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  • 2014/08/16(土) 16:07:09.27
のちの武蔵七党の丹党に繋がるのか?
丹党の内のある一族がのちに水戸藩士となり、その家の娘が水戸藩主の「お手つき」となり、生まれた男子が次代の水戸藩主となったため、この丹党の家は水戸徳川家の一門に列することとなる。
また、この家は丹党であるので本来の惣領家は紀州・伊都郡に鎮座する丹生都比売神社の祝家である。
この丹生都比売神社の祝家が江戸時代に断絶してしまったため、水戸藩一門のこの丹党の家から養子が入り、丹生都比売神社祝家を継ぐこととなり、徳川一門と丹生都比売神社祝家を兼ねることとなる。
ぶっちゃけ友達の家なんだけど、旧男爵家で徳川会の一員でもあり、神社関係でも尾張家や諏訪家など旧社家との付き合いがあってよくその手の話を聞かしてくれる。
もっとも、神社の祝職の方からは明治政府の神職世襲禁止令によって離されてしまったけれども。

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