秋元康は日本の音楽界を腐らせた元凶 [sc](★0)
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- 2010/11/28(日) 09:54:46
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405 :昔の名無しで出ています:2009/03/13(金) 22:56:02 ID:6MB7lJuS
『でもね、川の流れは、やがて海に通じている』と、美空ひばり先生は生前、秋元康氏に「川の流れ・・・」の詞の間違いを指摘した。
『海が、古里であり、古里は遠くではなく、人は古里に帰っていくのだ』と美空ひばり先生は、糞秋元康に教えた。
シングルカットは、「ハハハ」作詞:秋元康を糞秋元康は、もくろんでいたが、美空ひばり先生によって却下された。
代わりの曲がないので、「川の流れのように」が代わりにシングルになった、本当は、どっちも嫌だったらしい。
結果的には、遺作となったために、シングル盤は150万枚以上を売り上げた。
この後にシングルが一枚出ているが、実質遺曲といえる曲に成った為に美空の最大のヒット曲となった。
最近では、愛燦燦の方が、評価が高く美空ひばりの代表曲としては上に扱われている。
高井麻巳子1966年12月28日生まれ、1987年3月(20歳3ヶ月)で秋元康氏と結婚のために、おニャン子を卒業。
翌年から、淫行のほとぼり冷ますために、ニューヨークに1年間移住。
美空ひばり先生の歌がヒットした為に、何食わぬ顔で戻ってきて、大作詞家を気取り淫行疑惑をスルーしてしまった。
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