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  • 名無しさん
  • 2013/09/01(日) 16:54:47
どうなってたろう?
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  • 112
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  • 2015/04/10(金) 20:43:14
松岡が企てていた日独伊蘇4カ国同盟と言う41年4月の構想時の前提は6月以降、吹っ飛んでしまったのだ。
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  • 113
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  • 2015/04/10(金) 20:44:14
すなわち、独蘇戦の決着がソヴェット・ロシアの勝利に終わったりすれば、共産主義ソ連の極東での潜在脅威は潜在ではなくなり、紛う事のなき現実として眼前に迫る事を予想するのは、さほど困難ではなかったはずだ。
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  • 114
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  • 2015/04/10(金) 20:52:53
つまり、1941年6月の独蘇戦開始以降、全ての前提は確率変動、別のフェーズに移行したのだ。
対米激突を不可避とするなら、ソヴェット・ロシアを滅亡させる以外にヒンターランドであるはずのユーラシアに潜在する脅威の因子は、何時の日にか我が帝国を背後から一撃するかも知れない危険を孕み続けるのである。
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  • 115
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  • 2015/04/10(金) 20:55:58
よって、1941年6月以降、中立条約を維持し続けた我が帝国の外交政策には根本的な安全保証の認識が欠如していたとしか思われない。
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  • 116
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  • 2015/04/10(金) 21:42:06
条約をこちらから一方的に破棄するのは外交信義に悖る、との批判があるだろう。
正論だ。すると、日蘇中立条約は日本からは破棄出来ない、と仮定しよう。

その場合、アジア大陸の高緯度地域にソヴェット・ロシアと言う潜在脅威は残存する訳だ。
この状態で日米総力戦など、無理がある構想ではないのか?
現実に日蘇中立条約はソ連から一方的に破棄され、満州に赤軍が乱入したのである。
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  • 117
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  • 2015/04/10(金) 21:43:25
すなわち、外交信義を重視するのであれば、日米開戦と言う選択肢はあり得なかったはずだ。
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  • 118
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  • 2015/04/10(金) 21:45:20
アメリカを討つには、まず、ドイツにソヴェット・ロシアを滅亡させてからでなくては話にならなかった筈だ。
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  • 119
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  • 2015/04/11(土) 13:07:55
>>115
松岡洋右外務大臣や、大島浩駐ドイツ大使は、
『日本も今こそソ連と戦争せよ』と強く主張していた。

だが、締結したばかりの条約をすぐ破るような国では、
『世界中に信用されない』
と近衛文麿と、クソ真面目だった東條英機陸軍大臣が反対した。

松岡の対ソ戦の主張に乗ったのは、意外な事に、『無責任海軍大臣』『何もしない海軍大臣』と言われた及川古志郎だったのだとか。

海軍にとって、対ソ連戦はほとんど利益の無いものである。
予算も陸軍優先になってしまうし、帝国海軍に勝てるだけの海軍力をソ連は持っていない。
あっという間にウラジオストクなどを陥落させられただろう。
ソ連など敵ではないという事で、海軍軍人には「親ソ派」がやたらと多かった。
例えば、ワシントンやロンドンの海軍軍縮条約で対米七割を主張した加藤寛治海軍大将は、「日ソ友好協会」の会長であったし、加藤の後を引き継いだのは、226事件で暗殺された斎藤実であった。

「日ソ友好協会」・・・実態は、日本にソ連型共産主義思想を普及させる為の組織であった事は言うまでもない。

しかし、及川は海軍軍人の中では珍しく『反ソ派』であった。少なくとも「反ソ」とまで言わなくとも、親ソではなかった。
アメリカと戦うよりは、余裕で圧勝できるソ連極東海軍と戦う方がマシというのは確かな読みであった。

東條英機陸軍大臣はクソ真面目だったので、
「一度結んだ条約を、すぐに破棄するなど道義にもとる」
と強く主張。
大島浩駐ドイツ大使とは友人だったのだが、対ソ戦についてははねつけてしまった。

後年、巣鴨プリズンの中で、大島浩と再会した東條は、
『あの時、君の言う事を聞いてソ連と戦端を開いておけば、ここにこうしていなかったかも知れないなあ』
としみじみ語ったそうな。
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  • 120
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  • 2015/04/11(土) 13:17:41
>>118
その理屈は「後付け」に過ぎない。
ソ連は独ソ戦が始まってからと思われるが、「雪作戦」と言う物をアメリカに仕掛けている。

アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトの周辺は、共産主義者ばっかりだったというのは、今では完全に証明されている。
まず妻のエレノアが共産主義者だし、大統領補佐官や秘書官にまで共産主義者が巣くっていた。

ルーズベルト政権時代にブイブイ言わせていた連中は、ほとんど後年のマッカーシーの行った「アカ狩り」によって逮捕されている。
それくらい酷い有り様だったのだ。

「雪作戦」とは、その中の財務省次官か何かを勤めていた、ハリー・デクスター・ホワイトを使った作戦であり、

【何が何でも日米戦争を引き起こさせろ】

とする命令であった。
ホワイト(白)からスノウ(雪)作戦と命名されたそうだ。

有名なハルノート、実は産みの親は国務長官のコーデル・ハルではない。
ハリー・ホワイトである。

ハルはもう少し理解のある暫定案を日本に提案し、もっとアメリカ軍の軍備が整うまでの時間稼ぎをしようとしたが、
ホワイトの作った案は強硬案であり、これを日本に手渡せばすぐに戦争になると、誰しもが理解できるほどに酷い内容であった。

ハル本人が、日本側にハルノートを提出した直後、陸軍長官と海軍長官に述べている。

『私の仕事はもう終わった。あとは君たち(陸海軍)の仕事だ』

と。
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  • 121
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  • 2015/04/11(土) 13:19:58
ソ連やアメリカが謀略だらけだった事は、ソ連が崩壊してからようやく明らかになった。
従ってこれは「陰謀論」ではなく、ソ連やアメリカの公文書に書いてある事である。
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  • 122
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  • 2015/04/11(土) 22:34:58
トラック島大空襲は1944年2月18日。直後2月23日にマリアナ諸島が空襲されている。
これは、4カ月後のマリアナ沖海戦、サイパン島上陸作戦の布石だった。

トラック環礁に停泊する艦船群を(本気になって反攻に転じた)米の夜間爆撃から防御出来ない、と言う事は、海軍は、南太平洋、中部太平洋に於いて、元々、アメリカには太刀打ち出来なかった、と言う事だろう。
しかし、サイパンに於いて、もっと、米軍に深刻な打撃、損害を与えておく必要はあった。
勿論、玉砕した日本軍兵士、指揮官には何の落ち度もない。
単(ひとえ)に、海軍軍政中枢、軍令部、更には帝国大本営の責任だ。
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  • 123
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  • 2015/04/11(土) 22:45:27
パイロットの訓練基地だが、何故、占領した蘭領ボルネオの製油施設付近に建設しなかったのか?

マレー作戦は1942の初頭に完了している。1942-1943年の1年と6カ月、540日あれば、かなりの錬度に高められたはずだ。
ボルネオに訓練施設を建設しておけば、ガソリンは無尽蔵に使い放題だったはずだ。
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  • 124
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  • 2015/04/11(土) 22:56:36
輸送の為には超巨大潜水タンカーを開発するしかなかったと思われる。

鉱物資源(アルミ)のある東南アジア島嶼部に於いて2式大艇を大量生産し、潜水タンカー(重油輸送)と2式大艇(人員輸送)をサイパンに備蓄する地味な作戦を1年以上かけて継続しておれば、米軍のサイパン侵攻での損害は桁違いになり、或いは、彼の継戦意欲を大幅に削減させられたかも知れない。
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  • 125
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  • 2015/04/11(土) 22:58:24
>>123
確かボルネオの精油施設はオランダ軍が破壊していたのではなかったか?
ボルネオに限らない。
オランダ軍は精油施設を破壊しまくってから日本軍に降伏を申し入れた。
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  • 126
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  • 2015/04/11(土) 22:59:33
>>122
帝国陸軍が生んだ鬼才、石原莞爾もまた、
「サイパン島を要塞化しておけば良かった」
と言っているな。
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  • 127
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  • 2015/04/11(土) 23:09:18
>>125

知らんかった。
オランダ滓(かす)過ぎるな。
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  • 128
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  • 2015/04/12(日) 02:00:54
>>127
まあ、独ソ戦でもドイツもソ連も敵に一物も与えるなとばかりに焦土作戦敢行したしね。
オランダが特別異常だったわけではないんだが。

