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  • 2012/03/31(土) 16:36:42.21
§モロッコの伝統的な統治体制、およびモロッコと西サハラ地域の不可分性

日本が徳川家綱の治世下にあった万治3(1660)年、モロッコの統治者としての
地位を確立したアラウィー朝は、部族ごとに国民を統治する政策を取ってきた。

国王を「信徒たちの指揮官」アミール・アル=ムウミニーン (Amir al-Mu'minin)
として承認し、国王に対して忠誠を誓う約束のことを、バイア (Bay'ah) と呼び、
アラウィー朝は、代替わりする度に各部族のバイアを書面で記録させている。

上記のバイアの有無に加え、税金を納めているか否かで、地域を区分できる。

 1. ビラード・マフザン/ビラードゥ・ル=マフザン (Bilad al-Makhzan)
   国王と中央政府を承認し、かつ、中央に対して納税している地域のこと。

 2. ビラード・スィーバ/ビラードゥ・ッ=スィーバ (Bilad as-Sibah / Bilad al-Sibah)
   国王と中央政府を承認しているが、中央に対して納税しない地域のこと。

 3. ビラード・フィトナ/ビラードゥ・ル=フィトナ (Bilad al-Fitnah)
   国王と中央政府を承認せず、かつ、中央に対して納税しない地域のこと。

 支配力の強い順に、1. > 2. >3. となる。尚、「君主と中央政府を承認して
 いないが、中央に対して納税している地域」は存在せず、また、用語もない。

西サハラと呼ばれる南部3区の地域は、アラウィー朝の国威が衰えた時代に
納税を拒否することもあったが、一貫して国王に対するバイアを表明しており、
歴史的な正統性で見れば、モロッコと西サハラは不可分であると言う他ない。

しかし、ポリサリオ戦線 (el Frente Polisario) は、モロッコの弱体化を狙う隣国
アルジェリアの支援を受け、また、北アフリカ諸国の政権転覆を企てる国際テロ
組織 AQIM (Al-Qaeda Organization in the Islamic Maghreb) とさえも手を結び、
まさに文字通り、目的のためには手段を選ばず、南部3区の強奪を企てている。

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