壊し、その一方で「ホド」が再び構築している(同化作用と異化作用)ことを見い出す。
And on the Pillar of Severity we find that Chesed builds up while Netzach has
destructive qualities.
そして、「慈悲の柱」に沿う場合、我々は、「ケセド」が構築する一方で「ネツァク」が
破壊的な品質たちを持っていることを見い出す。
--- ここまで ---
とりあえず、ここまでをまとめると、以下のようになります。
「峻厳の柱」=「女性らしさ」 ←→ 「慈悲の柱」=「男性らしさ」
「ビナー」=形成 ←→ 「コクマー」=不定形
「ゲブラー」=破壊 ←→ 「ケセド」=構築
「ホド」=構築 ←→ 「ネツァク」=破壊
要するに、「生命の木」の構造の根幹にあるのは、こういう品質の相反するものたちが、
絶妙なバランスを取りながら、きちんと組み合わさっていることなんですよね。
そして、この相反するものたちの組み合わせと周期的な変化のダイナミックな構造こそが、
この大宇宙と小宇宙を記述する「基本原理」となっているということなのです。
もちろん、こういう組み合わせと変化の原理は、理論の単純さを好むワンパターンな人々に
とっては、そう簡単には理解できないシロモノですし、それゆえにハードルの高いものです。
でも、これをきちんと理解しておくことが、「カバラ」の理解に繋がるわけですので、
カバラを勉強しようとする人は、この基本原理をしっかりと体得して使いこなすことが
必要となるわけなんですよね。
つまり、階層毎に様々なストーリーを構築できるカバラ理論があれば、ネタに困ることなく、
色々な妄想を飽きることなく展開していくことが可能なわけですよね。←間違った使い方w
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- 2015/05/26(火) 06:40:59
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
The second question which inevitably arises throughout the Tree of Life is the extent
to which there is an interchange of masculine and feminine deities as we know them.
二番目の問題は、必然的に、我々が彼らを知っているような男性および女性の神たちの交換の
広がりが、「生命の木」の至る所で生じることである。
Although the key God figure of Binah is Isis, the male Gods Saturn and Chronos are
also attributed to it.
「ビナー」の基本的な神の象徴は「イシス」であるが、男性の神たちである「サターン」と
「クロノス」がまた、それに配属される。
Moreover, at the base of the Pillar of Severity, beneath Binah, we find the male
God Mercury in the Sephira Hod.
さらに、「ビナー」の下の「峻厳の柱」の基底部において、我々は、男性の神である
「マーキュリー」を、「セフィラ」の「ホド」で見つける。
At the base of the Pillar of Mercy we find the female Goddess Venus in the Sephira
Netzach.
「慈悲の柱」の基底部において、我々は、女性の女神である「ビーナス」を、「セフィラ」
の「ネツァク」で見つける。
--- ここまで ---
ここに来て、「生命の木」に関する「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」
の概念は、さらに流動的というか、全く節操が無くなり、ほとんど何でもありの状況に
陥っていきます。
つまり、我々の抱いている「男性らしさ」とか「女性らしさ」という漠然としたイメージを、
そのまま「生命の木」の「男性らしさ」とか「女性らしさ」に求めること自体が、そもそも
間違った行為であるということなんですよね。
要するに、我々の持つ「男性らしさ」とか「女性らしさ」というイメージは、あくまでも
「ぼくのかんがえたさいきょうの男性らしさ/女性らしさ」であって、そういう独善的と
いうか、ひとりよがりな考え方で、この全宇宙を支配するさいきょうの「生命の木」を
束縛するのは、全くもって、けしからんということになるわけです。
つまり、言葉を換えれば、個人の責任で楽しむ範囲においては、ある程度までは個人の
自由にやっちゃっても良いということであり、結果的に、けしからん姿になってしまう
ことも、よくあることなわけです。
まあ、そういう意味でも、とにかく何でもありな「生命の木」って、「寄らば大樹の陰」
みたいな、たくましくて頼りがいのある、フリーダムでエロカワな存在なんですよね。
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- 2015/05/27(水) 06:53:59
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
The answer is that our concepts of gender are insufficient to describe the subtle
polarities and interchanges of energy in the Universe.
