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  • 2014/04/04(金) 15:57:27.02
2003年:第28回「SGIの日」記念提言・池田SGI会長9

をえない道理ではないでしょうか。

たしかに、テロ行為は絶対に是認されるべきものではない。それと戦うために、
ある場合には武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。また、そう
した毅然たる姿勢がテロヘの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつ
もりはありません。

ナイ氏が一時、ペンタゴンの要職に就いていたように、軍事カを全否定すると
いうことは、一個の人間の「心情倫理」(マックス・ウェーバー)としてならま
だしも、政治の場でのオプション=「賛任倫理」(同)=注2=としては、必ず
しも現実的とはいえないでしょう。

しかし、ハード・パワー、とくに軍事カが、憎悪と報復の連鎖に陥ることなく、
何らかの効果を生むとすれば、それを保持する側に、あるいはやむを得ず行使
せざるを云ない場合でも、そこに徹底した自制心、それ自体、ソフト・パワー
の淵源でもある自制心、節度が働いているかどうかにかかっていると思います。

オルテガ・イ・ガセットは、「文明とは、力をウルティマ・ラチオ(最後の手
段)たらしめる試みに他ならない」(『大衆の反逆』神吉敬三訳、筑摩書房)と
の名言を残していますが、いうところの「文明」とは、内なる自制心が、さま
ざまな姿、かたちをとって現れた外面的結実なのであります。

こうした観点から見れば、アメリカの一連の単独行動主義は、自由や人権、民
主主義等のアメリカの掲げる普遍的理念(ナイ氏は、それらを、情報化時代の
進展につれ、アメリカをますます魅カあらしめる可能性を秘めた、ソフト・パ

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