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  • 1
  • 名無しさん
  • 2012/06/08(金) 02:39:23
素読とは声に出して読むことです。
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  • 64
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  • 2016/09/30(金) 10:50:38
子曰。惟仁者能好人。能惡人。

苟志於仁矣。無惡也。
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  • 65
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  • 2016/09/30(金) 10:57:29
子曰。
富與貴。是人之所欲也。不以其道得之。不處也。
貧與賤。是人之所惡也。不以其道得之。不去也。君子去仁。惡乎成名。
君子無終食之間違仁。造次必於是。巓沛必於是。

子曰。我未見好仁者惡不仁者。好仁者無以尚之。惡不仁者其爲仁矣。不使不仁者加乎其身。
有能一日用其力於仁矣乎。我未見力不足者。蓋有之矣。我未之見也。
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  • 66
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  • 2016/09/30(金) 11:00:18
子曰。人之過也。各於其黨。觀過斯知仁矣。

子曰。朝聞道。夕死可矣。

子曰。士志於道。而恥惡衣惡食者。未足與議也。
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  • 67
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  • 2016/09/30(金) 11:02:46
子曰。君子之於天下也。無適也。無莫也。義之與比。

子曰。君子懷徳。小人懷土。君子懷刑。小人懷惠。

子曰。放於利而行。多怨。
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  • 68
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  • 2016/09/30(金) 11:06:16
子曰。能以禮讓爲國乎。何有。不能以禮讓爲國。如禮何。

子曰。不患無位。患所以立。不患莫己知。求爲可知也。

子曰。參乎。吾道一以貫之。
曾子曰。唯。子出。門人問曰。何謂也。
曾子曰。夫子之道。忠恕而已矣。

子曰。君子喩於義。小人喩於利。
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  • 69
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  • 2016/09/30(金) 11:08:56
子曰。見賢思齊焉。見不賢而内自省也。

子曰。事父母幾諫。見志不從。又敬不違。勞而不怨。

子曰。父母在。不遠遊。遊必有方。

子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。
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  • 70
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  • 2016/09/30(金) 11:12:49
子曰。父母之年。不可不知也。一則以喜。一則以懼。

子曰。古者。言之不出。恥躬之不逮也。

子曰。以約失之者鮮矣。

子曰。君子欲訥於言。而敏於行。

子曰。徳不孤。必有鄰。

子游曰。事君數。斯辱矣。朋友數。斯疏矣。
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  • 71
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  • 2016/09/30(金) 11:21:10
子曰く、里は仁なるを美しと為す。
択んで仁に処らずんば、焉んぞ知なるを得ん。

子曰く、不仁者は以て久しく約に処る可からず。
以て長く楽に処る可からず。
仁者は仁に安んじ、知者は仁を利す。

子曰く、惟仁者のみ能く人を好み、能く人を悪む。

子曰く、苟も仁に志せば、悪しきこと無きなり。

子曰く、富と貴きとは、是れ人の欲する所なり。
其の道を以てせざれば、之を得とも処らざるなり。
貧と賤とは、是れ人の悪む所なり。
其の道を以てせざれば、之を得とも去らざるなり。
君子は仁を去りて、悪くにか名を成さん。
君子は終食の間も仁に違うこと無く、造次にも必ず是に於てし、顚沛にも必ず是に於てす。

子曰く、我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず。
仁を好む者は、以て之に尚うる無し。
不仁を悪む者は、其れ仁を為さん。
不仁者をして其の身に加えしめず。
能く一日も其の力を仁に用うること有らんか。
我未だ力の足らざる者を見ず。
蓋し之れ有らん。
我未だ之を見ざるなり。
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  • 72
  •  
  • 2016/09/30(金) 11:26:52
子曰く、人の過ちや、各々其の党に於てす。
過ちを観て斯に仁を知る。

子曰く、朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり。

子曰く、士、道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、未だ与に議るに足らざるなり。

子曰く、君子の天下に於けるや、適無きなり。
莫無きなり。
義に之与に比す。

子曰く、君子、徳を懐えば、小人は土を懐い、君子、刑を懐えば、小人は恵を懐う。

子曰く、利に放りて行えば、怨み多し。
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  • 73
  •  
  • 2016/09/30(金) 11:32:17
子曰く、能く礼譲を以て国を為めんか、何か有らん。
能く礼譲を以て国を為めずんば、礼を如何せん。

