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  • 2014/03/22(土) 13:40:57.44
五味:「そりゃあどんなに良いったって生の音には敵いませんわ」

小林:「それじゃあ、その生の音ってえのをもう少し考えてみたらいいんじゃないの?生の音なんて無いんですよ」

五味:「だって現にあるんですから」

小林:「いや、ありませんね」


五味康祐氏と小林秀雄氏の対話の中でもこの辺りは圧巻で、実に示唆に富んでいる。
スピーカーがどうの、アンプがどうの、部屋がどうのとピュア板は喧しいが、この対話はそんな次元を越えて私には実に面白いのである。


ピアノの音はピアノからしか出ないし、ヴァイオリンの音はヴァイオリンからしか出ない。そんな当たり前の事を承知するのに随分と日々を費やしてしまった。

同じ楽器を同じ奏者が弾いても、ホールが変われば音は変わる。同じ楽器/同じホールでもその日の天候や奏者の精神状態によっても音は変わるはずだ。

この精神状態というのが実に厄介と言うか面白いのである。同じカラッと晴れた日に同じ装置で聴いても、生音さながらに聞こえる日もあれば、所詮は電気が作る音だと落胆する日もあるのである。

「ある装置からある音が出たというのはねえ、これは歴史的な事件なんですよ。二度と繰り返すことなどないんだよ」(小林秀雄)

この年齢になり、そろそろ「ああ、そういうもんだろうなあ」と思える今日この頃である。

「アニー・フィッシャー/ベートーヴェン 作品109(HCD-31632)」
モニターGoldが3m前方に彼女の演奏を生音「さながらに」披露してくれたが、決して二度と繰り返すことはない、私もそんな聴き方が出来るようになった。

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