答えは、我々の性の概念たちが、「宇宙」の精力の微妙な極性たちと交換たちを説明する
には不十分であるということである。
Aspects of a female deity often best describe aspects of a primarily masculine
Sephira.
女性の神性の様相たちは、本来は男性の「セフィラ」の様相たちを、しばしば最も良く
説明する。
--- ここまで ---
「our concepts of gender/我々の性の概念たち」というのは、要するに一般大衆の持つ
リアルな「男性」と「女性」のイメージということです。
それに対して、カバラ主義者という超絶ヲタクな人々による究極バーチャルな世界観に
おける「男性」と「女性」というものは、全く普通のものとは異なるということなんですよね。
ちなみに、この手の男女の逆転現象は、バーチャル世界であるマンガやアニメ業界に
おいては、メインの戦士が若い女性で、男は後方援護の役割のみとか、敵役がイケメン
もしくはオッサンで、正義の戦士は、なぜか女子中学生であるとか、そういう定番的な
ようじょもしくはょぅι゛ょ向け脚本、いやいや世界観に近いものがあるわけです。
とにかく、そういうヲタク的、いやいや深遠なる宇宙的な話になってしまってくると、
「わけがわからないよ。どうして人間はそんなに○○の○○にこだわるんだい?」という
ような、宇宙人的なレベルの話になってしまうわけであり、要するに、一定のレベルに
到達した上級者にとっては、「ボクっ娘」であれ「男の娘」であれ、そういう物理的な
○○○○○の有り無しにこだわる必然性は全く無くなるということになってくるわけ
なんですよね。
参考までに、「セフィラ」の性別イメージは、
男性:「ケテル」「コクマー」「ケセド」「ゲブラー」「ティファレト」「イェソド」
女性:「ビナー」「ネツァク」「マルクト」
両性:「ホド」
となっています。
皆さんも、ヲタク的視点、いやいや自由な発想で、これらの「セフィロト」の神々の
カップリングを、楽しんでみてくださいね。
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- 2015/05/28(木) 06:51:50
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
Moreover, it will be appreciated that the Pantheons with which we are most familiar
in the West are anthropromorphic.
さらに、西欧において我々が最も良く知っている「神々たち」というものが擬人観である
ということが理解できるだろう。
We have created the Gods in our own image with a certain fundamentalistic, though
comforting naivete.
我々は、ある一定の原理主義で、もっとも慰めとなる素朴さではあるが、我々自身の姿を
した「神たち」を、ずっと創造し続けている。
--- ここまで ---
ここで、「anthropromorphic」は、「anthropomorphism/擬人観」のスペルミスです。
ちなみに、この「anthropomorphism/擬人観」というのは、単純な「擬人化」という
ことではなくて、色々とそれっぽい、というか学問的な理屈を付けた上での「擬人化」
もしくは「人間的な感情や感覚を付与する」という感じのものです。
要するに、この世の中のありとあらゆるものを「萌えキャラ」もしくは「二足歩行化」
もしくは「人面化」もしくは「人語を解する○○」にしてしまうということであり、
それゆえ、西欧に限らず、古今東西ありとあらゆる場所や時代において、ずっと行われ
続けている、人類にとっての普遍的な文化活動なのです。
そして、擬人化については、『旧約聖書:創世記』1:26において、「神は言われた。
「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」」というように、なぜか「神がそう
言った」ことにされていて、結果的に「神様がそう言ったんだから、しょうがないよね
(ニヤニヤ)」という感じで、実にアレな方法で正当化されています。(笑)
まあ、その手のややこしい話はともかく、ほぼ全ての人類が「擬人化大好き」なことは
個別の例を挙げるまでもなく確かなことですし、改めて説明するまでもないでしょう。
ちなみに、この手の「擬人観」的な行為は、人間の未発達な認識能力に関係があると
されており、それゆえリアルとバーチャルの境界があいまいな一部の人々にとっては、
特に人気の高い領域でもあるわけですよね。
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- 2015/05/29(金) 06:45:00
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
Binah is restriction.