子曰く、位無きを患えず、立つ所以を患う。
己を知ること莫きを患えず、知らる可きを為すを求むるなり。

子曰く、参や、吾が道は一以て之を貫く。
曾子曰く、唯。子出ず。
門人、問いて曰く、何の謂いぞや。
曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみ。

子曰く、君子は義に喩り、小人は利に喩る。

子曰く、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。

子曰く、父母に事うるには幾諫す。
志の従わざるを見ては、又敬して違わず、労して怨みず。

子曰く、父母在せば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り。
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  • 74
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  • 2016/09/30(金) 11:36:49
子曰く、三年、父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。

子曰く、父母の年は、知らざる可からざるなり。
一には則ち以て喜び、一には則ち以て懼る。

子曰く、古者、言の出ださざるは、躬の逮ばざるを恥ずればなり。

子曰く、約を以て之を失う者は鮮し。

子曰く、君子は言に訥にして、行いに敏ならんことを欲す。

子曰く、徳は孤ならず、必ず隣有り。

子游曰く、君に事えて数すれば、斯に辱めらる。
朋友に数すれば、斯に疏んぜらる。
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  • 75
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  • 2016/09/30(金) 14:42:25
子曰。述而不作。信而好古。竊比於我老彭。
子曰。默而識之。學而不厭。誨人不倦。何有於我哉。
子曰。徳之不脩。學之不講。聞義不能徙。不善不能改。是吾憂也。
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  • 76
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  • 2016/09/30(金) 14:44:53
子之燕居。申申如也。夭夭如也。
子曰。甚矣。吾衰也。久矣。吾不復夢見周公。
子曰。志於道。據於徳。依於仁。遊於藝。
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子曰。自行束脩以上。吾未嘗無誨焉。

子曰。不憤不啓。不悱不發。擧一隅。不以三隅反。則不復也。
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子食於有喪者之側。未嘗飽也。子於是日哭。則不歌。

子謂顏淵曰。用之則行。舍之則藏。唯我與爾有是夫。子路曰。子行三軍則誰與。子曰。暴虎馮河。死而無悔者。吾不與也。必也臨事而懼。好謀而成者也。
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子曰。富而可求也。雖執鞭之士。吾亦爲之。如不可求。從吾所好。
子之所愼。齋。戰。疾。
子在齊聞韶。三月不知肉味。曰。不圖爲樂之至於斯也。
冉有曰。夫子爲衞君乎。子貢曰。諾。吾將問之。入曰。伯夷叔齊。何人也。曰。古之賢人也。曰。怨乎。曰。求仁而得仁。又何怨。出曰。夫子不爲也。
子曰。飯疏食飮水。曲肱而枕之。樂亦在其中矣。不義而富且貴。於我如浮雲。
子曰。加我數年。五十以學易。可以無大過矣。
子所雅言詩書。執禮皆雅言也。
葉公問孔子於子路。子路不對。子曰。女奚不曰。其爲人也。發憤忘食。樂以忘憂。不知老之將至云爾。
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  • 80
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  • 2016/10/07(金) 12:53:49
子曰。我非生而知之者。好古敏以求之者也。
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  • 81
  •  
  • 2016/10/07(金) 12:54:25
子不語怪力亂神。
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  • 82
  •  
  • 2016/10/07(金) 12:55:41
子曰。三人行。必有我師焉。擇其善者而從之。其不善者而改之。

子曰。天生徳於予。桓魋其如予何。
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  • 83
  •  
  • 2016/10/07(金) 12:57:19
子曰。二三子以我爲隱乎。
吾無隱乎爾。吾無行而不與二三子者。是丘也。

子以四教。文行忠信。
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  • 84
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  • 2016/10/07(金) 13:00:30
子曰。聖人吾不得而見之矣。得見君子者。斯可矣。
子曰。善人吾不得而見之矣。得見有恒者斯可矣。
亡而爲有。虚而爲盈。約而爲泰。難乎有恒矣。

