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  • 2012/05/12(土) 11:36:03.45
CIS、欧州方面中心でどうぞ


◇過去スレ
ロシア情勢総合スレ Part.2
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/europa/1323621630/

ロシア情勢総合スレ Part1
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/europa/1228617361/

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  • 2013/02/17(日) 08:34:21.29
シベリア抑留は日本側の責任

満州の関東軍と居留民を、日本に帰還させず奴隷として売り飛ばし、過酷な労働で口減らし
してもらうのは、日本側が必死にお願いしたことで、しかも日ソ開戦前からの一貫した方針だった。

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  • 2013/02/17(日) 08:35:48.93
日本の海外の将兵を強制労働させる案は
まず、最初の日ソ案、陸軍・酒井中将と近衛特使のスターリン和平交渉案で出てくる。

対米終戦の講和問題でモスクワと直接交渉を行う話が決まり、天皇が7月12日に近衛文麿を宮中に呼び、
特使として訪ソするように命じた。
近衛は、この大命に基づき、スターリンと会談するときに提出する「和平交渉の要綱」を作成した。
近衛の側近である酒井鎬次中将が原案を書き、元内閣書記官長の冨田健治も加わって推敲し、正文ができあがった。
矢部貞治編著『近衛文麿(下)』によると

「軍人については、当分若干を現地に残留も同意、現地兵士を賠償として労力を提供する」

(三)陸海空軍々備
   (イ)国内の治安確保に必要なる最小限の兵力は、これを保有することに努むるも、
止むを得ざれば、
当分その若干を現地に残留せしむることに同意す。
   (ロ)海外にある軍隊は現地に於て復員し、内地に帰還せしむることに努むるも、止むを得ざれば当分
その若干を現地に残留せしむることに同意す。
 (四)賠償及び其他
   (イ)賠償として、一部の労力を提供することには同意す。

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  • 2013/02/17(日) 08:36:41.19
さてソ連の侵攻後、具体的に日本は陸軍兵士を奴隷として押しつけることを画策した。
「ドキュメント シベリア抑留 斎藤六郎の軌跡」12章資料編より

1945年8月26日、日ソ停戦交渉で、日本側はソ連への要望として、
関東軍総司令部が「ワシレフスキー元帥ニ対スル報告」を提出。

これは極東ソ連軍の当時の最高司令官であるワシレフスキー元帥にあてた関東軍の陳情書で
元関東軍参謀(作戦班長)大佐草地貞吾執筆、秦総参謀長、山田総司令官決裁。

 一、135万の一般居留民のほとんどは満州に生業があり、希望者はなるべく残留して、貴軍に協力させてほしい。
ただし老人、婦女子は内地か、元の居留地へ移動させて戴きたい。

 一、軍人、満州に生業や家庭を有するもの、希望者は、貴軍の経営に協力させ、その他は逐次内地に帰還させてほしい。
帰還までに極力貴軍の経営に協力するよう使っていただきたい。

 一、例えば撫順などの炭鉱で石炭を採掘するとか、満鉄、製鉄会社などで働かせてもらい、
冬季の最大難問である石炭の取得にあたりたい 

要約すると
『病人は帰還させてくれ、 一般人は現地で奴隷として徴用してくれ、軍人は真冬の炭鉱夫として
強制労働させてくれ。 日本に帰還させるのは少しづつにしてくれ』 というのが内容。

冬季に石炭取得とは何か。
満州の「撫順」炭鉱は当時、露天掘り炭鉱で有名、奴隷の苦力や棒子に事故死が続出するほどの過酷な労働
で知られていた。もちろん露天なので厳寒の真冬に強行すれば、労働者は死ぬという「最大難問」だった。
つまり「撫順の冬場」といえば事実上の死を意味したのである。

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  • 2013/02/17(日) 08:37:30.44
日本は、なぜこんなことをしたのか?

同じ8月26日に関東軍朝枝参謀によって書かれ、ソ連に提出された文書によると、
(これも「全般的ニ同意ナリ」とする秦総参謀長の「大本営参謀ノ報告ニ関スル所見」と一緒に発見された)

 1、一般方針
  内地ニ於ケル食糧事情及思想経済事情ヨリ考フルニ既定方針通大陸方面ニ
  於テハ在留邦人及武装解除後の軍人ハ「ソ」聯ノ庇護下ニ満鮮ニ土着セシメテ
  生活ヲ営ム如ク「ソ」聯側ニ依頼スルヲ可トス 


「内地ニ於ケル食糧事情及思想経済事情」によるものだった。
というのはつまり飢餓状態の日本に帰還されたも食料がないので困るというのと、
思想事情、陸軍がもし革命でも起こしたら困る、という日本側の事情だった。

降伏前の近衛上奏文で、「恐れるべきは降伏ではなく、陸軍による革命だ」と主張したのと
まったく同じ方針に基づいていたにすぎない。

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  • 2013/02/17(日) 08:38:10.18
日本は150万の満支派遣軍や居留民が内地に帰ってくることを恐れた。
都市が焼け野原で、職も食料も福祉もない本土に、手負いの猪と化した飢餓集団がきたらどうなる?
革命軍か、犯罪・強姦集団になるしかないだろう。

そこで大本営は、ソ連に頼んで、民間人は現地徴用にしてなるべく内地帰還を遅らせて欲しい、
軍人は危険なので炭鉱におくり、労働災害を装って屠殺して欲しい、とお願いしたのである。

また日本はソ連が満州を領土にすると思っていたので、撫順の名を上げている。
ソ連はこれに対して、民間人を奴隷にすることはできない、本土に帰してあげるように、と日本に諭し、
満州はソ連のものではなく中国領だから、といってシベリアに連れて行った。

シベリアでの労働は、きちんと食事と睡眠をとらせたせいで、10年間で死亡率は1割以下だった。
つまり、45年に日本に帰還した復員兵の死亡率のほうが高いのである!

いくら感謝しても、し足りない。

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  • 2013/02/17(日) 08:38:38.66
エリツィンが90年代に日本に謝罪した時、ロシアの歴史家は

「確かに人権侵害だが、売り手と買い手の合意だから双方に責任がある。
買い手が売り手に一方的に謝罪するというのはおかしいし、今の人権概念を当てはめるのも
おかしい」と反対したのは当然だろう。

しかし、福島みずぽ的な体質のあったエリツィンは、人権侵害だから、と天皇陛下に謝罪してしまった。

今度は日本側が謝罪するべきだろう。

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