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  • 2021/11/25(木) 04:42:57.90
生まれたのは東京の巣鴨で、親父が勤めていたガスメーター会社の隣りにある社宅で生まれ育った。庭には小さな池と松の木があったのを覚えてる。
その家も空襲で焼けちゃった。一夜にして町ごと燃えてなくなっちゃった。僕(高木ブー)が12歳のときのことです。

空襲警報が鳴り響いて、焼夷弾が降ってきた。おふくろは先に小石川植物園に逃げたけど、親父と僕はどうにか火を消そうとして頑張った。
でも焼夷弾って、油が詰まった筒が落ちてきてあちこちで燃え出すから、水をかけたところでどうにもならない。隣組でバケツリレーの練習とかやってたけど、何の役にも立たなかったね。
家が燃えていくのを見るのは、そりゃもう、みじめな気持ちだったな。いよいよダメとなって逃げた。夜が明けて外に出たら、けっこう離れている巣鴨まで全部焼け野原だったな。
トボトボと歩いて帰ったんだけど、途中には丸焦げの死体がたくさんあった。あの光景は忘れられない。悲しいとか悔しいとかじゃなくて、とにかくつらかったね。

池と松が目印になって、かろうじて自分の家がわかった。バラックを建ててしばらく住んでたんだけど、雨が降るとどうしようもない。おふくろの実家を頼って柏に引っ越して、結局、そこから中高大と通ってた。
僕も軍国少年だったから、夢は飛行機乗りになることだったんだよね。柏に飛行場があって軍用機を憧れの目で見てた。海軍の予備学生になれば、いきなり幹部になれるらしい。そしたら楽だなって思ってた。
その頃から、楽することばっかり考えてたのかな。戦争に負けたのと同時に、その夢も消えちゃったけどね。

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