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  • 2013/03/10(日) 10:45:19.32
ところが、何を血迷ったのか余豊璋が鬼室福信を謀反の罪で殺害。
この内輪もめにより百済軍は空中分解する。
日本軍は指揮系統が不明瞭なまま唐・新羅連合軍に単独で対峙しなくてはならなくなった。

結局、日本史上初の対外戦争であった「白村江の戦い」は惨敗という結果に終わった。

敗戦の原因は、余豊璋の度重なる軽率な行動もあったが、
日本の救援軍が豪族の私兵の寄せ集めに過ぎず、
国家による軍団制が完成していなかったことが大きい。

毛野一族にとっても多くの私兵、そして将軍上野稚子を失うという
大きな痛手を被る戦であった。

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