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  • 2015/01/05(月) 21:32:08.98
欧米露列強は日本には直接手をかけはしなかったが、中国、満州へ着実にその勢力を伸ばし、日本を取り巻く環境は緊張の度合を深めていた。
清国は、アヘン戦争で敗れ、西側の列強の分割に屈していた。
しかし、当時の清は「眠れる獅子」と欧米から恐れられていたために、まだ完全に解体されるには至っていなかった。清は、むしろ、この欧米露の中国に対する内在する脅威をうまく操り生き残ろうと、
中国人らしいしたたかな計算を働かせていた。
 こうしたバランス・オブ・パワーの上に立ち、アヘン戦争に負けた腹いせもあって、清が企てたのが軍事的に弱かった朝鮮の服従である。朝鮮を属国としか考えていなかった清は、朝鮮の内乱、「東学党の乱」に乗じて出兵、朝鮮半島の支配を強めた。
 日本にとって朝鮮半島は、防衛の生命線である。ここが他国に侵されれば、次は日本が狙われる。どうあっても食い止めなければならない。日本は朝鮮の独立を守る為、清に宣戦布告、ここに日清戦争が勃発した。明治27(1894)年のことである。
 日清戦争は案に相違して日本の連戦連勝。一年を経ずして終結し、下関講和条約が締結された。この条約によって朝鮮の独立は認められて、清より賠償金三億円の支払いと遼東半島、台湾、ホウコ諸島の割譲が決定された。
ところが、ここで欧米諸国の白人列強連合が口を挟む。三国干渉である。
 条約が締結された6日後、満州進出の野望に燃えるロシアは、ドイツ、フランスと組んで、遼東半島の清への返還を迫った。この不埒な要求は拒否したいのはやまやまだったが、
三国を相手に戦う力は日本にはなく、やむなくこれを受入れるしかなかった。しかも、図々しくもロシアは、
日本が返還した遼東半島を清から譲り受け、旅順に大要塞を築き、南下の足がかりをつくった。いつかはロシアとも戦わなければならない日が来る。日露戦争の因はこの時既にできている。
 日清戦争に負け、眠れる獅子の幻想が消えた清は以後、欧米列強にズタズタに分割される。山東省はドイツに、広州湾はフランスに、威海衛は英国に租借された。三国干渉とは、言ってみれば、
日本を封じ込め、欧米露が清に恩を着せた上で
中国の利権を得るという一石二鳥の「白色人種連合の謀略」であった。

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