「ビナー」は、制限するものである。
It is the will to form, a discipline imposed on the pure force of Chokmah.
それは、「形の意志」であり、「コクマー」の純粋な力に課された規律である。
--- ここまで ---
改めて書いておきます。
「コクマー」:「Dynamic Outpouring Energy, Unorganized and Uncompensated/
未組織で未補正の、活動的な流出する精力」
「ビナー」:「The Organizer and Compensator/組織者と補正者」
「コクマー」:「The Will to Force/力の意志」
「ビナー」:「The Will to Form/形の意志」
つまり、「コクマー」が特定の形を持たない「精力の流出」であるのに対し、それを
受け止めて、ある一定の形と一定の機能を与える働きをするのが、「ビナー」の役割と
いうことです。
まあ、親父が外に働きに出て金銭を稼いできて、その金で母ちゃんが色んな物を買って
きたり作ったりすることで家庭生活が成り立ち、さらに親父の夜の精力のおかげで、
母ちゃんが子供を産んで育てたりするという、よくある家族みたいなものですかね。
この手の家庭においては、大体において親父は「形づくる」家事全般が下手なために、
日常生活においては、母ちゃんに頼りきりになってしまい、その結果、カカア天下に
なっていまうことも、ままあるわけですし、子供の人格形成に必要な教育においても、
基本的に母ちゃんに頼り切りになってしまって、親父の存在感が薄くなってしまうことも
あって、結果として、子供から見れば「怖い鬼ババァ」といったイメージになることも
多いわけです。
とはいえ、「家庭」のパターンは、父親である「コクマー」と母親である「ビナー」の
組み合わせだけで決まるわけでもなく、本当に色々な家族のパターンが存在しています。
まあ、どれが正解というものでもありませんので、「人には乗ってみよ、馬には添うてみよ」
のことわざ?にもあるように、色々なパターンのカッブリングにチャレンジしてみるのも
良いのではないかと思うのでした。
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- 2015/05/30(土) 19:50:10
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
At the same time it is the Great Sea from which life emerges, a concept implying
a primordial Unconscious.
同時に、それは、そこから生命が出現する「大いなる海」であり、原始的な「無意識」を
暗示している概念である。
Water had always been viewed by poets and philosophers as harboring the deepest
mysteries of our existence.
「水」は、いつでも、詩人たちと哲学者たちによって、我々の存在についての最も深い
神秘たちを心に抱くものとして見なされ続けてきた。
Indeed, in the Mundane Chakra, theories of evolution propose that life, as we know
it, may have emerged from the sea.
実際に、「宇宙のチャクラ」においては、進化の理論たちは、私達がそれを知っている
ように、海から出現したかもしれないことを提案する。
--- ここまで ---
この「the Great Sea/大いなる海」のミクロコスモス的な意味は、この「primordial
Unconscious/原始的な無意識」という、ちょっと漠然とした概念になります。
ここは、一種の共通母体というか、集合的無意識のさらに奥深いところにあるもので、
神秘領域というか、そう簡単には探りようのない領域になります。
その一方で、「the Mundane Chakra/宇宙のチャクラ」、すなわち私達の住んでいる
このマクロコスモスの世界では、この「the Great Sea/大いなる海」についての、
とてもわかりやすい進化の例がいくつもあります。
一つ目は、虚数空間の海の中から、ビッグバンにより、我々の「実数宇宙」が産まれたこと。
二つ目は、その産まれたばかりの混沌宇宙の海の中から、銀河などの小宇宙が産まれたこと。
三つ目は、その銀河を構成しているガス雲などの物質の海の中から、太陽系が産まれたこと。
四つ目は、その太陽系の地球の上に、とても幸運なことに、海が産まれたこと。
五つ目は、その地球の海の中から、生物が産まれたこと。
六つ目は、その生物の中から、人間が進化して産まれてきたこと。
七つ目は、そして、その人間の母の胎内から、我々が産み出されてきたこと。
そう、この宇宙には、階層的に「大いなる海」が存在しており、その「大いなる存在」
によって、今こうして我々が存在しているということになるわけです。
つまり、この「大いなる海」は、新しい「形あるもの」を産み出す、「大いなる母体」と
いうことになっているわけであり、それゆえ「ビナー」が「大地母神」的なイメージを
備えているということになっくるのも当然のことになるわけですよね。
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- 2015/05/31(日) 19:52:38
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
The image of dark and deep waters is a very profound one which, as it rises in our
consciousness, cannot help but affect us in some curious way.