確かにボルネオとか、スマトラとか、戦場になってない所で大量にパイロットを育成できてたら良かったね
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  • 129
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  • 2015/04/12(日) 17:46:06
一寸、書名は忘れたが、岩波新書だったと思う。「第二次世界大戦前夜」もしくは、その続編だったかも知れない。

その中で、ドイツの総兵力を600万人、西側(英米&レジスタンス仏)連合軍を400~600万人、ソ連を600万人と算定し、挟撃されたドイツには勝ち目はなかった、と言う意味の事が書いてあった。

だが、ナポレオンの如き内線作戦であると考えれば、東部戦線、西部戦線と言う敵の外線包囲を各個撃破すれば、理論上は活路は開ける訳で、ドイツ必敗論は、結果だけを見た俗論だと思う。
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  • 130
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  • 2015/04/12(日) 18:43:29
ノルマンジー上陸作戦は1944年6月6日、と言う事は、1941年6月22日のドイツのバルバロッサ作戦発動からだと、丸3年間、第二戦線は存在しなかった訳で、後は同盟国の結束と有機的連繋の妙に懸かっていたと思う。
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  • 131
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  • 2015/04/12(日) 18:47:14
タイフーン作戦は41年の10月半ばに発動されたモスクワ攻略計画だが、その前月、日本はスパイのゾルゲを逮捕している。
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  • 132
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  • 2015/04/12(日) 18:50:54
タイフーン作戦実施の意義を日本政府はベルリンの大島大使から、聞かされていたであろう。
すると、ゾルゲの取り調べによって、スターリンへ日本の南進計画、日蘇中立条約遵守の方針が筒抜けだった事は容易に論理的に推測出来る。

満蒙国境の蘇連軍精鋭がモスクワ守備に転用され得る事の今後の独蘇戦への影響を想像するぐらいの頭の働きがあっても罰(ばち)は当たらんと思われるのに、我が帝国の政府にそれを陛下に進言する者がいなかったのは、残念至極である。
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  • 2015/04/12(日) 19:52:23
私はかつて、日下公人氏と小室直樹氏の対談を読んだ事がある。
その中で、日下氏は元帝国陸軍参謀の瀬島龍三氏からの伝聞として、「日本の対米戦決意の動機の根底には、ドイツの欧州戦局での完全勝利の見込みを前提に、これへの便乗的ただ乗りの思惑があった」と言う証言を紹介していた。
すると、小室直樹氏は、言下に「あり得ない」と否定し、両者の意見が真っ二つに分かれたのだった。

しかし、外務省である。ここは闇の中の闇だ。地獄の悪鬼の如き省庁であろう。
タイフーン作戦の頓挫は11月中旬、明白だったが、当然、ベルリンの大島大使にはドイツ政府はひた隠ししたであろう。
だが、ドイツの同盟国、イタリア、ルーマニア、ブルガリアの各国政府はそれを知っていた。
イタリア、ルーマニア、ブルガリア駐在の外務省幹部は入手していたはずだ。すなわち、東京の外務省本省は、大島大使よりも正確な情報を手にしていた。

この情報は、11月末から、12月初めの御前会議には上がらなかったのである。
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  • 134
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  • 2015/04/12(日) 19:56:19
何故、イタリアやルーマニアの政府がタイフーン作戦の頓挫を知っていた、と私が推測するかと言うと、東部戦線でボコボコにしてやられたのが彼ら同盟軍だったからだ。
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  • 135
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  • 2015/04/12(日) 19:58:12
ソ連軍は枢軸国側の弱い同盟国軍を狙い打ちしたのだ。
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  • 136
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  • 2015/04/12(日) 19:58:36
>>130
それは、ドイツに対する戦略爆撃を換算に入れてないね?
俗に「1000機爆撃」と呼ばれる、戦略爆撃が昼夜を問わず、ドイツに対して行われていたんだよ。
ノルマンディー上陸作戦の前から。
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  • 137
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  • 2015/04/12(日) 20:04:06
>>132
いや、満州国軍の指導教育に当たっていた日本軍人や、関東軍の中には、
独ソ戦が始まった直後に、
「これは日本にとって決定的で最後のチャンスではないのか?」
と考えた者たちは居た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E8%BB%8D%E7%89%B9%E7%A8%AE%E6%BC%94%E7%BF%92
実際、このように演習まで行ってソ連を威嚇している。