子釣而不綱。弋不射宿。

子曰。蓋有不知而作之者。我無是也。
多聞擇其善者而從之。多見而識之。知之次也。
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  • 85
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  • 2016/10/07(金) 13:04:31
互郷難與言。童子見。門人惑。
子曰。與其進也。不與其退也。唯何甚。人絜己以進。與其絜也。不保其往也。

子曰。仁遠乎哉。我欲仁。斯仁至矣。

陳司敗問。昭公知禮乎。
孔子曰。知禮。孔子退。揖巫馬期而進之曰。吾聞君子不黨。君子亦黨乎。君取於呉。爲同姓。謂之呉孟子。君而知禮。孰不知禮。巫馬期以告。
子曰。丘也幸。苟有過。人必知之。
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  • 86
  •  
  • 2016/10/07(金) 13:09:06
子與人歌而善。必使反之。而後和之。

子曰。文莫吾猶人也。躬行君子。則吾未之有得。

子曰。若聖與仁。則吾豈敢。抑爲之不厭。誨人不倦。則可謂云爾已矣。
公西華曰。正唯。弟子不能學也。

子疾病。子路請禱。
子曰。有諸。子路對曰。有之。
誄曰。禱爾于上下神祇。
子曰。丘之禱久矣。

子曰。奢則不孫。儉則固。與其不孫也寧固。

子曰。君子坦蕩蕩。小人長戚戚。

子温而厲。威而不猛。恭而安。
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滕文公爲世子、將之楚、過宋見孟子、
孟子道性善、言必稱堯舜、世子自楚反、復見孟子、
孟子曰、世子疑吾言乎、夫道一而已矣、
成覵謂齊景公曰、彼丈夫也、我丈夫也、我何畏彼哉、
顏淵曰、舜何人也、予何人也、有爲者亦若是、
公明儀曰、文王我師也、周公豈欺我哉、今滕絶長補短、將五十里也、猶可以爲善國、
書曰、若藥不瞑眩、厥疾不瘳。
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滕定公薨、世子謂然友曰、昔者孟子嘗與我言於宋、於心終不忘、今也、不幸至於大故、吾慾使子問於孟子、然後行事、然友之鄒問於孟子、
孟子曰、不亦善乎、親喪固所自盡也、
曾子曰、生事之以禮、死葬之以禮、祭之以禮、可謂孝矣、諸侯之禮、吾未之學也、雖然吾嘗聞之矣、三年之喪、齊疏之服、飦粥之食、自天子逹於庶人、三代共之、然友反命、定爲三年之喪、父兄百官皆不欲曰、吾宗國魯先君莫之行、吾先君亦莫之行也、至於子之身而反之、不可、
且志曰、喪祭從先祖、曰吾有所受之也、
謂然友曰、吾佗日未嘗學問、好馳馬試劍、今也父兄百官不我足也、恐其不能盡於大事、子爲我問孟子、然友復之鄒問孟子、
孟子曰、然、不可以佗求者也、
孔子曰、君薨、聽於冢宰、歠粥、面深墨、即位而哭、百官有司莫敢不哀、先之也、上有好者、下必有甚焉者也矣、君子之徳風也、小人之徳草也、草尚之風必偃、是在世子、然友反命、
世子曰、然、是誠在我、五月居廬、未有命戒、百官族人可謂曰知、及至葬、四方來觀之、顏色之戚、哭泣之哀、弔者大悦。
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  • 89
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  • 2016/10/07(金) 13:36:42
滕文公問爲國、孟子曰、民事不可緩也、詩曰、
宵爾素綯、亟其乘屋、其始播百穀、民之爲道也、有恒産者有恒心、無恒産者無恒心、苟無恒心、放辟邪侈、無不爲已、及陷於罪、然後從而刑之、是罔民也、焉有仁人在位、罔民而可爲也、是故賢君必恭儉禮下、取於民有制、
陽虎曰、爲富不仁矣、爲仁不富矣、夏后氏五十而貢、殷人七十而助、周人百畝而徹、其實皆什一也、徹者徹也、助者籍也、
龍子曰、治地莫善於貢、貢者校數歳之中以爲常、樂歳粒米狼戻、多取之而不爲虐、則寡取之、凶年糞其田而不足、則必取盈焉、爲民父母使民盻盻然、將終歳勤動、不得以養其父母、又稱貸而益之、使老稚轉乎溝壑、惡在其爲民父母也、夫世祿、滕固行之矣、詩云、
雨我公田、遂及我私、
惟助爲有公田、由此觀之、雖周亦助也、設爲庠序學校以教之、庠者養也、校者教也、序者射也、夏曰校、殷曰序、周曰庠、學則三代共之、皆所以明人倫也、人倫明於上、小民親於下、有王者起、必來取法、是爲王者師也、詩云、周雖舊邦、其命惟新、文王之謂也、子力行之、亦以新子之國。

