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  • 名無しさん
  • 2014/04/11(金) 14:07:56
ジャンボダン(1530年 - 1596年)
ユグノー戦争の混乱期を生きた。
アリストテレス主義の科学的思考を異端発生の元凶とみる。
カトリックでありながらヘブライ語の聖書の昔に戻ることを夢見る。
神の法・自然法に従うものこそ主権者。
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  • 2016/04/22(金) 17:14:18
そう考えないと、
義務の衝突がうまれる。
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  • 268
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  • 2016/04/22(金) 17:48:33
いかなる不法行為も正統な解釈権限を有する者にとがめられないかぎり合法である。
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  • 269
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  • 2016/04/22(金) 17:51:40
意思主体による法体系の統一を志している点では
決断主義。
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  • 270
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  • 2016/04/22(金) 18:10:08
具体的に執行が生じるまで法は存在しないと考える。
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  • 271
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  • 2016/04/22(金) 19:07:12
具体的に執行が生じるまで法は存在しないと考えることで
法の対立の可能性自体を消去するのである。

しかし、具体的に執行が生じるまで法は存在しないと
考えること自体、現実科学の観点からすれば、逸脱している。
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  • 272
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  • 2016/04/22(金) 19:15:21
一般意思が純粋法学に与える危険

(一)人々は自分の利益を求めて奪い合う存在であるから、
正義のイデオロギーは非合理的であり、
当為のイデオロギーは合理的であるという話が
崩れる。

(二)自分たちのことを自分たちで決めるのは
自由であることを認めざるを得ないから、
(ルソー流に人民全体の利益にかかわる事柄のみに
一般意思の主権は及ぶと仮定しても)
一般意思による法と議会による法という
法的義務の対立が生じる。
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  • 273
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  • 2016/04/22(金) 19:19:14
(三)具体的に執行が生じるまで法は存在しない
という話が否定される。
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  • 274
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  • 2016/04/22(金) 19:49:12
(三)観察に用いる当為の価値が形式的なものではなく
実質的で相対的なものと認めれば、
それはその観察によってカント的な「真理」が
把握できないということである。
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  • 275
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  • 2016/04/22(金) 22:53:05
自らの認識で用いる当為の価値を
形式的なものとして説くため、
ケルゼンは
「自分の利益だけを求め奪い合う合理的な人間たち」
の姿を描いた。
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  • 276
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  • 2016/04/23(土) 03:06:47
真理は認知できねえという懐疑論はアノミーのもと。

「正義は社会の人々が決める。別に個人的に個人的不都合はない」と、ヒューム。
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  • 277
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  • 2016/04/23(土) 03:09:02
「いや、そうやなくて、
どないやったら、社会がつくれるねん」という問題。
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  • 278
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  • 2016/04/26(火) 21:07:57
人民の法と政府の法が対立した場合、
「実力で最終的に当為が決まる」としたイェリネクを
ケルゼンは批判した。
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  • 279
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  • 2016/04/26(火) 21:08:31
ケルゼン自身が法には最低限の有効性を
求めているから
わけがわからない。
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  • 280
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  • 2016/04/27(水) 11:36:58
「選挙に勝ったものが総取り」というノモスに従う議会の正統性を
国民が認めなければ、アナーキー。
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  • 281
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  • 2016/04/28(木) 14:40:53
法則志向・・・体系化がなされなければならない
真理志向・・・体系が絶対化されてはならない
共有志向・・・理解が共有されなければならない
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  • 282
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  • 2016/05/01(日) 11:52:34
こくないのほうきのかいしゃくけん
のしょざいがふめいであると、
ほうがじつりょくのせかいになる
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  • 283
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  • 2016/05/01(日) 11:55:36
とうちきかん
せいたいととしてのこっか
こうけんかいしゃくいがいに
ただしいかいしゃくはない
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  • 284
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  • 2016/05/03(火) 05:26:33
根本規範の範囲で
正統性を人格に付与したねえ・・・
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  • 285
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  • 2016/05/03(火) 05:32:00
共同自己決定権を理想として否定するか・・・

重要な問題についてはそれをやらねえと
国民が普通選挙権をもっている以上
議会政治自体が拒絶されかねんと考える(ヘラー)
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  • 286
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  • 2016/05/03(火) 05:34:01
理論なのか実践なのか。

議会政治自体が人民の自主立法に端を発する以上、
その正統性を法から排除できない。
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  • 287
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  • 2016/05/03(火) 05:43:06
選挙において国民が政治家に正統性を付与するという考え方なのカナー

権力分立は主権の統一性に反すると臆面もなく言ってしまう
シュミット=芦部説?