暗くて深い海の心象は、それが我々の意識に浮かび上がるにつれて、何らかの興味深い
方法で、我々の心に影響を与えないではいられない、非常に深遠なるものである。
--- ここまで ---
「the Great Sea/大いなる海」の持つイメージは、前にも述べたように、人類共通の
普遍的無意識、もしくは集合的無意識のさらに奥深いところにあるものであり、それゆえ
様々な神秘系っぽいもののネタとしては、とても重宝するものです。
そして、「海」といえば、定番の水着シーンがあるわけですが、わざわざ夏休みを避けて、
水着シーンを回避しようとするような、不自然な脚本も一部には見られますので、そういう
「お約束ごと」は、しっかりと入れておいてほしいなぁ、と思うのでした。
まあそれはともかくとして、「女は海」というイメージは、例の歌のヒットもあって、
割としっかりと人々の心に根づいている一方で、じゃあ「男って何なの?」という疑問も
出てくるわけです。
で、ここで、「コクマー」の持つ「不定形さ」を適用するならば、「男とは形無きもの」
というか、何にでもなれるというか、要するに何でもいいということなんですよね。
まあ、ワタシもこの手の「男って何?」の話については、特にこれといった興味もあり
ませんので、スルーしておきたいと思います。
とりあえず、「ビナー」=「女は海~♪」というところが大事なのでした。
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- 183
- 2015/06/01(月) 06:28:34
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
As the Golden Dawn knowledge lecture states: "In Binah is a thick darkness which
yet veileth the Divine Glory in which all colours are hidden, wherein is mystery
and depth and silence, and yet it is the habitation of the Supernal Light."
ゴールデン・ドーンの「知識講義」は、以下のように述べる。:『「ビナー」においては、
その中に全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、深い暗闇であり、 その中
には神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは「天上の光」の住居である。』
In this sense, Binah is described as the Outer Robe of Concealment, an idea which
might most readily be understood by considering the extent to which our physical
forms conceal our inner realities from others.
この意味において、「ビナー」は、「隠匿の外衣のローブ」と評されており、この考え方は、
我々の肉体的な形態たちが他のものたちから我々の内なる実在たちを隠している程度を考慮
することによって、最も容易に理解されるかもしれない。
--- ここまで ---
「ビナー」の真の「the Great Sea/大いなる海」は、実のところ厳重に隠匿されていて、
そう簡単に近づくことが出来ないように、いくつもの障壁が施されています。
そしてこの「idea/考え方」は、「our physical forms/我々の肉体的な形態たち」、
すなわちエロ目線で見ることにより、最も容易に理解されうるという話になっている
わけです。
そう、我々は、ミニサイズにもかかわらず物理法則を超越した鉄壁ガードのバリアを乗り
越え、その内にある○○心に反比例する布面積を持つ薄い物体を剥ぎ取り、その先にある
闇の茂みをかき分け、大いなる封印、そして小なる封印を突破し、長い地下通路を通り、
「天上の光」の住居である「the Great Sea/大いなる海」にたどり着くというような、
実にエロい、いやいや奥深い話になっているというわけです。
とはいえ、この「ビナー」の持つ神秘さというものは、女性性が引き付ける、男性性からの
エロ目線とは切っても切れない関係があるのは確かなのですが、これは特徴の一つである
反面、「ビナー」自体にとっては、明らかにうっとうしい目線なわけであり、それゆえに、
そういうエロ目的というか下心ミエミエの男性視線を跳ねつける性質も、自然と備わって
くるということにもなるわけですよね。
いやはや、乙女心というものは、よくわからないものなのでした。(--;
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- 184
- 2015/06/02(火) 07:06:13
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
In the sense that Binah is the giver of life, she is the Bright Fertile Mother.
