オスマン・トルコ帝国について語ろう [open](★0)
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- 名無しさん
- 2014/03/29(土) 00:41:57
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オスマン・トルコ帝国について語ろう
オスマン・トルコ帝国関係なら全部OK
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- 2014/10/07(火) 08:56:01
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世襲だの血の繋がりだのでボンクラが表舞台に出てくるのは民主主義でもあまり変わってないような・・・
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- 2014/10/22(水) 20:13:35
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一応民主主義では合法的に、致命的な事態になる前にボンクラを引きずり倒すことが可能だから比較的マシなんじゃないかな?
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- 2014/10/22(水) 22:55:28
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ジョージ・フリードマンは21世紀の列強にトルコ、ポーランド、日本が加わると予想している。
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- 名無しさん
- 2014/10/25(土) 23:21:49
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オスマン帝国って外国から女奴隷買ってきてそいつに皇帝の
子供産ませる制度1922年の滅亡まで維持してたの?
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/05(水) 02:18:10
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少なくともハーレムは滅亡まで存在してた
中にいた女は最後、ケマルが解放したそうだが、その後は色々
故郷に帰れたのもいるが、そのままイスタンブールに居ついたのもいる
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- 2014/11/05(水) 16:54:51
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グラン・オダリスク
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/07(金) 22:21:08
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オスマン帝国海軍はギリシャ人が人材の中心だったそうな
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/10(月) 13:41:23
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アルジェはオスマン帝国領?
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/17(月) 19:39:25
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そうだよ
最盛期は海賊の巣
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- 2014/11/17(月) 21:15:07
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で、アメリカが初めて海外出兵したんだっけ?
大敗したけどな。
アメリカって個人個人は弱いから物量戦を仕掛けるようになったらしいね。
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- 2014/11/18(火) 13:00:06
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世界で初めて人間を空に飛ばした国でもある。
ただしグライダーみたいな代物だったらしいが。
ロードス島辺りまで滑空したんじゃなかったっけ?
ただし、トルコ皇帝はアホだったから、この発明家を処罰してしまったのだが。
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- 72
- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/19(水) 01:27:41
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>>70
一応海兵隊が出動して捕まってた連中取り返してるから
アメリカが勝利している
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/19(水) 11:26:59
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>>71
滑空だけなら中世にヨーロッパの修道士とアッバース朝の
科学者がやってる
なお共に負傷した模様
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/20(木) 18:32:57
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>>72
海兵隊初の海外作戦
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- 2014/11/21(金) 12:47:33
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>>72
結構多く戦死者出してなかったっけ?
ナポレオンだったかウェリントンだったかに、
『アメリカってあんな現地部族に毛の生えたような連中にも苦戦すんのかよwwwよえーwww』
と大爆笑されたらしいが
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- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/25(火) 21:49:42
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>>75
その頃のアメリカ軍ってごつい自警団みたいな感じ>?
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- 2014/11/26(水) 12:24:36
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>>76
民兵に毛が生えた感じだね
ちなみに海軍は無いに等しい
ぶっちゃけ、もし江戸幕府が本気でペリー艦隊と合戦する気があったなら、完全に勝利を納められたくらい、アメリカの海軍は弱かった。
まぁそのドサクサの隙を突いて確実にイギリスやロシア、フランスが植民地化を狙いに来るから、幕府はそこら辺も勘案してアメリカと条約を結んだんだけど。
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- 78
- 名無しさん@おーぷん
- 2014/11/26(水) 20:48:04
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あの時の蒸気船運用してた奴ら確か正規の軍人じゃなかったとか聞いたけど<ペリー艦隊
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/02/12(木) 09:54:57
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オスマン帝国のイェニチェリの戦術について教えてくれ
最盛期には太鼓の音や銃撃ちまくってただけで敵が逃げたとか聞いたんだけど
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/03/09(月) 02:30:45
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オスマン帝国の宗教別居住区制度は凄いと思う
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/03/11(水) 10:58:48
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オスマン帝国は第2次ウィーン包囲失敗後はかなり弱体化してる
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/03/14(土) 14:01:20
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何で衰退したの
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- 2015/03/15(日) 02:58:23
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>>82
大トルコ戦争でググれ
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/03/18(水) 15:44:06
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スレイマン1世が妃に操られてから無能化したとかいう
話しってマジなの?
