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>>206
正解でしょ。札幌は始め1,2年みな鳴子を手に取り踊っていたけど
3年目でチーム数が増えなくなって早くもピンチになる
運よく同時期に南中ソーランが内閣総理大臣賞をもらうほどの踊りで評価され
北海道で注目を浴び、YOSAKOIソーランで取り入れられるようになる
そこからブームに火がつき倍々にチーム数が増加
4,5年目には鳴子を持たないチーム急増、タキオのソーラン節が街中に流れ
衣装もすっかり南中風になる
この状況の中、鳴子踊りチームは路線変更、淘汰される
またこの南中ソーランに当時高知トップ振付師だった国友須賀が完全に影響され
鳴子自体持たない、持ちこないで踊り、よさこいを名乗る様になる

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