「ビナー」が生命を与える者であるという意味では、彼女は「明るい肥沃の母」である。
But in the sense that she restricts and disciplines (in effect, is the first lawgiver),
she is called the Dark Sterile Mother.
しかし、(事実上、最初の立法者である)彼女が、制限し、規律を守らせるという意味に
おいては、彼女は「暗い不毛の母」と呼ばれる。
--- ここまで ---
ここは、ロウソクとムチの女王様、いやいや「アメとムチ」によって、聞き分けのない
子供たちを厳しく教育する、教育熱心な母親像が浮かびます。
でもまあ、そういう上位者の厳しさというのは、我が子を想う優しさの裏返しでもある
わけですが、「親の心、子知らず」という言葉にもあるように、下位者である我々には、
なかなか真の意味を理解することができないことも、ままあるわけですよ。
それと、生まれたばかりのようじょ、いやいや「ビナー」は、快活で、誰とでも仲良く
なれる開放的な性質を持っていたのが、宇宙の年齢を重ねる度に、下部の組織が徐々に
構築されていき、ローアングルから見上げられることも多くなっていって、そのオトナの
色気が風紀を乱すとかいう名目で、様々な業界からの自主規制が厳しくなっていって、
「恐ろしいから子供は見ちゃダメ」とかいって、最終的には深夜帯、いやいや闇の中に
封印されていったような感じもありますよね。
つまり、「Dark Sterile Mother/暗い不毛の母」や「Outer Robe of Concealment/隠匿
の外側のローブ」というのは、「ビナー」そのものではなく、「ビナー」の周囲を固める
鉄壁スカートのバリアみたいなもののようにも見えるわけです。
とはいえ、我々から見れば、どちらも「ビナー」に見えますので、実質的にそう簡単には
区別することは出来ないわけなんですよね。
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- 2015/06/03(水) 06:52:23
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
This duality is also found in Yesod (the Moon), which reflects the light of the
Sun into Malkuth.
この二重性はまた、「イェソド(「月」)」において見つけられ、それは「太陽」の光を
「マルクト」に反射している。
The Moon is represented both by Diana and by Hecate.
「月」は「ダイアナ」と「ヘカテ」の両者により表される。
--- ここまで ---
この手のロウソクとムチの女王様、いやいや「アメとムチ」のような「duality/二重性」
そのものは、「ケテル」以下の全ての「セフィロト」が持つ、カバラの基本原理みたいな
ものなのですが、天体における「変化」の特性は、満ち欠けをする「月」を基本として
います。
「ビナー」は「月」そのものではないのですが、数多くの「女神たち」が関連付けされて
いるために、「月」の持つ変化の性質を少なからず帯びてしまっています。
つまり、「ビナー」と「イェソド」には、根本的なところでは、割と似たような特性が
あるということなんですよね。
まあ、天体関係の神というのは、「太陽=男性神」であり「月=女性神」であることが
多いのですが、これは女性特有の肉体的周期(=月経)がある関係上、どうしても
逃れられないものであるのも確かです。
そして、この「月の周期」が、生殖活動に関係しているために、結果的に、豊穣や多産の
女神というものは、「月」属性を持ってしまうわけなんですよね。
要するに、「ダイアナ」とか「ヘカテ」などの女神たちを、どのように「ビナー」や
「イェソド」などのセフィロトに結びつけるのかなんてことは、とても難しいわけで、
結局のところ、面倒だから全部入れちゃえ!ってことになるわけで、まあ、後はその場の
雰囲気で、適当に解釈しておけばよろしいのではないかと思うのでした。
基本的に、女心ってものは、ワタシには、よくわかんないわけなのですよ。
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- 186
- 2015/06/04(木) 06:56:01
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 71) ---
One is the obverse of the other, bright and dark.