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- 2015/03/20(金) 02:26:43
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>>83
大トルコ戦争よりも、11回に及んだ「露土戦争」の方が、トルコにとっては迷惑だったと思うんだけど。
講和しては約束を破り、また講和しては約束を破り……
ロシアって本当に約束事を守らない、ろくでもない国なのがよく解る。
今のトルコ政府が、アメリカに頼んでニュークリア・シェアリングしている理由も解るわな。
ソ連・ロシア対策だ。
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/04/16(木) 20:57:58
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>>84
末期に大宰相のイブラヒム殺したのは痛かった
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/05/12(火) 09:43:33
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一応第1次世界大戦のときのトルコ陸軍はがんばってるよ
中東方面ではアレンビー将軍来るまではイギリス軍撃退してたし
アラビアのロレンス率いるアラブゲリラには苦戦してたけど
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- 88
- 2015/05/12(火) 09:48:33
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第二次バルカン戦争では勝ってるしな。
単なるブルガリアイジメに参加しただけだけど。
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/05/12(火) 11:10:34
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バルカン戦争はもはやギャグのレベル
第2時なんて強盗が分け前巡って喧嘩したような話だし
後陸軍は活躍したが、海軍の活躍はあまり聞かないな
ドグラトレイスやウルグ・アリ、ハイレッディンの頃とは
比べ物にならない位弱くなってたんだろうけど
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- 2015/05/12(火) 13:52:26
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そもそもオスマン帝国は、黒海艦隊ばかり充実させてて、地中海艦隊はほとんど存在しなかったし、
造船や修理のドックも地中海方面には無かったらしいが。
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/05/12(火) 22:29:50
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オスマン全盛期の海軍ってアルジェ海賊やらギリシャ人使った
外国人部隊みたいなもんだから・・・・
ウルグ・アリもイタリア人だったはず
あとギリシャ独立戦争で海軍の人材供給先だったギリシャが独立したのも
影響してる
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- 2015/06/02(火) 18:36:22
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ソウルキャリバーシリーズのソフィーティアとかカサンドラとかの美人姉妹って
オスマン帝国領ギリシャの人間って事になってるんだよな……
どう見てもゲルマン系なんだが……
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/06/21(日) 23:20:37
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ギリシャの脱税はオスマン帝国時代からの伝統
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- 2015/06/24(水) 20:12:14
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オットマン・トルコ帝国ってのは、ビザンティン帝国、ルーシ、ベネティア、オーストリー、ハンガリーと言ったキリスト教世界の外殻ボーダー帯に割拠する強大な諸勢力に歴代、(アジア側として)一人で対峙して来たんだよね。
コンスタンチノープル(ビザンティオーン)ってのは「東のローマ」な訳で、将棋で言えば王将。キリスト教徒の二大総本山の一つだ。ここをメフメト2世は1453年、攻略に成功する。
王将が取られた訳で、キリスト教世界は大パニックに陥っただろうね。
ベネティアの東方交易への影響を考えても、バルカン、小アジアに跨がり、シルクロードを扼するトルコの地勢学的立地のもの凄さが分かる。
再び、申す。メフメト2世のコンスタンティノープル征服は1453年。
コロンブスのバハマ到達、1492年に先立つ事、40年。
コンスタンティノープルの陥落こそ、後の大航海時代の遠因であろう。
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- 2015/06/28(日) 21:37:49
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コンスタンティノープル攻略時、火器を導入(砲撃)出来ていたオスマン・トルコは、西欧キリスト教諸国にとっては、モンゴルよりも遥かに手強い競争相手だった。
バルカン、東地中海でキリスト教諸国と直接対峙しなければならなかったので、財務的余力を西部国境の安全保障に割く事を余儀なくさせられ、シルクロードへの勢力伸長がかなわなかったのだろう。
もし、東方、シルクロードへの浸透が可能であったなら、イラン、アフガン、インド亜大陸を包含するスーパー・パワーに成長していた可能性がある。
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- 2015/07/01(水) 17:10:07
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オスマン・トルコの拠って立つアナトリア高原、すなわち、小アジアと言う呼称で知られる一帯はローマ帝国への浸潤を遂げたキリスト教にとって、まさに、揺籃の地と申すべき布教的策源地であった。
キリスト教は小アジアでヘレニズムの洗礼を受け、然る後、欧州本土へと西漸して行ったのである。
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- 2015/07/01(水) 19:24:21
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オスマン・トルコも含めた広義の゛テュルク゛とは?
10世紀頃、クリミヤ半島の北、今日のウクライナ東部からコーカサスにかけて、広大な範図を領するハザールと言う王国があった。
このハザールたちも広義の゛テュルク゛であると言う。
つまり、今日のイスラエルを建国したアシュケナージの先祖は゛テュルク゛だったのか?
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- 2015/07/01(水) 20:45:44
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アシュケナージと近代(現代)トルコ、そうして、アナトリア高原の元住人であったアルメニア人の裏面史が解説された面白いブログを見つけたので紹介します。
↓
http://bcndoujimaru.web.fc2.com/archive/Jabotinsky-09.html
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- 99
- 2015/07/31(金) 01:59:54
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ジリ貧だったけど最後は世界大戦で派手に消滅したな
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- 2015/07/31(金) 18:36:32
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>>99
かなりケマル=アタチュルクに迷惑をかけまくったんですがそれは・・・
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/08/05(水) 03:27:14
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確かケマルは敵だとかイギリスの手先全開な行動とってたんだよな<スルタン
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- 2015/08/22(土) 21:11:27
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20世紀までよく続いたな
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- 2015/09/04(金) 12:28:36
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元世界最強の国家
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- 2015/09/09(水) 11:30:15
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>>104
世界最強の国家が、100年後には、
【ヨーロッパの病人】に……
どうしてこうなった……
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- 名無しさん@おーぷん
- 2015/09/14(月) 14:00:55
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今のオスマン家はユダヤ系の血が少し入ってる
これ豆な
まあロシア系やらの方が濃いだろうが
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- 2016/06/25(土) 09:41:15
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トルコでは意外なほどユダヤ史の研究が盛んなんだよな。
しかしユダヤ人が「自分たちの意見を無視して書かれた歴史書なんて許せん!」と騒ぐので
欧米では完全に黙殺されている。
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- 111
- 2016/06/25(土) 09:42:33
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>>100
ケマル=アタチュルクが迷惑をかけまくったの間違いでしょう。
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