これに焦ったソ連が、アメリカのスパイ網をせっついて日米開戦を急かしたのである。
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  • 138
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  • 2015/04/12(日) 20:05:46
>>134
スターリングラードとごっちゃにしてないか?
タイフーン作戦は、単純に冬将軍に負けた部分が大きいのでは?
ドイツ軍は冬用の軍服の用意もしていなかったようだし、予想以上に早く雪が降り始めたという事もあった。
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  • 139
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  • 2015/04/12(日) 20:07:25
もし、41年11月末もしくは、12月6日迄に「ドイツの蘇連攻略の速攻の狙いは失敗した。
戦局は長期泥沼化必至であり、ドイツにとって、今後の展望は容易ならざるものがある」と言う情報が御前会議に上がっておれば、陛下は立憲君主制の原則を蹂躙される罪を一身に背負ってでも、重臣に対米戦開戦の不可を御裁断なされたであろう、と私は推測する。
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  • 140
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  • 2015/04/12(日) 20:14:37
>>137

陸軍の中にはいた事を認める。

私の表現が大雑把過ぎた。
重臣と言う意味で、陸軍現役三役と文官を念頭に置いていた。
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  • 141
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  • 2015/04/12(日) 20:15:24
>>139
仮にその時点で「対米戦不可」の天皇陛下の御命令が出たとしても、もう間に合わない。
無理である。
海軍は戦争用の為に、既に軍艦を改装済みであり、改装してしまえば、もう後は戦争するしか無くなる。

そもそも石油や屑鉄をどうするのか?
何の問題解決にもなっていない。
石油や屑鉄の禁輸が解かれない限り、日本は真綿で首を絞められるように、衰弱死させられるだけである。
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  • 142
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  • 2015/04/12(日) 20:17:02
>>140
一番強硬に対ソ戦を煽っていたのは、松岡洋右外務大臣なんですけどね。
外務省が強硬で、軍部が「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて」とやっている構図。
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  • 143
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  • 2015/04/12(日) 20:21:31
>>138

指摘しているのは情報を派遣軍各国は知っていたが、ベルリンの大島大使は知りようがなかった、と言う点だよ。
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  • 144
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  • 2015/04/12(日) 20:21:52
「陸軍はロシア=ソ連を仮想敵国としてきた」とよく言われる。
だが、「ミイラ取りがミイラ」になったのか、ソ連=共産主義シンパと思われる軍人がやたらと多かったのもまた事実である。

庄内鶴岡が生んだ天才、石原莞爾も、満州国の経営はソ連型の五カ年計画を見習って、統制経済で満州開発を行うようにしているし、
統制経済シンパは、同じく満州国で大活躍した岸信介や松岡洋右など、多くの人々の脳味噌を汚染していた。
結果的に、統制経済への親近感から、ソ連への親近感まで示す陸軍軍人まで現れるようになる。
こうなると本末転倒である。
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  • 145
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  • 2015/04/12(日) 20:24:23
>>143
むしろ、大島浩駐ドイツ大使の方が、ドイツから色々、様々な情報を引き出していたと思うのですが。
大島浩に対する評価も、納得出来ませんね。

まぁ私の祖父は、大島浩に直接会ってますし、彼と協力して情報工作をやっていたので、好意的に見ているのですが。
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  • 146
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  • 2015/04/12(日) 20:25:19
後付けで議論しても意見が分かれるとかwww

こりゃ、リアルタイムで、国策が漂流したのも頷けるわい。
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  • 147
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  • 2015/04/12(日) 20:26:21
http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F%E3%81%AE%E8%A6%AA%E5%8F%8B-%E9%A7%90%E7%8B%AC%E5%A4%A7%E4%BD%BF-%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E6%B5%A9-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E9%9B%85%E6%99%AE/dp/4863671717

大島浩については、この本を読んでいただきたい。
大島浩は、ハッキリ言って戦後日本で誤解されている最たる人間の一人である。
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  • 2015/04/12(日) 20:30:16
>>146
全くその通りで、東京裁判で、
「1928年から1945年にかけて、この28人は共同謀議して侵略戦争に邁進した」
なんて言われて裁かれましたが、あんなのまるっきり嘘だった事がこれでも解りますね。
一年に一回は内閣が交代していた迷走状態の日本が、「世界征服を企んでいた」だの、「共同謀議」だの、『お恥ずかしいくらいのもの』です。