一方は、他方を補完するものであり、明るいと暗いである。
--- ここまで ---
ここは、前述の文の「The Moon is represented both by Diana and by Hecate./
「月」は「ダイアナ」と「ヘカテ」の両者により表される。」の補足説明です。
要するに、「月」には、明るい面(表)と暗い面(裏)があって、それぞれ
「ダイアナ」(表)と「ヘカテ」(裏)に割り当てられているということなのですが、
実のところ、そう単純な関係ではないのです。
なぜなら、我々に見えている天体の「月」は、実は「表」の面だけであり、裏面は月の
自転と公転の関係で、地球上からは決して見えないわけです。
つまり、月の面そのものに、明るい面(表)と暗い面(裏)があるということではなくて、
この地上に「昼」と「夜」があるように、単に月面に太陽の光が当たっているか、当たって
いないかというだけなんですよね。
つまり、同じ月でありながらも、昼はOLの姿で「ダイアナ」くんと呼ばれ、夜はキャバ嬢の
姿で「ヘカテ」ちゃんと呼ばれ、さらには京都では「忍」と呼ばれ、神戸では「渚」と
呼ばれるというような、なんかそんな感じです。
まあ、「月」に関係する「女神」って、かなり多い上に、根本的に似たような性質を
持っている子が多いので、「名前」だけで判断するのって、実は難しいのです。
そして、「ダイアナ」の中にも「黒い娘」はいますし、「ヘカテ」の中にも「明るい子」が
いるわけですし、一つのストーリーの中でも、「月」の様相は様々に変化し、我々から
見える姿も性格も、二次創作の作者の世界観により、大きく変わっていくものです。
そもそも女の子って、こっちに向いて喋っている時と、トイレに隠れて陰口言っている時
とでは、全く違う顔を持っていますからねぇ。
要するに、そういう女神の見た目だけにとらわれてしまうと、「月」の持つ本来の特性を
見失ってしまいますよ、ということであり、結局のところ、「The Dark Sterile Mother,
the Bright Fertile Mother/暗い不毛の母、明るい肥沃の母」というものを、我々の理解
できる範囲のみで表面的に捉えてはならないということにも繋がるわけなんですよね。
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- 187
- 2015/06/05(金) 06:53:15
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 71) ---
Throughout the Sephiroth and the Paths, the qualities of Binah and Chokmah are
given different names, depending on their degree of density, i.e., their placement
on the Tree of Life relative to its completion in Malkuth.
「セフィロト」と「小径」の至る所で、「ビナー」と「コクマー」の特質たちは、それらの
密度の程度に応じて、すなわち、「マルクト」でのその完了と関連する「生命の木」での
それらの配置に応じて、種々の名前を与えられる。
--- ここまで ---
最初の「ケテル」から流出する3つの「小径」のうち、「ティファレト」に至る「小径」
については、最も後発であり、どちらかというと本流ではありません。
メインになるのは、「ケテル」から左右に分かれる「コクマー」と「ビナー」の流れで
あり、その後に「ティファレト」への流れが発生してくるという感じですよね。
さらに言うと、この「ティファレト」への流れというのは、性質が中庸であるため、
掴み所が無いというか、特徴付けするのが難しい面があるわけで、「quality/特質」と
いう点においては、いまいちネタにしにくいということなわけです。
ということで、ここでは、性格というか性別がはっきりしている「コクマー」と「ビナー」
ついての話になります。
「ケテル」から生まれたばかりの「コクマー」と「ビナー」は、いわゆる幼体、すなわち
「ようじ」と「ようじょ」の状態であり、世の中のロリコン共が歓喜すること間違い無し
の姿であったと思われます。
とはいえ、それは、はるか昔々の話であって、現在の下々の世界に生きる我々は、そういう
ロリ「ビナー」の姿を拝むことは、決して叶わない夢なのでした。
そして、幼い「ビナー」は、その後どんどん成長して、様々な姿として我々の前に現れ、
それは、いわゆる八百万の「女神たち」というものに象徴される、様々な「女性像」と
して描写されることになるわけです。
さらに言うと、「生命の木」の理論によれば、全ての女神は「ビナー」に通じるわけで
あり、結果的に、「ビナー」自体が、全ての女神属性を包合しなければならないという、
重責を担うことにも通じるわけです。
でも、そういうのって、ちょっとムチャというか、やりすぎのような感じもありますよね。
というわけで、ワタシは、そういう現世の女性、いやいや女神様たちの特質に関する一切の
しがらみを放棄して、純真無垢なままの、ロリ「ビナー」たんを、ひたすら愛でることに
しようと思うのでした。←現実逃避w
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- 188
- 2015/06/07(日) 16:33:49
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 71) ---
Thus, we may speak of Isis in Binah, or on the Path of THE EMPRESS or THE HIGH PRIESTESS.