使篳戰問井地、孟子曰、子之君將行仁政、選澤而使子、子必勉之、
夫仁政必自經界始、經界不正、井地不釣、穀祿不平、是故暴君汙吏必漫其經界、經界不正、分田制祿、可坐而定也、
夫滕壤地褊小、將爲君子焉、將爲野人焉、無君子莫治野人、無野人莫養君子、(夫世祿、滕固行之矣、)請野九一而助、國中什一使自賦、卿以下必有圭田、圭田五十畝、死徙無出郷、郷田同井、出入相友、守望相助、疾病相扶持、則百姓親睦、
方里而井、井九百畝、其中爲公田、八家皆私百畝、同養公田、公事篳、然後敢治私事、所以別野人也、此其大略也、若夫潤澤之、則在君與子矣。
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  • 90
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  • 2016/10/07(金) 14:07:26
有爲神農之言者許行、自楚之滕、踵門而告文公曰、
遠方之人、聞君行仁政、願受一廛而爲氓、
文公與之處、其徒數十人、皆衣褐、捆屨織席以爲食、陳良之徒陳相、與其弟辛、負耒耜而自宋之徒滕曰、聞君行聖人之政、是亦聖人也、願爲聖人氓、陳相見許行而大悦、盡棄其學時學焉、陳相見孟子、道許行之言曰、滕君則誠賢君也、雖然未聞道也、賢者與民竝耕而食、饔飧而治、
今也滕有倉廩府庫、則是厲民而以自養也、惡得賢、
孟子曰、許子必種粟而後食乎、曰、然、許子必織布然後衣乎、曰、否、許子衣褐、許子冠乎、曰、冠、曰、奚冠、曰、冠素、曰、自織之與、曰、否、以粟易之、曰、許子奚爲不自織、曰、害於耕、曰、許子以釜甑爨、以鐡耕乎、
曰、然、自爲之與、曰、否、以粟易之、
以粟易械器者不爲厲陶冶、陶冶亦以其械器易粟者、豈爲厲農夫哉、且許子何不爲陶冶、舎皆取諸其宮中而用之、何爲紛紛然與百工交易、何許子之不憚煩、
曰、百工之事、固不可耕且爲也、然則治天下獨可耕且爲與、
有大人之事、有小民之事、且一人之身而百工之所爲備、如必自爲而後用之、是率天下而路也、
故曰、或勞心、或勞力、勞心者治人、勞力者治於人、治於人者食人、治人者食於人、天下之通義也。

當堯之時、天下猶未平、洪水横流、氾濫於天下、草木暢茂、禽獸繁殖、
五穀不登、禽獣偪人、獸蹄鳥迹之道交於中國、堯獨憂之、擧舜而敷治焉、舜使益掌火、益烈山澤而焚之、禽獣逃匿、禹疏九河、瀹濟漯而注諸海、決汝漢、耕淮泗而注之江、然後中國可得而食也、
當是時也、禹八年於外、三過其門而不入、雖欲耕得乎、后稷教民稼穡、樹藝五穀、五穀熟而民人育、人之有道也、飽食煖衣、逸居而無教、則近於禽獸、聖人有憂之、使契爲司徒、教以人倫、
父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有敍、朋友有信、放勲日勞之來之、匡之直之、輔之翼之、使自得之、亦從而振徳之、聖人之憂民如此、而暇耕乎、堯以不得舜爲己憂、舜以不得禹・皋陶爲己憂、
夫以百畝之不易爲己憂者農夫也、分人以財、謂之惠、教人以善、謂之忠、爲天下得人者、謂之仁、是故以天下與人易、爲天下得人難、
孔子曰、大哉堯之爲君、惟天爲大、惟堯則之、蕩蕩乎民無能名焉、君哉舜也、巍巍乎有天下而不與焉、堯舜之治天下、豈無所用其心哉、亦不用於耕耳。