選挙に勝った政治家は、国家機関の立場以上の独自の正統性を
持ち、国家機関としての権限行使でなく、独自の権力行使が
なしうると考えるべきなのだろうか?
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  • 288
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  • 2016/05/03(火) 18:29:55
都合のいいときだけ守るというものは法ではない。
それはそのとおり。
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  • 289
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  • 2016/05/03(火) 18:34:38
法を法たらしめるためにいかなる場合でも
いかなる内容の法でも守りやがれ、とカント。
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  • 290
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  • 2016/05/03(火) 18:41:35
最上位の決定権者は守らなくていいの。
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  • 291
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  • 2016/05/04(水) 07:12:18
自分の利益だけを追求する人々にとって
約束は暫定協定・・・
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  • 292
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  • 2016/05/05(木) 09:51:40
法は秩序が必要であり、統一性が必要である。
統一性を保つために正統性をもった機関が必要である。
その正統性は法によって与えられる。

ケルゼンの純粋法学は、循環論法のみによって成立する構造を持っている。
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  • 293
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  • 2016/05/05(木) 14:28:31
世襲君主制により、国家における最高の地位が
政治競争の場から遠ざけられ、
そうすることにより国内政治闘争が甚だしく
尖鋭化するの防ぎ、
その結果争いが緩和され合理化される。
国内での最高の地位が常に塞がっているため、
政治家の権力追求に限界があるからである。
「確固たる規則に従ってその地位ににつく
国王が単に存在するということ自体に
くつついている、この最後の、
そして本質上消極的な機能は、
おそらく純政治的に見れば
実際上最も重要な機能である」
(マックス・ウェーバー)

シュミット憲法論134頁より。
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  • 294
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  • 2016/05/07(土) 14:18:56
法同士の対立。

整序

権威の必要性
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  • 295
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  • 2016/05/07(土) 14:45:24
個別具体的な事件については、
適任者に一任するべきである(ルソー)

議会でしか扱えないという領域と
裁判所でしか扱えないという領域
の間に広大なグレーゾーンが広がる。
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  • 296
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  • 2016/05/08(日) 12:41:22
すでに存在している法を守るだけならば
独裁政党のいいようにやられちゃうよ

よし、私がブレーンをつとめる大統領の権限で
何とかしよう。
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  • 297
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  • 2016/05/08(日) 13:33:09
ケルゼンの純粋法学の法も
合法則性信仰という権威に
体系づけられている
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  • 298
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  • 2016/05/08(日) 16:08:44
法の具体的内容を定めるにあたって
正統性をもった意思の決断が必要というのは正しい。

仮に、誰の意思でもよいとなれば、
法はたちまち実力の世界になる。
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  • 299
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  • 2016/05/08(日) 16:21:47
ただ、シュミットにおいては、
法が当為の世界であるのに、
なぜ、現実の正統性が必要なのか
明らかにされない。
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  • 300
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  • 2016/05/11(水) 18:26:23
議会は代理でなく代表である以上、
有権者の意思にこだわることなく、
自由に議論し、立法できる。

とはいえ、議会に国民が正統性を
与えた理由を認識しなければならない。は
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  • 2016/05/11(水) 18:27:41
自分たちの支持者への利益誘導に走り、
党利党略でもって
国民全体の共同の利益に関する事柄を
決定しようとすることは、
人民主権国家では、違憲違法である。
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  • 302
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  • 2016/09/01(木) 10:33:55
憲法制定権者がつくった制度の本質は
憲法改正権者である議会も変更できない

憲法の予期していない危機が発生したとき
人民投票的正統性がある大統領が
成文憲法の枠を超えた憲法の守り手になる
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  • 2016/09/01(木) 23:55:36
誰が決定権をもっているか明らかにする権威(理念ないし建前)
こそ主権であるというノモス主権
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  • 2017/03/11(土) 12:12:23
無計画に悪いものを破壊してもよいものが残るとは限らない
かえって、よいものも破壊して何も残らず国自体が消滅することもある
北朝鮮に併合されても民主主義の勝利と言えるのか?

悪いものを破壊する必要があるとしても
残すべきよいものが何かという青写真について
先に計画的に議論をしていないと民主主義の勝利とは
言えないと思う
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  • 2017/03/11(土) 12:17:34
これは民主主義に対する誤った理解

487 :名無しさん@1周年:2017/03/11(土) 12:14:35.91 ID:poeqfq3q0罷免とか国の恥そのものだろ
憧れるとか完全に脳無しの発言だな

そもそも、民主主義で選ばれた首相を
自分達の意にそぐわないから強引に引きずろおろうそうとする事、自体
民主主義に対する冒とく
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  • 306
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  • 2017/03/11(土) 12:19:14
ラスクが主張するように、
規範の義務づけ的性格は社会から調達しなければならない。
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  • 307
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  • 2017/03/11(土) 12:19:50
統治機構の決定が最終的なものになるためには、民意による統治機構に対する安定的な支持が必要・・・と言えいいのかな。
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  • 2017/03/12(日) 01:02:43
極右勢力の居直り強盗的な空威張りが始まる。 憎悪の差別感情を煽り、国民に全体主義的な犠牲を強要しようとする「ならず者の #ネトウヨ 」についての実態解明と責任追及は、破壊された日本の民主主義の回復にとって必要不可欠。 #森友学園 #自民拒否 #kokkai #パヨク #左翼
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  • 309
  •  
  • 2017/03/12(日) 01:03:02
161‏ @hiroichi0710 · 11時間11時間前


 その他




































16号「正しい事のために戦う事は罪ではない。話し合いなど通用しない相手もいるのだ」

いや、もーほんとその通りっす
どっかのお花畑連中にもきかせてやりたい

#ドラゴンボール #16号 #名言 #左翼 #パヨク
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  • 310
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  • 2017/03/12(日) 01:04:02
唯物論のひとたちには、相手も唯物論者に見えるわけか・・・
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  • 311
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  • 2017/03/13(月) 03:43:36
法治大統領。
大統領の権力行使を受けて生まれるルールが
一般社会に規範性をもって受け止められるという意味かなあ・・・?