従って、我々は、「ビナー」の内にある、もしくは「女帝」あるいは「高等女司祭」の
「小径」を歩む「イシス」のことを話すかもしれない。
Or we may discuss Venus, Diana, Hecate, or even Ceres in other Sephiroth, knowing
that these are aspects of the same Divine Energy.
もしくは、我々は、他の「セフィロト」の内にある「ビーナス」や、「ダイアナ」や、
「ヘカテ」、または「ケレス」について、これらが同じ「神の精力」の様相たちである
ことを知ることを議論するかもしれない。
The Jah of Chokmah and the Jehovah Elohim of Binah wear many robes throughout the
Universe.
「コクマー」の「ヤー」および「ビナー」の「イェホヴァ・エロヒム」は、「宇宙」の
至る所で、数多くのローブたちを着用している。
--- ここまで ---
つまり、古代エジプト派の人は、「イシス」に、古代ギリシア神話派の人は「ヘカテ」に、
古代ローマ神話派の人は「ビーナス」「ダイアナ」「ケレス」を持ち出して、この元祖
女神を語るわけですが、これらの女神って、実のところ「中の人」が同じで、登場する
舞台が違うだけなわけで。もう全部みゆきち一人でいいんじゃないかな、というくらい、
どこかで見たような、似たようなストーリーに仕上がっているわけです。
もちろん、これは「女神」だけでなく、ほぼ全ての「古代の神々」に共通するプロットで
あり、これは、とりもなおさず、いわゆる古代神話の脚本や構成が、おしなべてパクリに
よって出来ているということに他ならないわけです。
そして当然のことながら、この神話におけるパクリ体質は、現在においても受け継がれ
ており、ほぼ毎日のように、数多くの自称「神さま」が発生しているわけですよね。
では、なぜこのようなことになっているかと言うと、それは以前に述べたように、
神の存在そのものが、人類の「原始的無意識」とか「集合的無意識」に関することで
あって、要するに、人間は本能的に「神さま大好き」体質であるからなのです。
そして、その本能的な「神好き」に、さらに本能的な「男好き」と「女好き」が加わって、
「男らしさ」を追求する「男神崇拝」と、「女らしさ」を追求する「女神崇拝」という、
ヲタクたちの二次元妄想と同じレベルの域に達してしまうわけですよね。
まあ、ヲタクたちも「神」という表現を多用しますが、これは決して誇張でも何でもなく、
素直な気持ちではないかとも思ったりするわけなのでした。
つまり何が言いたいかと言うと、まずは生まれたばかりのロリ「ビナー」たんにハァハァ
することから始めたらいいんじゃないかな、ということですよね。←割とマジでww
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- 189
- 2015/06/08(月) 07:07:55
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「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 71) ---
One of the most important attributions of Binah is Chronos, oldest of the Gods and
called "Father Time."
「ビナー」の最も重要な帰属たちの1つは、最古の「神々」であり、「時の翁(おきな)」
と呼ばれる「クロノス」である。
The concept of time is highly restrictive, and appropriately related to Binah.
