公明党がイラク戦争に賛成した時点で学会の嘘に [sc](★0)
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- 2014/03/11(火) 21:55:54.73
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実
1963年、カセム政権は倒れ、後釜にアーリフが大統領、
バクルが首相に就く。バクルはハイラッラーと親交厚い
バース党幹部である。
このクーデター直後、サダムはエジプトから帰還し、
新政権の中央農民局に就任する。しかし、裏ではバース
党の突撃隊とでもいうべき国家警備隊の創設に着手し、
共産党員狩りを始める。
緑色の腕章をつけ、自動小銃で武装した国家警備隊は
過激に共産主義を弾圧し、約5000人の共産党員が殺害
されたと言われる。
バクルは反帝国主義、反ユダヤ主義を掲げ、共産主義
やユダヤ系イラク人を弾圧した。残忍な公開処刑や拷問
が人知れず行われるようになった。サダムの指揮する
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- 2014/03/11(火) 21:56:41.76
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実2
ジハーズ・ハニーンやコミッサール(政治統制委員会)
などの秘密警察、秘密保安部隊が暗躍した。
サダムはこれらの組織の運用や構造、執行機関をスター
リンの共産党を手本にした。サダムは強硬な反共主義者
だったが、権力を握ってゆく過程をスターリンから学ん
でいたのである。すなわち、ヒエラルキー、規律、秘密
である。
1970年、革命指導評議会が国権の最高機関であると、
バース党による新憲法で規定された。RCCの副議長は
サダムである。そして事実上、イラクはバース党の一党
独裁が決定したも同然だった。
次にサダムが目指したのは、バース党の政敵抹殺、
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- 2014/03/11(火) 21:57:25.78
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実3
すなわち他の政党の消滅であった。
血生臭い粛清が吹き荒れた。バース党に敵対するものは
もちろん、ユダヤ人、共産主義者、クルド人、シーア派、
そしてサダムの権力を脅かすと目された者たち。これら
の多くは拷問にかけられ、処刑された。
一切の容赦はなかった。網の目のようにはり巡らされた
監視の目は、いかなる政敵をも見つけ出すことができた。
これはサダムの才能だった。サダムは数多くの諜報部や
秘密警察を掌握し、政敵を葬った。これらの弾圧に共産
党やシーア派勢力は反政府活動を激化したが、サダムの
治安部隊の前では流血の量が増すだけであった。
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- 2014/03/12(水) 00:00:47.25
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実4
国家内務治安局アムン・アル・アンム…王制のころから
存在する国内治安局。
党諜報局ムハーバラート…治安部門の中でも最も強力な部隊。
軍諜報部イスティフバラート…軍隊を監視し、国外の反体
制派の暗殺などを請け負う。
政治統制委員会コミッサール…軍隊の監視。サダムの言うこと以外は聞かない。
※これらの治安部門のトップにはサダムの信頼できる血族や親族を据えた。
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- 2014/03/12(水) 00:13:31.89
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実5
大量破壊兵器
イラクをその手に握ったサダムが目指すは世界だった。
アラブ民族主義を掲げ、中東でアメリカやソ連に負けない超大国
になることが目標だった。その為には軍事力の増強、特に核兵器、
生物化学兵器保有が絶対条件だった。資金は豊富にあった。
石油はイラクを世界有数の金持ち大国にしていた。
農薬の名目でサダムはアメリカのファウルダー社のエンジニアを
バグダッドへ招待し、技術援助を受けた。また東ドイツのライプ
チヒ毒薬研究所の職員と掛け合い、技術援助を受け、着々と化学
兵器開発に成功しようとしていた。
また核兵器も原子力発電の名目で各国から技術援助を受けた。
特に盟友フランスはそれに積極的で、石油大国のイラクが原発を
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- 2014/03/12(水) 00:22:42.62
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サダムの野望より(抜粋)イラク戦争の真実6
持とうとする矛盾を全く無視した。1956年にディモナ研究炉を
イスラエルに売ったのもフランスだった。そして今度はまた
イスラエルの宿敵、イラクにタンムーズ原子炉を売ったのである。
目的はシンプルに金だった。
またアメリカもマンハッタン計画(広島、長崎型原爆の開発計画)の
詳細な資料一式をイラクに寄贈したのである。こうして大国の援助
を受けイラクを核兵器を持つ一歩手前まで行くのである。しかし、
実際はイスラエルの対外諜報機関モサドの妨害や再処理施設の
未完成によって、核兵器を持つことはできなかったとされている。
フセイン大統領
1979年7月、遂にサダムはイラク共和国大統領に就任した。
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