その意味で、シュミットが法のメルクマールとした
形式的平等の概念は死んでいないです。
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  • 312
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  • 2017/03/13(月) 03:45:08
一定程度の形式的平等がなければ、
現代の人々はそのようなルールに
義務付け的性格を感じない・・・わけです。
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  • 313
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  • 2017/03/13(月) 03:53:24
法の義務付け的性格が社会からしか調達できない
というラスクの主張を受け入れなければ
法は一般的抽象的規範であるという見解を採用できない、と
いうわけです。

そういう立場をとるならば、
純粋法学のケルゼンの主張どおり、
司法も立法も同一の作用とみるのが
論理的に一貫します。
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  • 314
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  • 2017/03/16(木) 04:15:42
一般的には投票率が低いのが望ましく、現状に不満がある
少数派の声を拾い上げるために普通選挙制度があると
エリート民主主義者は説く。

その議論の問題は、少数の支配者層が国家を根拠なく私物化
していると批判されたとき、反論のしようがないこと。

大衆の政治的関心をポピュリズムと切り捨てるのならば
大衆の無知を主張して普通選挙制度自体の廃止を目指すべきだろう。
ここまで見た
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  • 2017/11/18(土) 23:45:15
民の圧倒的多数が、鼓腹撃壌していて、極少数の不満分子しか投票しない選挙により成立した国会や国会で選ばれた内閣や内閣が選んだ最高裁の裁判官に、

投票した極少数の不満分子の福利の為だけの国政ではなく、鼓腹撃壌してて投票に行かなかった圧倒的多数の福利のためにも国政を実施するよう義務付けるのが憲法。

日本国憲法だと国民全体の福利の為の奉仕を公務員に義務付けているのが第一五条二項。

この奉仕の対象者=国政の福利の享受者=立憲の利益の享受者が、法により定められた主権者。

国政により国民が福利を享受出来ているかどうかは国民にしか判らない。

そのため、国政の福利の享受者である主権者を国民とする立憲民主主義は、国民を代弁する権威ある議会を必要とする。
立法権を振ります為の議会ではない。

日本国憲法第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、「日出而作 日入而息 鑿井而飲 耕田而食
帝力何有於我哉」
老人有り、哺を含み腹を鼓うち、壌を撃ちて歌ひて曰はく、
「日出でて作し 日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み 田を耕して食らふ
帝力何ぞ我に有らんや」と。『十八史略』
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  • 316
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  • 2017/11/19(日) 20:10:00
Wikiよりコピペ

…1820年
合衆国最高裁における初期の判決Chisholm v. Georgia, 事件においてジョン・ジェイ最高裁長官は、以下のように述べた。[4]
国または国家の主権とは、統治する権利である。国民または国家の主権とは、一人の人または、住んでいる人たちである。欧州においては、主権は国王に与えられている。ここ(合衆国)では、人民(the people)に存する。
欧州では、主権は実際に政府を運営させている。ここでは、決して単一の人またはものに存在しない。我々の州知事たちは、人民の代理人であるし、人民と州知事たちとの関係は、国王と摂政の関係に代わるものでしかない。  

別の最高裁判例である、Yick Wo v. Hopkins,事件において、最高裁長官Matthewsは以下のように記述している。[5]
我々が政府の機関の理論と性質や、よって立つことになっている原理を考えて、これらの発展の歴史を眺めるときに、私有的かつ恣意的な力の振る舞う余地を残すことを意味することはないと結論せざるを得ない。
主権それ自体は、もちろんのことであるが、法に従わない。主権は法の著者であり、源である。しかしながら、われわれのシステムにおいては、権力としての主権(sovereign powers)は政府の官吏たちに与えられているが、主権それ自体(sovereign itself)は、人民に存する。
そして、政府の存在意義は、主権それ自体にあるのであり、政府の行動は、主権それ自体によって立つものである。そして法は、権力を定義して制限する。実際には、権力が最終決定の権限である何者かの手を通して行使されることは正しいのである。
そして、単に多くの行政の場合においては、責任は、純然たる政治的なものであり、(中略)、参政権の手段や、世論の圧力によってその責任は問われるだけである。
しかしながら、個人が保有しているとみなされる、基本的な生命、自由、幸福追求の権利には、憲法的な法の格言によって保護されている。
そして、この憲法格言は、人間に正当かつ平等な法の統治の下における市民的恵みを保障するための争いにおける勝利的な進歩の記念碑なのである。

これらの判決では、主権を意味する単語"sovereignty, sovereign"が、現在の解釈と異なることなく用いられている。…
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