吾聞用夏變夷者、未聞變於夷者也、陳良楚産也、悦周公・仲尼之道、北學於中國、
北方之學者、未聞或之先也、彼所謂豪傑之士也、子之兄弟事之數十年、師死而遂倍之、
昔者孔子沒、三年之外、門人治任將歸、入揖於子貢、相嚮而哭、皆失聲然後歸、子貢反築室於場、獨居三年、然後歸、
他日子夏・子張・子游以有若似聖人、欲以所事孔子事之、強曾子、
曾子曰、不可、江漢以濯之、秋陽以暴之、皜皜乎不可尚己、今也南蠻鴃舌之人、非先王之道、子倍子之師學之、亦異於曾子矣、
吾聞出於幽谷遷于喬木者、未聞下喬木而入於幽谷者、
魯頌曰、戎狄是膺、荊舒是懲、周公方且膺、子是之學、亦爲不善變矣、從許子之道、則市賈不貮、國中無僞、雖使五尺之童適市、莫之或欺、
布帛長短同、則賈相若、麻縷絲絮輕重同、則賈相若、五穀多寡同、則賈相若、履大小同、則賈相若、曰、夫物之不齊、物之情也、
或相倍蓰、或相什百、或相千萬、子比而同之、之亂天下也、巨履小履同賈、人豈爲之哉、從許子之道、相率而爲僞者也、惡能治國家。
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  • 91
  •  
  • 2016/10/07(金) 14:17:56
墨者夷之、因徐辟而求見孟子、
孟子曰、吾固願見、今吾尚病、病愈我且往見、夷子不來、他日又求見孟子、
孟子曰、吾今則可以見矣、不直則道不見、我且直之、吾聞夷子墨者、墨之治喪也、以薄爲其道也、夷子思以易天下、豈以爲非是而不貴也、
然而夷子葬其親厚、則是以所賤事親也、除子以告夷子、
夷子曰、儒者之道、古之人若保赤子、此言何謂也、之則以爲愛無差等、施由親始、徐子以告孟子、
孟子曰、夫夷子信以爲人之親其兄之子、爲若親其鄰之赤子乎、彼有取爾也、赤子匍匐將入井、非赤子之罪也、且天之生物也、使之一本、而夷子二本故也、
蓋上世嘗有不葬其親者、其親死、則擧而委之於壑、他日過之、狐貍食之、蝿蚋姑嘬之、其顙有泚、睨而不視、夫泚也、非爲人泚、中心達於面目、
蓋歸反、虆梩而掩之、掩之誠是也、則孝子仁人之掩其親、亦必有道矣、
徐子以告夷子、夷子憮然爲閒曰、命之矣。
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子程子曰、大學孔氏之遺書、而初學入徳之門也。

於今可見古人爲學次第者、獨賴此篇之存。

而論孟次之。

學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣。
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  • 93
  •  
  • 2016/10/07(金) 15:24:34
子程子曰く、大学は孔氏の遺書にして、初学の徳に入るの門なり。

