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  • 2013/07/24(水) 12:05:57
この話って…

密貿易で浜田の関係者に多大な恩恵を授けた、という意味だけで歴史を引き継いでいるのかな…
でも何か不思議なんだよな…
江戸幕府は御法度、本来であれば浜田藩にとっても御法度だったわけでしょ?
だけど現在の歴史的解釈だと浜田藩にはとても良い事をしてくれた、そういう解釈なわけでしょ?

国家では悪いことだけど、浜田藩には良い事、そういう意味(ダブルスタンダード)で解釈しなさいってことなの?
誰がどのくらい潤ったのか量的なもの含めて、どういう解釈でこの歴史を捉えていいのか分かりづらいというか…
地方行政が国家行政を否定しまった歴史を現在では正当に評価しなさいという尺度が分からづらいというか…
浜田の人がどこまで解釈しているのか知りたいんだよね(竹島問題は関係なく)

で、会津屋さんてどこらへんにあったのですか?

ここまで見た

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