『共同謀議なんて言うがとんでもない話だ。軍部は進むと言い、政治家は困ると言い、北だ南だと全く意見統一出来ないまま戦争になってしまった。それを共同謀議などとはお恥ずかしいくらいのものだ』
(東京裁判被告 賀屋興宣)
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  • 149
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  • 2015/04/12(日) 20:30:47
>>145

誤解されています。
私は大島大使に好意的に申し上げたつもりで、氏の置かれた物理的環境では、最善の対応をなされた、と言う推測を補強する意味でカキコしました。

所が、東京の本省はイタリアやルーマニアの大使からも情報が入手出来る訳で、それをどう分析したか、と言う問題定期です。
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  • 2015/04/12(日) 20:31:57
問題定期 X
問題提起 ○
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  • 2015/04/12(日) 20:38:19
>>149
まず、東條英機と大島浩は友人関係でした。
従って、まず陸軍は大島浩の情報を最重要視し、大島情報に反対するような情報は過小評価されるか、無視されました。

外務省は、外務省非出身者である大島浩ドイツ大使など白目で見ていましたので、大島浩情報などは疑ってかかっていました。

ここでキャスティングボートを握っていたのは海軍なのですが、
海軍も独自に情報を獲得していたのですが、
「沈黙の海軍」にして「無責任海軍大臣」の及川古志郎が海軍大臣だったが為に、
どっちとも立場を鮮明にせず、ただひたすら戦争準備に邁進するという姿勢を取ります。

伊藤博文や山縣有朋のような、政治と軍事、統帥(参謀本部・軍令部)と軍政(陸相・海相)を一致させるだけの豪腕を持っている政治家が居れば良かったのですが、
唯一その可能性が有ったのは近衛文麿だけでした。
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  • 152
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  • 2015/04/12(日) 20:42:34
日本の海軍に限らず、海軍というのは厄介な代物です。
一度、戦争準備を固めてしまうと、もう戦争するしか道は無くなるのですから。

海軍は、戦争が予想されると、装甲を強化する為に、船体の鉄骨を増やします。
これは船体を傷つけ、寿命を減らす事を意味します。
従って、ひとたび戦争準備を整えてしまうと、
海軍としてはもう後には引けなくなるのです。
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  • 2015/04/13(月) 16:26:42
海軍ってさ、見敵必戦主義を英国から学んでおきながら、何で艦隊保全主義に傾斜しまくったのかね。

ミッドウェー攻略作戦の時も打撃部隊を囮に敵の空母を誘き出す方針に徹しておれば、日本の四隻は無事、ヨークタウンのみ沈没、と言う結果になっていたと思うぞ。
戦艦はやられただろうけど。
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  • 2015/04/13(月) 16:31:34
レイテ湾突入の時に突如、気が変わってUターンとか、何処が見敵必要戦主義なの?
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  • 155
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  • 2015/04/13(月) 16:33:16

見敵必要戦主義 X

見敵必戦主義 ○
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  • 2015/04/14(火) 11:18:19
>>153
一番考えられるのは、山本五十六が臆病者だったから。
一説には、賭博士の山本は、最初っから勝負を投げていたから、真珠湾から自分の死まで、いい加減に戦争指揮を取っていたのだとか。
>>154
それについては同情の余地がある。
栗田艦隊は、『北方に敵の大艦隊見ゆ』との報告に接して北に反転していったという話だ。
まぁそのまま突入して、敵輸送船を潰してもらった方が陸軍としては助かったろうが。
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  • 157
  • 名無しさん@おーぷん
  • 2015/04/23(木) 15:12:55
英ソ滅ぼして日本健在だとユーラシア連合状態だな
アメリカでも厳しいかも
ここまで見た
  • 158
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  • 2015/04/23(木) 15:26:31
>>157
というか、アメリカは当時モンロー主義だったから、それでも困らない。
むしろ、そのユーラシア連合から国益を引き出す道を探すだろ。
アメリカの食い込める余地は沢山有ったし、日本も己に出来ない事まで己でやろうとしてアメリカを締めだそう、独り占めしようとするほど狭量でもなかったろう。
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  • 2015/06/05(金) 10:57:54
東京裁判中、本物の「ハル・ノート」を見せられた東條英機は、