今に於て古人の学を為すの次第を見る可き者は、独り此の篇の存するに頼る。

而して論孟之に次ぐ。

学者必ず是に由りて学べば、則ち其の差わざるに庶からん。
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  • 94
  • 章句
  • 2016/10/07(金) 15:31:31
中庸何爲而作也。子思子憂道學之失其傳而作也。
蓋自上古聖神繼天立極、而道統之傳有自來矣。
其見於經、則允執厥中者、堯之所以授舜也。
人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中者、舜之所以授禹也。
堯之一言、至矣盡矣。而舜復益之以三言者、則所以明夫堯之一言、必如是而後可庶幾也。
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  • 95
  • 章句
  • 2016/10/07(金) 15:32:31
蓋嘗論之。心之虛靈知覺、一而已矣。而以爲有人心・道心之異者、則以其或生於形氣之私、或原於性命之正、而所以爲知覺者不同。
是以或危殆而不安、或微妙而難見耳。然人莫不有是形。故雖上智、不能無人心。
亦莫不有是性。故雖下愚、不能無道心。二者雜於方寸之閒、而不知所以治之、則危者愈危、微者愈微、而天理之公、卒無以勝夫人欲之私矣。
精則察夫二者之閒而不雜也。一則守其本心之正而不離也。
從事於斯、無少閒斷、必使道心常爲一身之主、而人心每聽命焉、則危者安、微者著、而動靜云爲、自無過不及之差矣。
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  • 96
  •  
  • 2016/10/07(金) 15:33:18
夫堯・舜・禹、天下之大聖也。以天下相傳、天下之大事也。
以天下之大聖行天下之大事。而其授受之際、丁寧告戒、不過如此、則天下之理、豈有以加於此哉。
自是以來、聖聖相承、若成湯・文・武之爲君、皐陶・伊・傅・周・召之爲臣、旣皆以此而接夫道統之傳。
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  • 97
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  • 2016/10/07(金) 15:34:08
若吾夫子、則雖不得其位、而所以繼往聖、開來學、其功反有賢於堯・舜者。
然當是時、見而知之者、惟顏氏・曾氏之傳得其宗。
及曾氏之再傳、而復得夫子之孫子思、則去聖遠、而異端起矣。
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  • 98
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  • 2016/10/07(金) 15:35:13
子思懼夫愈久而愈失其眞也。於是推本堯・舜以來相傳之意、質以平日所聞父師之言、更互演繹作爲此書、以詔後之學者。
蓋其憂之也深。故其言之也切。其慮之也遠。故其說之也詳。其曰天命率性、則道心之謂也。
其曰擇善固執、則精一之謂也。其曰君子時中、則執中之謂也。世之相後千有餘年、而其言之不異、如合符節。
歴選前聖之書、所以提挈綱維、開示蘊奧、未有若是之明且盡者也。
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  • 99
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  • 2016/10/07(金) 15:35:53
自是而又再傳、以得孟氏。爲能推明是書、以承先聖之統。
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  • 100
  •  
  • 2016/10/07(金) 15:40:29
及其沒而遂失其傳焉、則吾道之所寄、不越乎言語・文字之閒。
而異端之說、日新月盛、以至於老・佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣。

然而尙幸此書之不泯。故程夫子兄弟者出、得有所考、以續夫千載不傳之緒、得有所據、以斥夫二家似是之非。
蓋子思之功、於是爲大。而微程夫子、則亦莫能因其語而得其心也。

惜乎、其所以爲說者不傳。而凡石氏之所輯録、僅出於其門人之所記。是以大義雖明、而微言未析。
至其門人所自爲說、則雖頗詳盡、而多所發明、然倍其師說、而淫於老・佛者、亦有之矣。

熹自蚤歳卽嘗受讀、而竊疑之。沈潛反復、蓋亦有年。一旦恍然、似有以得其要領者。
然後乃敢會衆說、而折其中。旣爲定著章句一篇、以竢後之君子。而一二同志復取石氏書、刪其繁亂、名以輯略。
且記所嘗論辯取舍之意、別爲或問、以附其後。然後此書之旨、支分節解、脈絡貫通、詳略相因、巨細畢舉。
而凡諸說之同異得失、亦得以曲暢旁通、而各極其趣。雖於道統之傳不敢妄議、然初學之士或有取焉、則亦庶乎行遠升高之一助云爾。
淳熙己酉春三月戊申、新安朱熹序

