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  • 312
  •  
  • 2011/12/09(金) 10:02:10
>>311続き

実は、それこそが「民主主義」の本質なのだ。話がカタクなってしまうが、
非常に大事な点なので書かないわけにいかない。説教を聞くのがキライな人は、
読まなくても結構だ。

民主主義は、「市民」が主人だ、主権者だということだが、その「市民」とは、
あんたとかオレとかの個々の人間のことではなく、その地域の住民全体のことだ。
「え〜っ、そうなの!? 自分は、オレは、主権者だと思ってたけど、違うの〜?」と
思う人が多いだろうが、そうなのだ、実は違うのだ。あんた個人、オレ個人は、主権者
ではない。防府市には11万人の個々の市民がいる、その総体・全体・全部・集合が、
民主主義の「民」であり、「市民」であり、「主権者」なのだ。ある特定のあんたとか
オレとかは、民主主義でいうところの「民」・「市民」・「主権者」ではないのだ。

民主主義の「民」とは、ある特定の個人のことではなく、その地域の「住民全体」
のことだ。この点をしっかり理解することが肝心だ。というのは、そのことから、
重大なことが出てくるからだ。防府市では11万人の住民がいるから、その11万人が
民主主義の「民」であり「主権者」だが、11万人もいると、その11万人が日々の市
政の運営に直接携わることは不可能だ。日々のこまごまとした決済や契約書の署名
をいちいち11万人がするわけにはいかない。どうしても11万人の市民の中から
「代表者」を選んで、日々の市政を運営してもらう必要がある。そのような市民の
「代表者」が、市長であり市議なのだ。市長は市議は市民の「御用聞き」では決して
ないのだ。

ここまで見た

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