『これが手渡されていたのなら、日米間は戦争になど至らなかったものを……』

と慨嘆したと言う。

よく誤解されているが、コーデル・ハル国務長官は「反日」の政治家ではない。
(取り立てて「親日」という訳でもないが、少なくともゴリゴリの日本人差別主義に凝り固まっていたルーズベルトなどよりは格段にマシであった)

ハルは、所謂世間で言われる「ハル・ノート」よりも、もっと穏健で、日本も交渉に応じやすい内容の物を用意していた。
(正直に言えば、アメリカの軍備が整うまでの一層の時間引き延ばし策であったのだが)

しかし、この「ハル案」が日本側に手交される事は無かった。
アメリカ財務省のハリー・デクスター=ホワイトが、強引に国務省の対日外交関係に口出しし、
非常に強硬な「ホワイト案」を提出したのである。
そしてルーズベルトは「ホワイト案」を採用、ハル案は採用される事は無かった。
コーデル・ハルは、気が進まないながらも、自分の名前で「ホワイト案」を日本側に提示した。
これが、日本側に伝わってきた「ハル・ノート」である。

コーデル・ハルは、終生、死ぬまで「ハル・ノート」の話題は嫌がって避けたと言う。
ハル本人も「ホワイト案」を、「自分の物だ」と認めたくなかった代物なのだ。
また、ハル・ノートを日本側に手交した直後、陸海軍の長官に、

『私の仕事(外交)は終わった。あとは君たちの仕事(戦争)だ』

と述べている。
ハル本人も「これを渡せば戦争になる」と熟知していた事になる。

日本人の中には、上記の史実をいくら説明しても、
『ハル・ノートは最後通牒ではない』
などと詭弁を弄する者が居るが、ハル本人が陸海軍の長官に向かって、
『あとは君たちの仕事だ』
と述べているではないか。
どこが『最後通牒ではない』のだろう。
『これは最後通牒に非ず』という一文が含まれてさえいれば、
「ハル・ノートは最後通牒ではなかった」と信じ込む短絡脳味噌の馬鹿なのだろうか?
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  • 2015/06/05(金) 10:58:27
さて、この強硬案を押し通した、ハリー・デクスター=ホワイトなる人物は何者か?
なぜ、「財務省」の人間が、日米関係の外交に嘴を挟めるのか?

公開されたヴェノナ・ファイルによれば、ホワイトは「ソ連のスパイであった」とされている。
ルーズベルト政権の中枢に、ソ連贔屓の共産主義者たちが多く集っていたのは有名な話で、
のちのマッカーシーのアカ狩りによって多くの元政府関係者たちが逮捕されている。
そもそも、ルーズベルト本人が、スターリンやソ連に薔薇色の憧れを抱く人物であった。

『我々はソ連に与えられる物は全て与え、彼らから見返りを求めるような真似をしなければ、スターリンは我々の言う事を聞くだろう』

こんな事を言っていたのがルーズベルトであった。
日本にとって不幸なのは、この時期、このタイミングで、こんな共産キチガイの大統領と外交折衝を行わなければならなかったという事である。

ホワイトもその共産主義者のスパイの一人であり、大統領補佐官のロークリン・カリー(共産主義者)を介してルーズベルト大統領に己の強硬案を提出したと考えられている。
ソ連側の名称としては「雪作戦」。
雪が白い(ホワイト)事から名付けられたネーミングだと言う。

この時、ソ連は独ソ戦で押されに押されまくっていた大苦境に陥っていた時であり、
そんな時に、東から日本に侵攻されたら万事休すという状態であった。
是が非でも日本にはソ連以外の場所に目を向けてもらいたい。
その結果発案されたのが、『日米を噛み合わせる=戦争させる』案であった。
ホワイトは、そのソ連の意を体して、日米関係を戦争状態に追いやる為に奮闘した訳である。
ちなみに、ホワイト本人はアカ狩りから逃れて自殺し、日米関係を戦争状態に追いやった事になっているコーデル・ハルには、【ノーベル平和賞】が与えられている。
どちらも口封じの為であろう。
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  •  
  • 2017/07/22(土) 11:04:34
>>139
外務省の見通しでは、
「独ソ間は、来年には五分五分となり、再来年にはドイツが負け始める」
と見通していた。
だが結局開戦になった。
最早あの状況では止めようが無い。
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