子程子曰、不偏之謂中。不易之謂庸。中者、天下之正道、庸者、天下之定理。
此篇乃孔門傳授心法。子思恐其久而差也。故筆之於書、以授孟子。
其書始言一理、中散爲萬事、末復合爲一理。放之則彌六合、卷之則退藏於密。其味無窮。
皆實學也。善讀者玩索而有得焉、則終身用之、有不能盡者矣。
ここまで見た
中庸は何の爲にして作れる。
子思子道學の其の傳を失わんことを憂えて作れり。
蓋し上古の聖神天に繼いで極を立てしより、道統の傳は自って來ること有り。
其の經に見るるには、則ち允に厥の中を執れというは、堯の以て舜に授くる所なり。人の心惟れ危く、道の心惟れ微かなり。惟れ精惟れ一にして、允に厥の中を執れというは、舜の以て禹に授くる所なり。
堯の一言、至れり盡くせり。
而して舜復之を益すに三言を以てすることは、則ち夫の堯の一言、必ず是の如くにして而して後に庶幾す可きことを明かす所以なり。
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蓋し嘗みに之を論ぜん。
心の虛靈知覺は、一ならんのみ。
而るを以て人心・道心の異なること有りとすることは、則ち其の或は形氣の私に生り、或は性命の正しきに原づくを以て、知覺爲る所以の者同じからず。
是を以て或は危殆にして安からず、或は微妙にして見難きのみ。
然れども人是の形有らずということ莫し。
故に上智と雖も、人心無きこと能わず。
亦是の性有らずということ莫し。
故に下愚と雖も、道心無きこと能わず。
二つの者、方寸の閒に雜わりて、以て之を治むる所を知らざるときは、則ち危き者は愈々危く、微かなる者は愈々微かにして、天理の公なる、卒に以て夫の人欲の私に勝つこと無し。精は則ち夫の二つの者の閒を察[つまび]らかにして雜えざるなり。
一は則ち其の本心の正しきを守りて離れざるなり。
事に斯に從って、少くの閒斷無く、必ず道心をして常に一身の主と爲って、人心をして每に命を聽かしむるときは、則ち危き者は安く、微かなる者は著らかにして、動靜云爲、自ら過不及の差無し。
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夫れ堯・舜・禹は、天下の大聖なり。
天下を以て相傳うるは、天下の大事なり。
天下の大聖を以て天下の大事を行う。
而れども其の授受の際、丁寧告戒、此の如きに過ぎざるときは、則ち天下の理、豈以て此に加うること有らんや。
是より以來、聖聖相承けて、成湯・文・武の君爲り、皐陶・伊・傅・周・召の臣爲るが若き、旣に皆此を以て夫の道統の傳を接ぐ。
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吾が夫子の若きは、則ち其の位を得ずと雖も、而も以て往聖を繼ぎ、來學を開く所、其の功反って堯・舜よりも賢れること有り。
然れども是の時に當たって、見て之を知る者、惟顏氏・曾氏の傳のみ其の宗を得たり。
曾氏の再傳に及んで、復夫子の孫子思を得るときは、則ち聖を去ること遠くして、異端起これり。
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子思、夫の愈々久しうして愈々其の眞を失わんことを懼る。
是に於て堯・舜以來相傳の意に推し本づき、質するに平日聞く所の父師の言を以てし、更互演繹して此の書を作爲して、以て後の學者に詔ぐ。
蓋し其の之を憂うること深し。
故に其の之を言うこと切なり。
其の之を慮ること遠し。
故に其の之を說くこと詳らかなり。
其の天命性に率うと曰うは、則ち道心を謂うなり。
其の善を擇んで固く執ると曰うは、則ち精一を謂うなり。其の君子は時に中すと曰うは、則ち中を執るを謂うなり。
世の相後れたること千有餘年にして、其の言の異らざること、符節を合わするが如し。
前聖の書を歴選するに、以て綱維を提挈し、蘊奧を開示する所、未だ是の若きの明にして且盡くせる者有らず。
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是より又再傳して、以て孟氏を得。
能く是の書を推し明かしめて、以て先聖の統を承くることを爲す。
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其の沒するに及んで遂に其の傳を失いつれば、則ち吾が道の寄る所、言語・文字の閒に越えず。
而して異端の說、日々に新たに月々に盛んにして、以て老・佛の徒出づるに至るときは、則ち彌々理に近くして大いに眞を亂る。


