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  • 2014/08/31(日) 11:33:39.26
結局、近江の藤原秀郷も清和源氏新羅三郎義光もアメノヒボコ、 神功皇后( 息長足姫尊) 、応神天皇( 誉田別尊) の系譜に繋がるのです。
近江八幡市には、 誉田別尊(ほんたわけのみこと)、息長足姫尊 、宇佐八幡、源氏の正統八幡太郎義家に繋がる日牟禮八幡宮もあり、
神武東征にあたり八咫烏に化身して神武天皇を導いた 賀茂建角身命?を祭る 賀茂神社まである。
清和源氏の祖、清和天皇は、藤原不比等の子孫の藤原北家の藤原良房なのだから、近江は丸ごと新羅系であったことが良くわかる。
そして、常にその才覚で時の権力者に摺寄り、姻戚関係を結んでは家ごと乗っとる。
要するに 八咫烏をシンボルとする秦氏の得意とする生き残り策なのだ。
八咫烏といえば、高句麗の象徴、牛の角のある兜は高句麗の兵士のもの。高句麗が滅ぶと新羅に接近、よくやるな。
甲賀、甲斐、甲田は、兜であり亀の甲羅のことであり、高句麗出身の武装集団だった。というのが、今週の取り敢えずの結論。
来週はまた違うことを書いているかもしれないが。笑う。

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