時間の概念は高度に制限的であり、「ビナー」に適切に関連する。
--- ここまで ---
日本語で「クロノス」と呼ばれるギリシア神話の神は、実は二人います。
一人は、ゼウスの父である農耕神の「Cronus/クロノス」であり、もう一人は、ここで
出てくる、時の神である「Chronos/クロノス」です。
もちろん、後代になって二人は混同され、クロノス(農)の収穫用の大鎌を、クロノス(時)
も持たされて、人間の終末を刈り取る「Father Time/時の翁」の姿として描かれるように
なっているというわけです。
まあ、そういう「擬人化」された物語の顛末はともかくとして、ここで重要なのは、
「ビナー」が「形の概念」と同時に「時の概念」を持つということです。
つまり、この宇宙の万物を司る基本概念である「時空」の概念が、この「ビナー」において
「restrictive/制限的」になる、すなわち、初めて公式化されるということなんですよね。
そしてこれは、誕生したばかり(ケテル)で、一瞬にして消えてしまう可能性のあった
不定形で不安定な宇宙(コクマー)が、インフレーションというトンデモ理論を通じて、
公式化可能な安定した存在(ビナー)になった瞬間でもあります。
そしてこのことは、「ケテル」「コクマー」「ビナー」は、宇宙背景放射のごとく、
この宇宙全体に完全に遍在しているということも示しており、このため「至高の三角形」の
存在は、あまりにも基本的で、あまりにも当たり前な存在であるために、我々にはそう簡単
には捉えられない、空気以上に存在感の無いものになっているわけです。
要するに、通常のオカルト系の「電波」受信能力では捕捉できないわけであり、その存在を
きちんと語ろうとするのであれば、それなりの理論武装というか、哲学的思考能力が求め
られる最先端な領域でもあるわけです。
とはいえ、そういう難しいことは、現代宇宙理論の最先端を研究する人々に任せておけば
いいことであって、我々のような一般人が簡単に立ち入れるようなものでもありませんので、
ワタシのような下々の者は、「上の如く、下も然り」の法則を悪用し、あまねく遍在する
ロリ「ビナー」たんにハァハァしながら、色々な妄想を垂れ流すというのもアリかな~、
なんて思うわけなのでした。←やりたい放題やってますw
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- 190
- 2015/06/10(水) 06:36:28
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なぜかカキコできませんorz
何か規制とか制限とか、機能追加されたのかな
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- 191
- 2015/06/10(水) 22:45:22
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どんなエラーが出る?
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- 192
- 2015/06/11(木) 06:39:15
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エラーは出なくて、普通に書けるような感じなんだけど、リロードすると書けていない。
何度やっても同じ。
スレ番もスレ容量も、まだ余裕あるし、おそらくレスの行数制限か禁止ワードではないかと。
今までは50行制限だったけど、仕様変更あったのかなぁ・・・
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- 193
- 2015/06/11(木) 06:56:07
-
なるほど
最近は人数も増えたし、荒らし対策に
文字数か行数制限が入った可能性はあるかもね
なんだったらここ辺りで聞いてみると返事あるかも
おーぷん2ちゃんねるについての質問に誰かが答えてくれるスレ
http://open.open2ch.net/test/read.cgi/open2ch/1426352312/
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- 194
- 2015/06/13(土) 06:50:33
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カキコできない原因がいまいち掴めないので、ちょっと手狭(32行制限)にはなりますが、
近頃は規制を食らうことも無くなった2chに戻ろうかと思います。
まあ、ここに移住した理由も、単に2ch規制でカキコできなくなったからということであって、
ワタシとしては、特に場所に対するこだわりは無いわけですしおすしw
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- 195
- 2015/06/13(土) 07:52:53
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あらそうなんだ
1人で頑張ってるなーと思ってたけど
寂しくなりますな
おつかれさまでした
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- 196
- 2015/06/14(日) 06:32:19
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ということで、スレの途中ですが、以下のスレに移行します。
次スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/98
最初に使っていたスレを再利用しますので、
1~96 が、Part1
98~が、Part4.1
となっております。
>>195
エラーメッセージとかも何も出ないので、こちらとしては対処のしようが無いわけで (^^;;
とりあえず、あっちで続けますので、また遊びに来てください。 (^^)/
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