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然れども尙幸に此の書の泯びざる。
故に程夫子兄弟者出でて、考うる所有りて、以て夫の千載不傳の緒を續ぐことを得、據る所有りて、以て夫の二家の是に似たるの非を斥くことを得たり。
蓋し子思の功、是に於て大いなりとす。
而れども程夫子微かりせば、則ち亦能く其の語に因って其の心を得ること莫けん。
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惜しいかな、其の說を爲る所以の者傳わらず。
而して凡そ石氏の輯録する所、僅かに其の門人の記する所に出づ。
是を以て大義明らかなりと雖も、而も微言未だ析かず。
其の門人自ら說を爲る所に至りては、則ち頗る詳盡にして、發明する所多しと雖も、然れども其の師說に倍いて、老・佛に淫るる者、亦之れ有り。
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熹、蚤歳より卽ち嘗て受け讀んで、竊かに之を疑う。沈潛反復、蓋し亦年有り。
一旦恍然として、以て其の要領を得ること有るに似れり。
然して後に乃ち敢えて衆說を會して、其の中を折む。旣に爲に章句一篇を定め著して、以て後の君子を竢つ。
而して一二の同志、復石氏の書を取りて、其の繁亂を刪りて、名づくるに輯略を以てす。
且嘗て論辯取舍する所の意を記して、別に或問を爲りて、以て其の後に附く。
然して後に此の書の旨、支分節解、脈絡貫通し、詳略相因り、巨細畢く舉ぐ。
而して凡そ諸說の同異得失も、亦以て曲暢旁通して、各々其の趣きを極むること得。
道統の傳に於て敢えて妄りに議せざると雖も、然も初學の士或は取ること有らば、則ち亦遠きに行き高きに升るの一助に庶からんと爾か云う。
淳熙己酉春三月戊申、新安の朱熹序す
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  • 111
  •  
  • 2017/06/30(金) 02:29:44
戦前は中等以上の学校は公立でも学費が高かったので
戦前の大学生は元庄屋の家系や上級武士の家系など
元々身分の高い家系の人がほとんどだった
そういう人たちは幼いときから四書五経の素読をしたり
旧制高校などで教養主義の洗礼をうけるなど
リーダーとしての高い人文学的素養をみにつけていた
彼らが上層を占めていた1980年代までは
日本社会全体のバランスがとれていたが
90年代以降育ちの悪い体育会系ブラックドキュンの
ゴミクズどもが上層をしめるようになってから
世の中全体がブラック化したな
育ちの悪いゴミクズの今の上流層を
駆除していくことが
労働環境の改善への第一歩なのだろうな
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  • 112
  •  
  • 2017/06/30(金) 02:29:58
今の大企業の幹部などの日本の上流層の連中は
若者などの勤労者を酷使搾取するだけの
低俗下品なゴミクズばかりだからな
1980年代までの幼い頃から四書五経の朗読をして
旧制高校で教養主義の洗礼をうけた上流層の人たちは
高い人文学的素養をもっていて、全体のバランスを考える能力をもっていた
しかし今の上層は自己保身しか考えない、低俗なブラックドキュンのゴミクズばかりだからな
1980年代までの上流層とは首から上が全く違うからな
世の中全体を考えた、総合的判断ができない
世間から徹底的に差別蔑視されるのは当然だな
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  • 113
  •  
  • 2017/06/30(金) 02:30:18
戦前の住友の幹部の三村起一氏や大原財閥の大原孫三郎氏など
すぐれた経営陣がワークアンドバランスを考えた
素晴らしい日本の労務制度をつくってくれたのに
90年代以降の人格レベルの低いアホナルシスト大企業経営陣が
それを破壊してしまったからな
90年代以降の人格レベルの低い下層民メンタルの経営陣の差別蔑視糾弾は
徹底的に続けてゆかなければいけないな




今の大企業の幹部連中は若い勤労者に負担をおしつけて
たくさん利益をだしたらそれでいいと思っている
ドキュンクズどもばかりだからな
無教養なドキュンクズが上層を占めると
世の中全体がブラック化するというのが
今の日本社会をみるとよくわかるな
勤労者の負担を減らす努力を幹部連中が怠っている

昔は幼い時から四書五経の素読をしてきた人が
育ちの良い人とされていた
今はそういう人がいなくなった
育ち悪いの人がドキュンブラックのゴミクズが上層を占めるようになってから
世の中全体がブラック化したということ。
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