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  • 2013/03/16(土) 17:50:25.13
定慧の出家前の俗名は「中臣真人(なかとみのまひと)」という。
還俗して名を真人に戻したが、今もなお、その命を狙われる身。
そのまま中臣氏でいるわけにはいかなかった。

定慧帰国前のある晩、鎌足は粟田百済(あわたのくだら)を自分の屋敷に招いた。

百済「ところで内臣殿、私に内々の頼みとは何でございましょう?」

鎌足「実は近々、長男の真人が唐から戻ってくる。
  その真人を百済殿の子息として迎えてはくださらぬか?
  無論、貴殿及び粟田一族の悪いようにはせぬ。
  このような事を頼めるのは身内である貴殿しかおらぬのだ。」

粟田氏は中臣氏と関わりの深い春日氏の後裔氏族である。
個人としても粟田百済は大事を共することができる人物であった。

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